116の関係性における最近のマイブームは『歪さ』です。
愛し合ってるっていうより、様々な都合や感情に似た何かを抱えながら、それでも歪に情を交わす、欲が優先された関係、っていうのがやっぱりノーバディにはお似合いだと思うわ。異論は認めるよ。
本文中で書けなかった悔しさ。
『なぜ僕を呼ばないんです?』この答えは、やっぱり愛ゆえのものなんですよ(前言撤回速すぎん?)
ここに11と6の違いが大きく出ている自己解釈なんだけど、
11はたぶん人間時代に色々な愛を経験していると思うので、情を交わすこの行為が本来愛ゆえのものであることを分かっているし、今回書いた11は、なんだかんだでそれに近い思いを6に対して持っている。だからこそ、変な状態異常に罹って都合よく相手を使おうなんて思えなかったんよね。結果的にはちゃめちゃになってしまうけど、抗えなかったけど、それを見越したうえでのこの躊躇がものすごい愛じゃない?そんな11が好きです。愛を知っていた男。
7がKH2で『かつて心があったということが我々の強みだ』と言っていたけれど、11は『かつて愛を知っていたこと』が私の中で大きな魅力なんだよね。
一方で6は、人間時代から今に至るまで、猛烈に愛に飢えた男なのである(※自己解釈です)。
両親は幼くしてなくし、庭に引き取られてみんな優しかっただろうけど、無償で愛してもらえたはずの年代に他人の顔を窺うことばかり覚えてしまい、自分の中の寂しさを誤魔化すことばかり長けてしまう。愛されたい気持ちが自分の根底で焦げ付いてしまった。
当然恋人がいたこともないしそういった行為も未経験。本来愛し合うものがなすものと知ってはいても、性行為のことは生物学上の手段としか思っていない。だからいざ自分がそこに足を踏み入れたときも、『発散するための手段』として完全に割り切っている。特にノーバディたる6さんはね。
『なぜ僕を呼ばないのです?』と言ったときの6の心境は本文に書けたと思う。都合のいい相手がいるのだから使えばいいのに、と。
そして(これは完全に私の趣味で願望だけど)6は快楽に弱くて、一度覚えた快感に中毒的にハマってしまうところがあって、端的に言うと11に相手してほしいんだよね。こういうのも心がないからこそあけすけにいえる。という都合のいい解釈ができる部分。
相手が大切、という感情を持っているとは断言できないけど、愛を知っているうえでのある種の執着を持つ11と、愛を知らず手段として相手を必要とする6の歪な関係。これが今、私が書きたくて読みたい二人の関係性なのでした。
そしてこれに今触れるのはちょっと尚早というか、もっと作品に落とし込んでから書きたい部分ではあるんだけど、6が11を受け入れた、本当の意味での116の馴れ初めはここに鍵があると思ってる。
11だけが、6が本当に欲しかったものをくれた。初めて自分という存在を求められた。だからコロッといってしまったんだ。ちょろいと言えばそれまでだけど、何よりもほしかったものを11だけがくれた。そこに執着が生まれるのは仕方ない。心も無くて欲と愛の違いも分からないけれど、確かにそこに在る執着。116の歪な愛の形。
うわー、作品に落とし込みたい。とか言ってあたためてても形にできない可能性も大いにあるので、とりあえずここに言語化で来たので満足。
作品としての反省点は、なんか全然二人とも楽しくなさそうで書き手の私が状況を楽しんでるだけの作品になってしまったこと。
11はちょっと本当に申し訳なかった。自我を全く書けず、催淫状態としての絶倫なだけになってしまったし、6も全然気持ちよさそうにしてあげられなかった。がんばったけど、あんまり納得できてない。
この辺もっとどうにかしたくて、初稿まではとんとん拍子だったのに推敲で一カ月も沼った。もう今の自分に書けるのはここまでだと判断し諦め半分で投稿。シチュエーションとしては書きたいもの書けたので、未来の自分が読み返した時に何かしらの改善策を思いついて未来の作品に活かしてくれればいい。壮大な未来への丸投げ。