014 夢

※現パロ116
※過去捏造少し

 

 ふと目が覚めて時計を見ると、時刻は深夜二時を指している。ベッドに入ったのは日付が変わる前だったはずだ。起きてしまったのはやたら喉が渇いているせいだろうか。或いはなれない熱い体温が近くにあるせいか。
 時刻を確認したスマートフォンの眩しい画面を伏せると、ゼクシオンは首を動かしてそっと隣りを見る。マールーシャは眠っているようで、部屋の中には物音一つせずしんと静まり返っている。交際するようになってから自宅に泊めてもらうのはまだ数えるほど。眠るときに人の気配がすぐそこにあることに、まだゼクシオンは慣れていなかった。
 耳をそばだてるが寝息すら聞こえず、心配になって布団の中で少し近付いた。常夜灯の薄明かりの中で目を凝らすと、隣にいる恋人は静かに目を閉じている。眠っているはずなのにどことなく緊張感があり隙が感じられない。寝顔すら凛々しいだなんてどういうことなのだろうとゼクシオンはその表情にしばし見入った。微動だにしないけれど、きっと深く寝ているのだろう。シーツから伝わる温もりを感じて安堵する。
 恋人の横顔を見つめながらゼクシオンは、こうして誰かと同じ布団で寝たのなんていつぶりだろうと考える。恋人と呼べる間柄になったのは彼が初めてだ。友人とこんな距離にいたこともない。
 記憶をたどっていくと、物心ついて間もない幼少期まで遡ってしまった。まだ両親と一緒に暮らしていた頃、幼かった自分は子供らしく両親と共に眠っていた。守られるように両隣を固められ、ベッドは広大な海のようにどこまでも広かった。いや、それよりももう少し後だ、とゼクシオンは思い返す。成長して一人部屋をもらった後も、眠れないときに両親の部屋のドアを叩いたことがあったように思う。怖い夢を見たのだ。
 暗い何かから逃れるように飛び起きたあと、服の下で汗がだんだんと冷えていく感覚。風が窓をがたがたと揺らす音に耐えかねて、裸足のまま歩いた暗い廊下の冷たさ。泣きそうな気持ちを何とか抑えてドアを叩いたのに、母親の温かい手に優しく抱き寄せられてしまえば安堵して涙が溢れてしまった。かつてのように両親に挟まれて、繋いだ手の温もりを感じているうちに、安心して眠れた記憶――。
 やけに鮮明に思い出せたことに驚きながら、やや苦い気持ちになってゼクシオンは一人苦笑する。一体いつの記憶なんだか。
 もう一度振り返ってマールーシャの様子を見る。よく眠っているようだ。渇いた喉を潤しに少々抜け出しても気付かれまい。そう思うと、そっと身体を反転させてゼクシオンは静かに身を起こした。布団の端を捲り、ベッドから降りようと足を伸ばす。

 音もなく伸びてきた手に腕を捕まれたのはそのときだった。
 何が起きたのかわからなかった。振り返る間もなく、引きずり戻されるようにしてゼクシオンはベッドの中央へと倒れ込んだ。驚いて顔を上げると、いつの間に身を起こしたのかマールーシャが目を見開いてゼクシオンを見つめている。
「何処へ行く」
 とても寝起きとは思えないはっきりとした凄みのきいた声に萎縮した。
「み、水を」
 まるで言い訳がましかったがゼクシオンはやっとのことでそう口にした。マールーシャはまっすぐにこちらを見つめているものの、何を考えているのやら押し黙っている。捕まれた腕が熱い。自分の脈が速くなるのがわかる。勝手に抜け出そうとしたから憤慨したのだろうか。初めて見る相手の形相に気圧され、思わずすみません、と呟いた。
 ふっと腕を掴む手の力が抜けた。解放されるかと思いきやしかし、今度は伸びてきた両腕の中に捕らえられる。思わず身を固くするが、先ほど腕を掴んでいた強さはもうなかった。優しく抱き寄せられたかと思うと、此処にいろ、と耳元で声がする。
「何処にも行くな」
 聞いたこともないような懇願する声色に、すっかり動けなくなってしまった。彼の胸の中で抱かれているせいで表情は見えない。怯えているのだろうか。彼ほどの人が? そう思ったのも束の間、自分と共にいるとき以外の彼のことなどほとんど知らないことにゼクシオンはまた気付く。過去に何があったかなど、何一つ。
 腕の力はそう強くはなかったが、マールーシャはなかなか離そうとしない。ゼクシオンはまた相手に向き合う形に姿勢を変えると、厚い胸板に額を寄せた。鼓動が早いのがわかる。悪夢を見て飛び起きた過去の自分が脳裏に甦る。
 此処にいますよ、大丈夫です、そう囁いて、身体に巻き付く腕を撫でた。力が弱まったので、そのまま手を取った。驚いた、マールーシャの手はその体温の高さに反して冷えきっていたのだ。指を絡めてそっと握ると相手が深く息を漏らすのが聞こえた。そうしてそのまま、静かに時間だけが過ぎていく。鼓動が穏やかになった頃には、今度は寝息が聞こえてきた。ゼクシオンも安堵してようやく強張っていた身体の力を抜いた。緊張していたのだ。
 すっかり頭が冴え眠れなくなってしまい、ぼんやりと天井を見上げながら考える。彼のことをぜんぜん知らない。改めてゼクシオンは思う。けれどそれでも受け止めたいと思う。いつも悠々として恐れなど知らないかのような彼の初めて見る一面を思い返し、こっそりと決心する。
 触れあう指先は体温を取り戻していた。緩みかけたその手をもう一度握り直して思う。
 過去は埋められなくとも、これからの時間を共有することはできるはずだ。

  

 次に目が覚めたときは、窓から太陽光が燦々と差し込んでいた。日曜日、いい天気だ。日の高さを見るにだいぶ寝坊だったけれど、特に予定もないので問題ないはず、とまだ寝ぼけた頭でゼクシオンは考えた。昨夜はあの後あれこれ考えているうちに眠るタイミングを逃し、窓の外が薄く白むまで寝付けなかったのだ。
 くあぁっと欠伸をして寝ぼけた顔のまま隣りを見ると、マールーシャと目が合った。驚いて目をしばたいているとくすくす笑いながらマールーシャがおはよう、と髪を撫でた。
「面白い顔だった」
「……やめて……」
 よく見れば隣りに寝転ぶマールーシャは寝る時の部屋着からもうきちんとした服に着替えていた。心なしかリビングの方からいい匂いが漂っていくような気がする。朝食(というには遅いけれど)の支度がすっかり済んでいるに違いない。コーヒー、トースト、肉の焼けた匂い。カリカリになったベーコンだったら嬉しい。ベッドの中の熱に身を任せながら朝食のメニュー当てをするのは贅沢な休日の朝だ。
 あんまりマールーシャが普通だから、はて昨夜のやりとりは夢だったのだろうかとゼクシオンは考える。ぼんやりしていると、不意にマールーシャがゼクシオンの腕をとった。そのまま袖を捲り上げ、じっと白い腕を見つめていた。何事だろうと黙って様子をうかがっていると、「跡が残らなくてよかった」とマールーシャは言って腕をさすった。すぐに捕まれた腕の力の強さを思い出して、ああ、と頷く。
「夢かと思いました」
「悪かった。痛かっただろう」
「別に平気です、あれくらい」
「……ありがとう」
 その言葉は、昨夜のことについてのものだとわかる。優しく手を取り握り合う。マールーシャの手は熱い。
「……でも、忘れてくれ」
「えっ、どうして」
 驚いて思わず握った手に力を込めた。マールーシャは少し困ったように笑って言った。
「みっともなかっただろ」
 照れたような、眉尻を少し下げた笑顔はまたこれまでに見たことのないもので、ゼクシオンは胸の内で高揚する。
「ええー……どうしましょうね」
 くすっと笑ってから、ゼクシオンは布団を引っ張りあげて中に潜り込んだ。おいこら、と困ったような声が追いかけてくるが、短い籠城を決め込むことにする。もうちょっとだけ彼を困らせてみたかった。
 怖いくらい真剣な眼差しも、暗闇の中で震える声も。困ったように照れて笑う顔も。初めて見せてくれる彼の一面を思い起こしては、大事に大事に噛みしめる。
 もう少ししたら、ベッドから出て一緒に朝食をとろう。今日は、どんな彼の一面と出会えるのだろう。

 

お題『夢』