013 約束

※機関員116
※事後、シリアスめ。

 

 今日はなんだかいつもと違いましたね。
 そう言おうか迷ったけれど、結局ゼクシオンは口に出すのをやめた。相手も同じ思いであろう事は想像できたし、わざわざ口にするのも無粋に思えた。別れを目前にして感傷的になるたちでもない。
 マールーシャが服を身に着けていくのを、まだベッドの中で薄い布団にくるまりながらゼクシオンはぼんやりと眺める。桃色の頭髪は黒いコートの上に克明に映えていた。そのコントラストを目に焼き付けようと真剣になっている自分に気付く。
「……本当に行くんですね」
 ため息混じりに呟いた小さな声は、シーツの海に飲まれてほとんど独り言のようだった。それでもマールーシャはそれを聞き逃さず、身支度を進めながら「ああ」と短く答えた。彼が振り返らなくて良かった、とゼクシオンは思う。どんな表情で顔を見たらいいのかわからない。
 光の勇者一行の気配は忘却の城すぐそこまで近付いている。城主たる彼は当然来訪者を迎え入れ、そして迎え撃つのだろう。彼らの計画には光の勇者を手中に入れる必要があるという話は、勿論ゼクシオンも聞き及んでいる。
 忘却の城に配置されてから地上と地下で情報交換をする傍ら、いつしかマールーシャとは空虚な身体を埋め合うために時間と体温を共有する仲になっていた。惰性的に部屋を訪れた夜は数知れない。変わらぬ日々がいつまでも在るはずないとわかっていたつもりだったけれど、いざその時を迎えると複雑な思いが空虚な胸の内に広がった。
 マールーシャをはじめとする地上階の面々は機関員の中でも最も信用の置けない連中ではあるが、実力は十分に兼ね備えていることもまた事実だ。そう易々と打ち破れていくはずもない。頭ではわかっているつもりでも、何故だか釈然としない。引き止めたい衝動に駆られては、その行為が如何に馬鹿げているかに思い至る。成すすべもなく、零れ落ちるのは、またため息。
 マールーシャは変わらず悠々としていつも通りだ。けれど彼もどこかで理解しているに違いない。だからこそ今宵二人はまた共にあったのだろう。
 最後かもしれない時はいつになく味気なかった。何度昇り詰めても満たされず、分厚い体躯を掻き抱いても相手のことを見失いそうだった。迷い子を捜すように、気付けば何度も名前を呼んでいた。そうすれば繋ぎ留められるとでも思ったのだろうか。らしくもなくしおらし気に目を伏せた彼は、一度たりとも返事をしなかったというのに。
 見ればマールーシャはすっかり支度を終えていた。もう今にも部屋を出ていこうとしている。
「――死の先には、何があるだろう」
 急にマールーシャが問いを投げかけてきたのでゼクシオンは驚いて顔を上げた。朧気だった脳内が突如として明確になり、視点は相手の姿に焦点を結ぶ。マールーシャもまた真っすぐゼクシオンを見据えていた。強い視線に、思わずたじろぐ。
「僕たちに死という概念はないはずですけれど」
「それでも、いつか終わりは来る。違うか?」
「……怖いのですか? 貴方らしくもない」
「ただの興味本位だ。私はその先を知りたい」
 飄々と告げるその言葉の通り、彼は決してその行く末に怯えている様子はなかった。花という美しい属性を纏う裏でその能力が死を司っていることも、またその興味の所以かもしれない。彼はいつも引導を渡す側だ。
「少なくとも、行き着く先が天国とはいかないでしょうね」
「それは同感だな」
 マールーシャは鼻で笑った。すいと目が伏せられる。鼓動が早まる。
「次に会えるのは地獄でしょうか」
 考えるより先に口をついて出ていた。未来を語る主義ではなかったけれど、終わりが来るのならば――そしてそれが今ならば――せめて言わずにいられなかった。はたとゼクシオンは気付く。不変を願っていたのは、自分だったのかと。
 意外な申し出にマールーシャは足を止めた。振り向いたその目が見開かれていたのは僅か、
「確かに、それが似合いかもしれない」
 そう言うと、今度は愉快そうに目を細めた。呼吸をするのも忘れてその青を凝視する。忘れないように。脳裏に焼き付けるように。
「その時は迎えに来よう」
 最後にそう言って微笑むと、マールーシャは闇を纏い姿を消した。去り際に舞った赤い花弁を捕らえようとゼクシオンは思わず手を伸ばしたが、指先に触れるか触れないかのうちにそれらは音もなく消えていった。後には、何も残らない。忌々しい花の香すら、その時は感じられなかった。
 急に胸が苦しくなった。腹立たしい。いけ好かない。迎えに来るだなんて、まるで先にいってしまうような言い方。どこまでも自分をかき乱す彼の言動は最後まで不愉快だった。
 行き場のない手を迷わせ自分の唇に触れた。相手のそれと最後に重ねた時の記憶をたどれど、虚ろな身体は共に在りたいと願ったはずの体温を、もう覚えていない。

 

お題『約束』