契約関係

 降り立った白い部屋が眩しすぎるので、フードを目深に被ったままゼクシオンは部屋の奥へと進む。同じ居城だというのにゼクシオンの活動拠点である地下とは全く違っていていつ来ても居心地が悪い。狭間の身には眩しすぎるくらいの白い室内を見渡すが、そこにいる同胞は二人だけのようだ。赤髪の方がゼクシオンに気付くと、よう、と手をあげて迎え入れた。

「マールーシャに用事か? なら出直した方がいいぜ」
「まさか、まだ戻ってないのですか?」

 フードを外しながらゼクシオンは呆れて息をついた。城主たるマールーシャとは、こうしてゼクシオンが時々地下での活動報告のために訪れども、円滑に顔を合わせられたことなどほとんどなかった。当然彼も機関の定める任務に明け暮れているはずだけれど、それにしても不在の時間が長いように思えることがゼクシオンは気にかかっている。こそこそと隠れて何かしようものなら許されないことである。
 ところがアクセルはいいや、と言うとしばし答えに窮した様子で頭を掻いた。

「戻ってるさ。一緒の任務だったんだ。部屋で休んでると思うけど、今日はちょっと……会うなら明日にした方がいいと思うぜ」

 アクセルは何やら歯切れが悪い。ラクシーヌの方を見やるが、彼女もお手上げといった様子でアクセルに詰め寄る。

「さっきから何を言ってもこれよ。ちっともわかんない。ほんとに大丈夫なの?」
「大丈夫だっつってんだろ。ちょっとしたかすり傷みたいなもんだって……たぶん」
「何よたぶんって」
「あーもー、今日は解散解散! 俺だって疲れてるんだよ。あいつだって明日にはさすがに出てくるだろうからよ」
「もう……」

 納得できない様子ではあるが、これ以上粘っても仕方ないと判断したラクシーヌは、そんじゃ、と素っ気なく言うとすぐに姿を消した。
 城主がいないのでは話にならないのでゼクシオンも辞しようとしたところ、アクセルが小声で話しかける。

「……実は、ちょっとやらかしちまったんだよな」
「何の話です?」

 ゼクシオンが素早く振り返ったのでアクセルはやや肩をすくませた。……大昔に見たことがある。悪戯が知れて、大人たちに糾弾されながら自分のしでかしたことを報告させられているときの彼の仕草だ。

「マールーシャは催眠状態になってる」
「なんですって」
「ちょっと面倒な敵だったんだよ……」
「あなたと二人でいて、敵の攻撃もまともに避けられなかったんですか? 嘆かわしい……」
「いやそれは――あいつの名誉のために一応言っとくけど――俺が跳ね返した攻撃が、後ろからあいつに当たっちまってだな……」

 段々と語尾がしりすぼみになっていくのを聞きながらゼクシオンは頭を抱えたくなった。舟中敵国、最大の敵は身内にありとはいったものである。

「……状況はわかりました。催眠状態というのは具体的には?」
「それが、その……」

 アクセルはまだ歯切れが悪い。

「……女型の敵だったんだ」
「?」
「言っちまえば、色仕掛けみたいなもんってこと!」

 もうあたりには誰もいなかったけれど、アクセルは声をひそめて耳打ちした。

「色……?」
「お前にはわかんねーか? ぎりぎり自我は保っていたみたいだけど、興奮状態になって戦闘どころじゃなくなってよ。まあそれで敵の意識がマールーシャに向いたからその隙をついて俺が倒したけど、敵を倒してもまだ症状引きずってたから、さっさと部屋に帰したってわけ。あんな状態でラクシーヌと鉢合わせしてあいつが妙な気でも起こしたらヤバイだろ」
「まあ、それはそうですね」

 ゼクシオンは曖昧に返事をしながら、しばし思案に暮れる。
 アクセルはそんなゼクシオンをじろりと見て言った。

「……お前、ヴィクセンと乗り込んであいつのこと被検体にしようなんざ考えてねえだろうな?」
「まさか」

 今度はゼクシオンが肩をすくめる番だった。

「じゃ、そーゆーことだから、他のメンバーにあいつのこと聞かれたら適当に誤魔化してやってくれな。お前も部屋に近付くんじゃねーぞ」

 そう言うとアクセルも、疲労を滲ませた大きなため息をついてから姿を消した。ことの顛末を報告した暁に副官殿がアクセルに鉄槌を下すのは免れないだろうから無理もない。

「……さて、と」

 誰もいなくなった白い部屋をゼクシオンは見渡した。地下での活動報告はアクセルの言う通り後日に改める必要がある。
 いましがたできたもっと大事な用事のために、ゼクシオンも部屋を後にする。

 

 

+++

 マールーシャの部屋のあるフロアに足を踏み入れた瞬間から違和感に気付いた。濃密な花の香り。部屋のそばに来ただけで漏れだす独特の気配を感じる。
 彼が私室にいるのは間違いないだろう。しかし、扉を隔ててなおこんなにも花の香を感じたのは初めてだった。

 ゼクシオンは部屋の前に立つと、躊躇いもなく扉を叩く。

「マールーシャ、いるのでしょう。開けてください」

 声をかけども扉の向こうは静かで甘ったるい香りの他は何も感じられない。何度か扉を叩いたが、一向に開かれる気配はなかった。あの男がしおらしく病床に伏しているとも思い難いが……あるいは、返事をしなければ大人しく帰るとでも思っているのか?

 ゼクシオンは闇の回廊を開くと無理矢理部屋の中に入り込んだ。機関のルールにおいて闇の回廊をこのように使うことは当然禁忌である。けれど、時としてこうした強行が二人の間に限って黙認されているのは、他の機関員と違って特別な関係性にあるからだろう。

「ぐっ……!」

 部屋に入った途端、一段と濃くなる匂いにゼクシオンは思わず鼻を覆う。むせかえるような花の匂いが部屋中に満ちていた。花の匂いだけではない。甘さに混じって男性的な気配とそこに潜む熱の源を色濃く感じさせた。部屋は暗いまま、奥のベッドの上に身を起こす人の気配を感じる。

「……誰が入っていいと言った」

 マールーシャはひどく不快そうな声を出した。回廊を使って無断で踏み入ったのだから無理もない。
 ゼクシオンは暗がりの中マールーシャの方へ向かい、ベッドの中の男を見下ろした。普段見上げてばかりの相手を上から見下ろすことに幾分か優越感を感じる。そこにいるマールーシャに普段の優雅さはなく、まるで熱でも出したかのようにけだるそうで、何もしていないのに息も荒かった。暗いのでよく見えないが、顔色が悪い、というよりは熱を発して上気しているようだ。触れてもいないのに空気を伝って体温の高さを感じる。彼の体内に漲る活力を感じる。

「そんなことかと思いましたよ」
「出ていけ。今は、話をする余裕はない」
「今だからこそ、なぜ僕を呼ばないのです。僕たち、そういう“契約”でしょう」

 マールーシャは答えない。

 

 “契約”だなんていうけれど、勿論正式に書面上に捺印をしたわけではない。口約束すらまともにしたか定かではない。
 けれど二人の間で共通の認識として明確にそれはあった。“特別な関係性”。

 マールーシャのことを好ましいと思ったことなどこれっぽっちもなかったし、相手もこれまでの振る舞いからゼクシオン、ひいては地下で活動する面々など眼中にないのは明白だった。それでも数多の偶然と機会が重なったとき、二人は自然な流れでそういった関係性に足を踏み入れた。意外にも抵抗はなかった。抵抗よりも、欲の発散をしたいという泥臭い人間じみた欲求が勝ったのだろう。
 一度一線を越えた二人は、その後も折に触れては必要とあらば相手に相手を選んだ。そしてそれが当たり前になっていった。マールーシャのほうから声がかかることが多かったけれど、ゼクシオンから求めたことだってある。“相手”が必要だっただけ。そこに感情めいたものはない。

 ノーバディの肉体がこういった面でも人間的な側面を持つことを、ゼクシオンは最初は興味深く観察していた。心を伴わない性交は極めて事務的な処理に近かったけれど、回数を重ねていくうちに身体の奥で感じる快感が芽生え、そこから行為自体への好奇が増大していった。心ある人の真似事をしても満たされることはなく、ただ欲の発散にすぎない。その歪んだ認知がまたわずかな執着を生む。

 二人の間柄に名前などないけれど、さしずめ“契約関係”とでもいうのだろう。文字通り、発散するだけの役割を互いに担っている、ただそれだけ。

 

「手伝ってあげますよ」

 ゼクシオンはそう言ってベッドに歩み寄った。そのつもりで来たのだから、こちらの準備などは済ませてある。マールーシャはまだ黙っているが、お咎めがないので相手もその気とみてよさそうだ。変わらず辛そうな表情を見るにあるいは、追い返す余裕ももうないのかもしれない。
 そもそもこのような状況に陥ったなら真っ先にゼクシオンに声がかかっても本来ならおかしくなかったはずである。ちょうど都合のよい発散相手が決まっているのだからさっさと声を掛ければいいのに、この男は何を一人で暗い部屋で蹲っているのだろう。

 窓から入る微弱な月明かりのなか、相手の気配が更に熱感を募らせているのを感じた。その気配はゼクシオンの中の高揚を静かに撫で上げる。

 ――持て余したその欲求を、僕に向ければいい。

 ゼクシオンは自らコートのファスナーを下ろした。脱いだコートは脇においやってベッドに近付くと、マールーシャの身体を覆っていた布団を掴んで剥いだ。思った通り、下はもうすでに剥き出しになっていた。男性的な匂いが強く立ちのぼり嗅覚を刺激する。誘惑する花の香りに雄々しい匂いが混ざったものを嗅いでいると、不思議と自分まで熱が上がるようだ。感覚が敏感なゼクシオンは、この部屋の空気だけですっかりその気にあてられてしまっていた。

 暗がりの中で、見たこともないくらい屹立した局部に目を奪われる。

「……どうなっても知らないぞ」

 諦めた様子のマールーシャのため息が聞こえる。

「今日のところは精々、僕に身を任せているんですね」

 珍しく相手をリードする立場に立って気分を良くしたゼクシオンは、そのままマールーシャの着ていたものを脱がせようと服に手を掛けた。が、むやみやたらに触られたくないのか、マールーシャはそれを振り払うようにして自ら服を脱いだ。暗闇に浮き上がる肉体は均整がとれていて、見ているだけで興奮を煽る。白い裸体で気だるげに座っているさまは彫刻作品にでもありそうに思えた。
 相手だけが服を脱いでいるという状況はなかなか珍しい。優位に立った気でゼクシオンはマールーシャの脚の間に座ると、そこにある熱源に手を伸ばして触れた。

「熱……」

 ため息がこぼれるようにゼクシオンは静かに言う。手袋越しにもその尋常でない熱を手のひらに感じることができた。握ると、固い弾力の奥から強い脈動を感じる。先端は濡れてひかっていて、ゆるやかに手を動かすだけで新たな蜜が湧いて膨らんだ。

「余計な真似をするな」

 じれったい動きにマールーシャはいらいらとしている。彼がこういった表情を露わにすることも相当希少だ。はやく入れたくて仕方ないのだろう、と思うとその素直さをいじらしくすら感じる。

「少しくらい我慢してください……そのまま入れるわけにもいかないでしょ」

 たしなめるように言ってから、ゼクシオンは垂れかかる前髪を耳にかけ、足の間に身を屈めた。眼前からの匂いが一層強くなる。ぞくぞくと背筋が痺れるような感覚に押され、ゼクシオンは手の中のそれを口に迎え入れた。

 口腔内で圧迫すると、咥えこんだものはさらに反応を見せた。こんなに大きかったことがあっただろうか、とゼクシオンは逡巡する。口に含むのが精いっぱいで、まともに動かすことなどできそうにない。頭上でマールーシャが長く息を吐いたのが聞こえる。そろそろと探るように舌を動かして唾液を纏わせていった。相手をよくすることよりも、全体を濡らそうと努めることにする。

 拙い動きで舌を這わせながら、少しずつ深くまで含みを進める。今は、自分の鼻から漏れる吐息ばかりが聞こえていた。口の中は唾液と、先端からとめどなく溢れる体液とで綯い交ぜになり、飲み込めない分は開いた口の端から零れていく。根元を握った手で更に刺激を送った。手袋を外しておけばよかった、とゼクシオンは思う。優位に立つことよりも、熱をじかに感じたいと今は思っている。

 マールーシャの手が頭部に触れた。よくなってくると、おだてるように髪の毛をなでて先を促すのが彼の癖だ。はやいな、と思う。催淫効果か、と考えていると、急にそのまま強く押さえ付けられた。そんなに押さえられたら動けない、と思った矢先、腰をも突き出したので咥えていたものは勢いをつけて喉奥まで差し込まれる。気道が塞がる。声を出す間もなかった。後頭部に手のひらの熱を感じる。思わず握っていた手に力を込めた瞬間、喉の奥に熱の放出を感じた。

 あまりにも急だった。雄の匂いが喉から鼻にせりあがり、こみ上げる嘔気にゼクシオンは慌てて口の中のものを引き抜こうとするも、押さえ付けるマールーシャの力はいまだ強い。喉を焼くように熱い液体があとからあとから伝い落ちていく。いきが、できない。

 暴れるようにしてマールーシャの腿を力任せに叩き、ほんの少し緩んだ隙になんとか逃げるように相手を突き放した。激しくえずきながら、出されたものをほとんど吐き出していた。早い、それに、量も多い。おそらくはゼクシオンが部屋に来る前から自己処理にあたっていたとみていたが、それでいて普段に比べてもなお尋常じゃない量だった。これが、催淫効果なのだろうか。何とか手に受け止めたが、喉から鼻から、濃厚なその匂いがまとわりついて離れない。

 勝手に何を、とマールーシャを咎めようと顔を上げるが、恐ろしい顔で睨みをきかせているのはマールーシャの方だった。息は荒く、身を乗り出し、今にも襲い掛かられそうな雰囲気だった。
 これは確かに重症かもしれない、とゼクシオンは事の程度をようやく理解する。

「……わかりましたよ、いいですから」

 そう言ってゼクシオンは口元を拭い、今吐き出したものをマールーシャの陰茎に塗りたくった。全く衰えていないそのさまに一抹の不安を感じるも、もういまさらだった。構わずにマールーシャはもうゼクシオンのうえに覆いかぶさっている。見上げるが、垂れた髪の毛で表情が見えない。荒い息遣いのなか破られるかと思うほど乱雑に下半身だけ剥き出しにされ、腿裏を掴んで広げさせられる。触れた手の熱さに息を飲むが、あてがわれた熱の方がもっと熱い。

 けもののような息遣いでマールーシャが無言で入ってきた。熱くて、声が出た。
 自分でそれなりに準備のうえ臨んではいたが、指も触れずに挿入したため内部はまだ狭い。けれど一切の躊躇いもなく挿入された熱は、真っすぐに一番深いところまで届いた。圧迫感に喘ぎながら相手の首に腕を回そうとするが、それを待たずにマールーシャはすぐに動き出した。最初から激しかった。

 揺さぶられるままに、ゼクシオンは必死な様子のマールーシャをまだ少し冷静な頭で観察する。いつもの優美さや余裕なんてかけらもなかった。そこにあるのは欲求に忠実な本能。剥き出しになった支配欲。いつもの彼ならこちらの反応を伺いながらそれに合わせて動いていくのに、今日はひとえに利己的だった。一方的で、こちらが愉しむ隙も無い。それでも、普段彼が貼り付けた笑顔の下に隠し持っている欲望が、いま日の目に晒され自分に向けられている。それがゼクシオンにとって、どうしようもなく快かった。

「っっ……!」

 脚を掴むマールーシャの手に力が込められた。ついさっき達したばかりだというのに、挿入してからも早かった。相手の身体が震えるのをゼクシオンは体内で感じる。
 動きが緩んだ隙に、ようやく相手の首に腕を回した。身体中に玉の汗が浮いていて、触れるとぴたりと吸い付いて二人の触れ合いを一層密にする。
 中での痙攣が長い。まだ止まらないのか? まったく収まる気配がないのを察知すると、ゼクシオンは腕の中の髪の毛を掻き分ける。花のような香りが漂う中、露わになった耳に唇で触れた。びくりとマールーシャが反応を見せる。でかい図体をしておきながら耳が敏感なのを知っているのは、きっと自分だけだ。

 手袋を外して場外へ放り、自由になった手のひらで相手に触れた。ようやくじかに触れた体温にゼクシオンはうっとりと感じ入る。熱い肌をなであげながら、音をたててはんだり、吐息を漏らしたり、唇でやわく耳への愛撫を繰り返していると、すぐにマールーシャもまた先を求め始めた。思っている通りに相手が行動を移すのもまた愉悦であった。体内でたっぷり出された体液が潤滑剤の役割を担い、動きは最初よりも滑らかだ。粘度の高い水音が耳につく。だんだんと結合部が濡れ、外へと溢れていく。マールーシャの吐息が耳にかかる。熱く速く、夢中な様子にゼクシオンも徐々に高揚していく。

 二回目もまた早かった。位置が浅かったのか、それとももう受け止められる量を凌駕しているのか、放たれたものが肌を伝い外へ溢れ出るのを感じゼクシオンは焦る。

「なん、ですかこの量……」

 ゼクシオンは自分の下腹部を見ようと首を起こした。まだ抜かれておらず、深く挿さったままだ。マールーシャは応えず、荒い呼吸だけが聞こえる。

「いったん抜いてもらえませんか……何か拭くもの……あ!」

 ゼクシオンが言い終える前に、マールーシャが体重をかけた。肉壁を割って深まる挿入にゼクシオンは声を上げるが、何事もなかったかのようにマールーシャは律動を続行させた。声をかけども全く届いていない様子にゼクシオンは戦慄を覚える。だってもう見ているだけでも三回出したというのに、この男、全く衰えを感じさせない。始めと変わりない硬度と熱さをもって、いまなおゼクシオンの中を行き来している。吐き出した液が体内で空気と混ざるような音が淫猥に聞こえ、突かれるたびにそれは更に溢れ出た。激しさも増している。

「ちょっと、なんで黙ってるんですかっ。なんとか言ったらどうなんです……!」

 ただならぬ様子に相手の腕を掴むも、マールーシャは焦点の会わない目で虚空を見つめて腰を振るばかりで聞こえていないようだ。

「マールーシャ!!」

 名を呼ぶ声も空しく、マールーシャは一層強く身体を押し付け再び身体を震わせた。途方もない質量につきあげられ、ゼクシオンも思わず仰け反る。もう何が何だかわからないことになっている。
 押しつぶされそうになり何度も腕を叩くと、ようやくマールーシャが声を発した。

「…………腰が、溶けそうだ」

 やっとのことでそう言ったマールーシャは、すっかり恍惚としていた。半開きの口の端からは涎さえ垂れている。普段の凛々しさはどこへやら、あまりの本能剥き出しの姿を目の当たりにしてゼクシオンも言葉を失う。
 マールーシャがゆっくりと視線をゼクシオンに向けた。その眼差しが、確実に自分をとらえる。暗い何かに囚われたようで、息もできずゼクシオンは相手を見つめ返した。

「止まれるはずないだろう」

 ――なるほどこれは重症。
 ことの程度を理解したときにはまたしてもマールーシャが自分に覆い被さっていた。もう、完全に相手のペースだった。

 たっぷりと精液を受け止めた直腸は中での動きを滑らかにした。窮屈さや痛みはもう感じず、圧倒的な質量がひたすらに体内を這いずる感覚がゼクシオンの身体を目覚めさせていく。知っている感覚。刻み込まれた快楽を思い出した身体は、今度はゼクシオンをも高揚の頂点へと導いていく。回数を増しているというのに相手の動きも激しさを増し、ゼクシオンは爪を立てしがみつきながら押し寄せる快感の波に揺さぶられる。

「あ、あ……!」

 何度目かの相手の痙攣を体内で感じ取ったとき、ゼクシオンもまた身体の奥を収縮させ頂点に達した。頭が真っ白にぬりつぶされ、身体の奥で感じる快感にただ身を浸した。マールーシャの腕がゼクシオンにきつく巻かれていた。捕食されているみたいだ、と思いながらも、身体に回る腕の強さと、なおも奥を目指そうと震えている相手とを感じると、まるで空虚な身体が満たされようとしているかのようだ。

 どちらともなく長いため息がこぼれた。マールーシャの動きが止まり、脱力していた。疲れたのか、ゼクシオンを抱いたまま荒い呼吸を繰り返してばかりいる。やっとおさまったか、とゼクシオンも息を吐きながら、マールーシャの豊かな髪の毛に指を通し梳いた。甘い香りが鼻先を掠めていく。

「ちょっと、本当に一回抜いてください」

 そう言ってゼクシオンはマールーシャを揺さぶる。服のまま、身体中べたべたになっていた。自分も汗をかいていたけれど、相手の方が凄い。動きが止まっても汗は止まらず、流れた汗はゼクシオンの上にぱたぱたと垂れていたし、何よりも下半身が悲惨なことになっていた。果ては、ベッドシーツも。とりあえず拭きたい。
 動きの鈍いマールーシャにしつこく腕を叩き足蹴にすると、ようやくマールーシャがのろのろと身体を起こした。挿入されていたものはまだ芯を持った状態を保っていて、体内を這いずり抜け落ちる時に思わず声が出そうになる。……本当に終わったのだろうか?
 塞がりのなくなったとたん、中にあったものがどっと溢れ出すのを感じた。好ましくない感覚によってゼクシオンの意識は現実に引き戻される。中途半端に身に着けていた衣類は脱いだ。シャツもすっかり汗を吸ってしまっている。早めに洗ってしまいたい。意識はすでにシャワーに向かっている。

「拭くもの、取ってくれませんか」

 ゼクシオンが言うと、言われるがままマールーシャは黙って近くのティッシュを数枚とってゼクシオンに渡した。話が通じているあたりだいぶまともになっている、と感じる。渡されたものを受け取りながら、性欲は落ち着いたのだろうかとマールーシャの表情を伺いみるが、どことなく焦点はあわずぼうっとしたままだ。彼とのセックスでは見たことのないくらい何度も達していたし、放心しているのだろうと考える。
 ほとんど相手のペースだったけれど、普段とはまた違った状況での情交で、相手の珍しい一面もまのあたりにできてゼクシオンは満足していた。

 不快に濡れた身体を拭い、すっかり乱れたベッドシーツの汚れを拭こうと見下ろした。……拭くものがいくらあっても足りない。もう剥がしてしまった方がいいだろうか、と考えていると、ゆらりと背後に影を感じた。甘い香りが強くなった、と思った瞬間、振り返る間もなく肩を押し付けられベッドに腹這いに倒れた。濡れたシーツが冷たく腹に当たる。

「な」

 何を、と糾弾する間もなかった。
 マールーシャの身体が背後から下肢を割り、そのまま後ろの穴を押し広げている。

「くっ、あ――……!!」

 熱い塊が背後から体内へ押し入るその衝撃と圧迫感にゼクシオンは仰け反って声を上げた。最初のときと何ら変わりない質量。そしてこれまでの何事もなかったかのように、マールーシャはまた動き出した。動きにも衰えはない。

 嘘だろう、もう何回出したと思っている。まだこんなに力をあましているだなんて、いったいいつになったら尽きるというのだ。

 冷静になりかけていた頭も身体も、再び快楽の渦中に引きずり戻された。背後から襲い来る花の濃厚な香りを肺腑に吸い込むと、頭の中まで相手の気に支配され、何も考えられなかった。

「まって、マ……ん、そこ、やだ……っ」

 抗議するにも腹這いに後ろから押さえ付けられ、漏れ出る声はシーツに吸い込まれていく。相手の四肢が自分のそれと重なり身動きが取れない。
 この体勢は苦手だ。硬く反ったそれが、ゼクシオンの中の苦手な部分を絶妙に押し当てるから。執拗に同じ場所ばかりを擦られて、ゼクシオンもまたのぼりつめようとしている。

 手のひらが肌を撫でる感触に気付いた。反応を見られている。ゼクシオンははっとした。さっきまでひたすら挿入による自分本位な快楽だけを追求していたのに、一方的だったものが相互を意識したものに変わった。それが分かった瞬間、ぐんと感度が増した。手のひらの圧や指先の力加減まで、あらゆる動きが自分の熱を高めていく。きもちいい。けれど、今日はそのどれもがあまりにも執拗で。

「ぁ……る、しゃ……!」

 つたなく相手の名を口にすれど、マールーシャは終始無言を貫いた。相手も夢中なのだとわかる。彼の欲求が、真っ直ぐに自分に向かっている。他の誰でもなく、自分に。
 この上ない高揚に震え、ゼクシオンはそのまま絶頂を遂げた。身体の奥が収縮するのが相手に伝わったのか、マールーシャもまた同時に何度か知れない果てを極めた。

 身体を抱いていた相手の腕が首の前に回り、締め上げられているかのようだ。苦しい。分厚い体躯に押しつぶされて身動きも取れない。目の眩むような快楽で思考が塗りつぶされていく。呼吸もままならず、与えられる快楽だけに支配され、何も考えられない。

 最高だ。とゼクシオンは思う。
 彼とのセックスは他では得られない快感を得ることができる。このひとときだけは自分が何者であるかも忘れ、見失いかけていた本能的な“生”を実感できる。
 だから、契約した。無二無三の快感を与えてくれる彼のその意識を、自分にだけ向けて欲しかったから。

 マールーシャの腕から力が抜けていく。支えを失い、二人して脱力してベッドの上にくずおれた。相手の体重をもろに受け、ぐえ、と潰れたカエルのような声が出る。触れ合う背中が熱い。あらゆる体液でめちゃくちゃだ。シャワーを浴びたいけれど、果たして起き上がれるだろうか。もう手足に力が入らない。酸素を求める浅い呼吸を互いに繰り返している。

 ふと、伸びてきた指先が顔に触れゼクシオンに横を向かせた。後ろから肩越しに身を乗り出したマールーシャがゼクシオンに口づける。触れる唇を柔く、甘く、吸い合った。――発散するためだけの関係。それにしては、甘い触れ方だった。普段はあまりしないこの行為を、流されるように受け入れた。
 身体を塞いでいたものが自然に抜け落ちていく。ゼクシオンは身体を返して正面からマールーシャの体躯を抱いた。相手が何度も啄むように触れるのを、やがて口を開いて受け入れた。舌を吸い合い、熱烈だった行為の余韻に浸った。身体は、満ち足りていた。

 見上げると、マールーシャはようやく焦点を結んだ瞳でゼクシオンを見下ろしていた。彼もまた満足そうな目をしている。
 どこか優しく思わせるその眼差しに、ざわと胸中が揺さぶられた。

 心があれば、相手に何か思うのだろうか。
 心なくして、彼は自分に、何を思うのだろう。

 ぼんやりと考えを巡らせていたら、ふと腹部に何か当たるのを感じた。えっ、と声が出る。見下ろすまでもなく、そこで熱を主張しているのは……

「……嘘でしょ?」

 先ほど抜け落ちたときはようやく精を出し尽くしたかのように思えたそれは、今ではすっかり振出しに戻っている。――まさか、さっきのキスのせいで?

 おそるおそる上を見上げると、マールーシャの目の色は変わっていない。

「手伝ってくれると、そう言ったな」

 とろけるような甘い眼差しの奥に、 燃えるような熱を冷ましていない。

 

20250429