このまま、朝まで
「待たせた」
短く言うマールーシャに、ゼクシオンも言葉少なくうなずく。ベッドに浅く腰かけていたが、マールーシャが施錠したのを見ると立ち上がってこちらに近寄った。黒いコートの前を、手で合わせていた。
機関に命ぜられた任務が思いのほか長期に渡っていた。言い渡されたのは、もうひと月も前になる。
忘却の城の管理を任せられたのでこれでようやく腰を据えられたかと思ったのも束の間、機関から不定期に伝えられる任務は変わらず続いていた。今回の任務はまた厄介なもので、規模に対して割り振られた機関員はマールーシャひとり。別拠点の管理者すら駆り出さねばならぬほどの人手不足には呆れすら超越する。
そういったわけでマールーシャは長らく忘却の城を離れて一人で過ごしていた。任務をこなしている最中はそれに注力していたものの、全て片付いたとき、遠い地でふと脳裏に思い出されたのは、置いてきた恋人の横顔。ゼムナスから直々に仰せつかった今回の任務は他言無用だったため、他の機関員はもちろん、ゼクシオンにも多くを語らず城をあけていた。ずいぶん長い時間顔を見ていないことを思い出し、嘆息した。
かえろう。
帰ったところであたたかく迎えてくれる恋人ではないことは重々わかってはいたが、それでも顔が見たかった。
すこし顔を見て、話しができればそれでよかった。
ところが、帰還したその足で地下に赴き、誰もいない部屋に連れ込んだと思ったら途端に縋りついてきたのはゼクシオンの方だった。最初に声を掛けたときに鋭く睨まれたのをみて、やはりご機嫌斜めかと胸中で苦笑したものだったが、二人になった途端なりふり構わない様子で駆け寄り、その目は物欲しげに真っ直ぐマールーシャを求めていたのだ。
意外なご褒美が待っていたことにマールーシャも動揺したのだろう。顔が見れれば……などという慎ましさは彼方へ、欲のままに埃にまみれた暗い部屋で、ベッドもないのにことに及んでしまった。無理をさせたのにもかかわらずさしてお咎めはなかったところをみるに、彼もまた同じ気持ちでいてくれたのかもしれない、とマールーシャは都合よく考えた。つまり、会いたかったのだと。
そのままこころゆくまで可愛がってやりたい気持ちを何とか鎮め、疲れ切った身体に鞭打って本拠地へ飛んでいよいよ任務完了となったのがつい先ほど。ささやかな報酬と休暇をもぎ取って部屋に戻ると、冒頭の通りゼクシオンがすでにそこで待っていたのである。
ゼクシオンは言葉少なく、先程の熱情はどこへ隠してしまったのかおとなしくそこに佇んでいる。
俯くその姿にどことなく違和感を感じていたが、やがてその正体に気付いてマールーシャは眉をひそめる。
「お前、何を着ている」
そして同時に気付いた。見上げるゼクシオンのその目の奥に、はっきりと熱を宿していることに。
彼が纏うのは十三人の機関員が皆同じくして持っているコートだが、ゼクシオンが今着てるそれは随分とサイズが大きい。袖はたっぷりとしてその手を隠していたし、裾は床に引きずっている。袖口から覗くのは細く白い指だった。
「コート、お借りしてました」
すましていうとゼクシオンはそのまま深く埋まるように襟刳を引き寄せた。すう、と深く吸い込んでから息をつくその目は、熱をもってさらにとろりとゆるむ。彼のそういった甘える仕草は珍しく、悲しいことに生身に受けることは滅多にない。
本人を前にして、よくもまあそんな煽る真似を。
呆れと、少しの苛立ちと焦燥が入り混じった複雑な思いを制しながらマールーシャは目の前の男を見据えた。目線を落とすと、裾元から見える足は素足だ。
ついさきほど衝動的に治めた欲求が、再び腹の底で煮え始めている。
手袋を外してから手を伸ばして顔に触れた。温かな体温を感じてどこか安堵しながらも、その先にある熱を欲した。普段は陶器のように白く冷たい印象を与えるこの肌が、ときに燃え上がるような赤をしめすことを、マールーシャは知っている。
頬に手を添わせ輪郭をとらえると、ゼクシオンもこちらを見上げた。確かめるように触れていると、ゼクシオンも手を伸ばしてマールーシャの顔に触れた。自分がしたように、繰り返すように、同じように触れた。
「……傷が」
そういうとゼクシオンは頬の裂傷の上で指を止めた。戦闘を要する際に掠めたのだろう。大した怪我ではない。
「かすり傷だろう」
構わない様子でマールーシャは言うが、ゼクシオンは黙ったまま傷を見つめ、少しのあいだ指で撫でていた。もどかしいその素振りに、自分の中の余裕がすこしずつ削り取られていくのをマールーシャは感じた。
と、不意にゼクシオンが踵を浮かせて伸びあがった。ぐんと近くなったと思った次の瞬間、傷痕に押し当てられる熱に呆然とする。
「勝手に傷つけられては困ります――僕のですから」
静かな声が耳に届いた。
返す言葉が見当たらないでいるうちに、ゼクシオンは再び傷に濡れた唇を寄せる。
遅れて沁みわたっていくその言葉の意味を得て、マールーシャの中で長らく押さえていた欲求に再び火が付いた。
身体を抱き寄せながらコートの前から手を差し込むと、肩に掛けられただけのそれは簡単に剥がれ落ちた。透き通るような白い肌が暗い部屋の中に浮き上がる。生唾を飲み込むとゼクシオンも誘うように手に力をこめた。
熱い身体を押し付け合うようにして何とかベッドまで移動して、ゼクシオンを寝かせてからマールーシャも自分の服を脱ぐ。スライダーを引きおろすのを、こんなに長く感じたことはない。
脱いだものを床に投げ捨てていくその余裕のなさを、眺めているゼクシオンは少し楽しそうだ。さっきは切実そうに、余裕なんてなさそうに身をゆだねていたくせに、いつの間にそんな冷静に相手を見る余裕を得たのだろう。先ほどの戯れで落ち着いたのだろうか。あれしきで満足しているようでは困る。今夜は、長くなるだろうから。
すべて脱ぎ去ってから、おとなしく待っていたゼクシオンに覆いかぶさった。噛みつくようなキスの間にゼクシオンの手が背中に回る。
下腹部に手を伸ばしかけた時、唇を重ねたままゼクシオンがねえ、と声をかけた。まだ、さっきのままですよ。と。
何のことかわからず一瞬動きが止まった。ゼクシオンは頬を紅潮させながら、息を弾ませていう。
「僕の中。さっきしてから、そのままにしてあります」
その意味を頭が理解する前に、ゼクシオンが手を取った。導かれるままその指が彼の後孔に触れたとき、衝撃がドクンとマールーシャの胸を打った。
たやすく入る指。まだ柔らかいそこにまとめて指が数本、すんなりと飲み込まれていく。中は熱く、じっとりと湿っていた。動かすと、まとわりつく粘着質なそれが指を伝う。自分が、この男欲しさに後先も何も考えず放った欲の跡だ。
突き動かされる衝動に指を強く押し込み、知りつくしている彼の弱点をめがけて指を折った。一点を押しつぶすように攻めたてると、ビクンと身体をそらせてゼクシオンは高い声を上げた。しがみつく腕に力がこもり、冷静を欠いて身体は急激に熱を帯びていった。
それでもまだ理性を残した強いまなざしが、鋭くマールーシャを射抜く。
「すぐ入るから……」
そう言いながら、下に伸びたゼクシオンの手がマールーシャの昂りに触れた。耳元で熱に浮かされたように、みじかく声があがる。
「はやく」
ぐつぐつと滾る熱気を腹の底から逃すように、マールーシャは深く息を吐いた。
長い夜になりそうだった。
20210318