美味しい毒のはなし

「ここに、チョコレートが二つある」

 そう言いながらマールーシャはテーブルの上にその品を並べた。ゼクシオンは眼下のそれをじっと見つめる。白い皿の上に、剥き身のチョコレートが二つ。ひとつはシンプルに丸く、純度の高そうなココアパウダーをふんだんにまとって鎮座している。もうひとつは、いやらしいほど真っ赤なコーティングを施されたものだ。輪をかけて悪趣味なことに、ハートの形をしている。
 それらを一瞥してからゼクシオンはじろりとマールーシャを見上げた。

「何かと思えば、くだらないイベントの日でしたか。貴方のお下がりなんて御免ですよ」
「私が用意したんだ。二人で分けようと思って」

 マールーシャは爽やかに言ってのけるが、ゼクシオンの眉間の皺は深く刻まれたままだ。胸やけのしそうな濃厚な甘みも、気取った洋酒の風味も、好きじゃない。そして、自分が好まないものをこの男は好むのだ。つねづね、そうだ。

「そう睨んでくれるな。甘すぎないものにしている。洋酒も使っていない」

 表情にありありと出ていたのであろう、もの言いたげなゼクシオンにマールーシャは苦笑しながら弁明した。胸中を覗き込まれたような居心地の悪さを振り払うように、仕方なくゼクシオンは皿の中をいまいちど覗き込む。チョコレートに罪はない。赤い方は目を向ける気にもなれなかったので、慎ましやかなトリュフに手を伸ばしかけた。

 

「そうだ、言い忘れていたが、そっちは媚薬入りだ」

 

 伸ばしかけた手がぴたりと止まる。そのままの姿勢でゆっくりと、目線だけ相手に向けると、マールーシャは思った通りの表情でこちらを見つめていた。心無き者が、よくこんな愉しそうな表情を作り出せるものだと思わずにはいられない。

「そんな物騒なもの、いったいどこで」
「独自のルートで」

 より一層信用ならない返事にゼクシオンはため息をついた。
 皿の上のそれを見据える。慎ましやかだと思っていた黒々しいトリュフが、急に言いようのない妖しさを孕んでみえた。そのまま視線をずらして目をやれば、隣では対照的に誘うような赤がつやめいている。

「……こっちにもおかしなものを混ぜ込んでるんですか」
「そちらには何も入っていない。……まあしいて言えば、」

 マールーシャはそう言うとひょいと赤をつまみ上げてゼクシオンに差し出して言う。

「私からの、愛を込めて」

 どういう精神状態ならばこんな言葉をしゃあしゃあと言ってのけられるのだろう。ゼクシオンは言って尚堂々としている眼前の男を異生物でも見るような目つきで眺めた。脳みその代わりに花でも詰まっているのかもしれない。
 妙なことを言われた矢先に受け取りづらくはあったが、可笑しなクスリの入ったチョコレートを選ぶわけにもいかず、また目の前に差し出されたそれをマールーシャもひっこめる様子がないため、おずおずと手を出して真っ赤な物体を受け取ろうとした。

 

「ちなみに、お前が食べなかったほうは私が食べる」

 

 聞き捨てならない台詞に、ゼクシオンは受け取りかけた手を瞬時にひっこめた。

「なんだ、最初に言っただろう。二人で分けるために用意したんだ」

 そういうとマールーシャは手に持った赤をテーブルに戻した。
 皿の上には、再び二つのチョコレートが並ぶ。脳内では瞬時にシミュレーションが展開される。得体のしれないものを、まがい物とはいえ自分の身体に入れるなんてとんでもない。自分が何をしでかすかもわからずに、おいそれと口にするなど。……では、彼にこれを? 自分で用意したものだからか、マールーシャは平然と構えている。自分が辞退すれば躊躇いなく彼の口に放り込まれるだろう。しかし、媚薬だか何だか知らないが、彼の中で何かが増強されたとして、そんな彼を相手にすることを考えると――ゼクシオンは戦慄する――まず間違いなく明日はない。

「茶番ですね。他にもまだ何か隠してるんですか」
「これで情報は全部だ」
「悪趣味」
「お前も楽しんでいるだろう」
「僕が?」

 冗談もたいがいに、と、次の言葉が口をつく前にゼクシオンの声は失われた。目に見えぬ速さで伸びてきたマールーシャの手が喉元を捉えていたのだ。

「脈が速い。それに、体温もあがっている」

 突然の出来事に何が起きたかもわからず、ゼクシオンは息を飲むことしかできない。手のひらの圧を首に感じ、急にどくどくと自身の脈拍をいやというほどに感じた。指先に力が加えられ、今度は逆に血の気が引く。

「どちらも捨てがたいな? それには同意見だが」

 殺気だった雰囲気に似合わない優しい笑顔を見せてから、マールーシャは手の力を緩めた。ふらついたゼクシオンの身体を、今度は優しく引き寄せて耳元で囁く。

「選ばせてやろう。私は、紳士だから」


 こんな酔狂な紳士がいてたまるか、と忌々しい思いを精いっぱい込めてゼクシオンはマールーシャを睨んだ。が、こんなことをしても相手は喜ぶだけなので、いよいよ腹を決めた方がよさそうだ。

「媚薬のまわった僕を、満足させられるんですか?」

 挑発的な発言がお気に召したのか、マールーシャはよりたのしそうに目を細めた。

「すぐにわかることだ」

 短くそういうと、マールーシャはチョコレート一粒取り上げてゼクシオンの口元にあてがった。強引ではないが、決して逃れることを許さない手つき。まだ口に入れていないのに、身体が熱くなった気がした。
 薄く唇を開き、押し込まれるがままゼクシオンは黒い媚薬を受け入れた。ざらりと舌にまとわりつくパウダーの触感を押し退けて、濃厚な味が口いっぱいに広がる。何が甘さ控えめだ、吐き気がするほど甘い。鼻に抜ける香りに眩暈がする。これが、媚薬の味?

 チョコレートのついた指先まで舐めさせられ、口のなかのものをすっかり飲み下したゼクシオンは尚も強気にマールーシャを睨み上げた。
 皿の上に残った赤をみとめると、手を伸ばして掴み取る。毒々しいほどに赤いそれを自身の前歯で挟んで伸びあがった。身体が熱い。でも、相手も同じくらいもう熱くなっていた。

「……楽しみましょうね」

 本当に媚薬が入っていたのか、わからない。けれど、どちらでもよかった。
 唇に噛みつかれる寸前、触れるほど近くで見た彼の目の中で燃える青い炎に、ゼクシオンはもうかれる気でいたのだから。

 


20210214

 

タイトル配布元『icca』様