はるほたる

 四季のあるワールドに赴いた手土産にとマールーシャが部屋に持ち込んだのは、細い棒切れ数本だった。何の冗談かと思ったが、どうやら稀少な花の木の枝らしい。
 お仲間の腕を手折るなんて悪趣味だとゼクシオンが非難めいた言葉をぶつけると、これは木を手入れしている職人に分けてもらったのだとマールーシャは説明した。光と栄養がすみずみまで行き届くように、美しく花を咲かせるために、時期を見定めて余分な枝を切り落とすのだという。任務を終えた帰り、丁度その場に出くわしたのだと。

「この世界には存在しない、貴重なものだ」
「その棒切れのはなしですか? それとも――」

 そういってゼクシオンがじろりと目をやったのは、マールーシャの腕に抱えられた一本の瓶。透明な水を湛え、底に沈むにつれてうすにごりの色を帯びている。

「その世界では、満開になった花の下で酒を飲む習慣があるらしい。サクラを見ながら飲む酒は格別だと、親切な御仁が分けてくれた」
「はあ……」

 彼が口にした聞きなれないその花の名は、さらりと軽い音なのにゼクシオンの耳のなかで沈み込むようにゆっくりと浸透していった。さくら。確かに美しい響きかもしれない。再びマールーシャの手の中にある木の枝をみつめ、その名を戴く樹木が花開く姿を想像する。
 遊んでばかりいて、ちゃんと任務はこなしたのでしょうね、と聞けど、彼は涼しい顔で微笑むだけ。きっとお得意の上辺だけ優雅な振る舞いで、親切な御仁とやらをたらしこんだにちがいない。

「というわけで、ご一緒に花見酒でもいかがだろうか、策士殿」

 何が“というわけで”だ。枝見酒の間違いだろう、この天然人たらし。
 恭しく聞いておきながら一歩も引くつもりはないようで、締め出されぬようブーツの爪先はしっかりと扉を押さえており梃子でも動かないことは一目瞭然。
 ため息をついてゼクシオンは部屋のドアを広く開け、マールーシャを招き入れた。

 

「花見酒というなら、花のついたものを貰ってきたらよかったのに」

 小言を言いながら、ゼクシオンは注がれるがままに盃に酒をもらい受けた。全く準備のいいことで、何処で調達したんだか酒用の小さな盃まで用意してくるのだからこの男の周到さには毎度驚かされる。
 くだんの枝は二人の間で静かに活けられていた。根もない木の枝だけれど、転がしておくのも気が引けたので、適当なコップに水を入れて挿しておいた。優雅な枝見酒に呆れながら酒を一口啜ると、確かに味は悪くない。ゼクシオンが淡々と飲み進めるのを気に入ったと解釈したようで、マールーシャも満足そうだ。自分の分を注ぐと、彼もまた静かに盃に口を付けた。花見とは言い難いものの、窓の外には大きく輝く月のようなそれがあるおかげで存外悪くない雰囲気のなかでの酒盛りと相成った。

 酒の肴にマールーシャが赴いたワールドの話を聞いた。さくらという花は風の向きや気温の変化を敏感に捉え、花開くことでひとつの季節に終わりをもたらすらしい。そうして一斉に咲いたそれらが散るとき、まるで吹雪のように花弁が吹き乱れる情景を雪に喩えて花吹雪と呼ぶのだとマールーシャはうっとりと語った。

「散りゆく姿さえ美しい。興味があるだろう」
「まあ、それなりに」
「見に行くか」
「……その必要はなさそうですけど」

 ゼクシオンはそう言ってテーブルの上を指した。
 いつのまにか細いばかりだった枝の先にぽつぽつと蕾がついて、いくつかは小さく花開いている。おやおや、とわざとらしく驚いて見せるマールーシャに呆れて目を向けた。

「ちょっと飲みすぎじゃないですか。ちゃんとコントロールしてくださいよ」
「良い酒の席だからだろうな」

 マールーシャが微笑むとまたひとつ、小さな蕾がぽっと花開いた。彼のつかさどる能力が独り歩きしているのか、あるいは花の方が勝手に彼に呼応しているのか、色々と駄々洩れだ。こんなにわかりやすいのも珍しい、とゼクシオンは考えながら花をつけた木の枝を見つめた。初めて見るその小さな花は、白かと思いきやよく見ると薄く桃色に色づいていた。顔を近づけても香りはせず、上品で慎ましやかな印象を受けた。これが、さくら。

「……こんな光の届かない世界では長く生きられないでしょうに」

 ゼクシオンは呟いた。きっと一晩ももたないだろう。明るい世界で人々に見上げられながら開花するはずだったのに、こんな暗い世界に連れてこられてしまって。可哀想、なんて心にもない言葉が思わず口をついて出た。
 それを聞いたマールーシャは、はてと首を傾げる。

「短い命を燃やす姿は美しいじゃないか」
「意外と薄情なんですね」
「形あるものにはいつか終わりが訪れるものだ。しかしその姿を見た誰かが覚えていれば、その者の中で生きながらることができよう」
「……そういうものでしょうか」
「花とは、そういうものだ」

 マールーシャはそう言って慎ましやかな花の枝に盃を掲げた。

「だから、私とお前がこのサクラのことを覚えていればいいんだ」

 ふうん、とゼクシオンは曖昧に相槌を打つ。わかったようなわからないような、そっと隣りの男を見やると、やはり酒が回っているのか上機嫌な横顔が愛おしそうにさくらの花を眺めていた。か細い枝に灯った小さな花は、すぐに弱弱しく一枚の花弁を散らした。あまりに儚く静謐なその色を目に焼き付けておこうと、ゼクシオンは無意識に努めていた。

 見つめたさくらの花のそばを、ふわりと小さな光がよぎる。マールーシャは驚いた様子でゼクシオンを見た。

「幻術か? そっちもなかなか上機嫌じゃないか」
「良い酒の席ですから」

 ゼクシオンは前を向いたまま肩を竦めた。どうやら自分もそれなりに酒が回っているらしい。

 慎ましやかなさくらを背景に舞う弱い光は、季節外れの蛍のように儚げに明滅していた。
 悪くない組み合わせだ。どちらも良質な水が必要ですね。そんなことを言い合いながらゼクシオンは手を伸ばすと二人の間に置かれた酒瓶を取り上げ、マールーシャにの方に向けた。
 マールーシャは満足そうに盃を上げ、注がれるまま貰い受ける。

「ありがたき幸せ」
「心があれば、ね」

 そんな言葉を交わしながら二人静かに盃を合わせ、この日初めての乾杯をした。

 

20210425