028 部屋の中で手がつめたくて

 雪が降りそうな寒い夜だった。
 仕事終わりのマールーシャと待ち合わせて食事を済ませた後、二人はゼクシオンの家にやってきていた。

「部屋が温まるまで少し時間がかかりますよ」

 エアコンのリモコンを操作しながらゼクシオンは言った。

「おたくとは違ってエアコンは手動ですから」

 以前マールーシャが外出先からスマートホンを操作して部屋のエアコンを起動しているのを見た時は純粋に驚いた。家に帰ると温かい部屋が迎えてくれて、文明の最先端を行くその様子にただただ感心したものである。もちろん自分の学生アパートにそのような最新家電があるわけもないので、帰ってきてリモコンを手に取って電源を入れた次第だ。
 コートを預かってから、彼を部屋に通してゼクシオンは小さなキッチンに立った。温かい飲み物でも淹れようとやかんを火にかける。

「この部屋に来るのは久しぶりだな」

 マールーシャは慣れた様子でワンルームのゼクシオンのベッドに腰掛けながら部屋を見渡した。

「相変わらず何もなくて、つまらないでしょう」
「でも、それがいい」

 マールーシャのくつろいだ様子をみるに、お世辞ではなく本心なのだろう。
 二人で会うときは外で過ごすかマールーシャの部屋で過ごすことが多かったし、学生用の安アパートは何かと気を使う点も多かったりもして(例えば壁が薄いだとか)、二人の時間を過ごすときはほかの場所を選びがちだった。それでもマールーシャはこの部屋が好きだと言ってたまに来たがったものだ。大きなテレビがあるわけでもない、洒落たインテリアでもない、質素な部屋なのに、とゼクシオンは彼がそう言うたびに不思議に思うのだった。

 ほどなくしてふつふつとやかんから音が聞こえてくる。火の近くは暖かいが、部屋は狭いくせになかなか暖まらない。エアコンが古いせいだろう、と考えながらゼクシオンが両手を擦り合わせていると、突然後ろから伸びてきた腕に捉えられていた。いつのまにかマールーシャが後ろに来ていたのだ。

「寒いか」
「え、あ、少し」

 突然の気配に驚いたままゼクシオンが答えると、マールーシャの手がそのまま自分の手を包み込んだ。体温の高い手のひらからじんわりと温かさが伝わってくる。なんだかいつもと少し雰囲気の違う彼の様子に、どうしたのだろうとゼクシオンは怪訝に思った。

「卒業したら出るんだろう、この部屋」

 後ろからゼクシオンを抱いたままマールーシャは囁くように問い掛けた。

「まあ、そうなりますね」

 大学の斡旋で借りているこの部屋は、最初から卒業したら出るつもりでいた。大学への通学には便利だが都心に出るには少し不便なところもあり、なによりもマールーシャの部屋に行き来しているうちにもう少しグレードアップした部屋に住みたいと思うようになってきたのが真意だ。しっかりと防音の効いた部屋で、もう少し広くなったらベッドも少し大きいものに買い替えて、気兼ねなく恋人を部屋に呼べたらいいなどと少しばかり下心を持ちながらも、新しい引っ越し先を考えるのは楽しいものだった。まだしばらく先にはなるが、就職が決まり次第動き出そうと考えていたし、そのことはマールーシャにも前々から話していた。

「次の部屋を探すときは」

 握られた手にほんの少し力が入るのを感じたとき、ゼクシオンはマールーシャが緊張していることに気付いた。

「一緒に住まないか」
「えっ」

 思わず上ずった声が出た。急な申し出に言葉を失いながらも、このタイミングか、とどこか冷静な自分もいた。
 彼との同棲を、もちろん考えたことがないわけではない。付き合いも長くなってきて、初期のような熱情的な感情は落ち着きつつあるものの、マールーシャへの気持ちは変わらず優しく熱をもったままだ。長く一緒にいるうちにお互いのことをよく知ったつもりになって、でもまだまだ知りたくて。ゼクシオンとしては、同棲の前にもっとマールーシャの家の近くに移り住むことで段階を踏んでいくつもりだったので、思ったよりも早い提案に驚いているのが本音だ。

「就職したら最初は色々大変だろうから、一緒にいられたら力になれることもあるだろうし。入社するまえに生活を落ち着けるのもいいだろうと思って」

 緊張からなのか、何も言わないでいるうちにまくしたてるようにマールーシャは理由を並べた。

「……急、ですね」
「そう思うか?」

 そういうとマールーシャは更に抱く腕に力をこめて呟いた。

「もう十分待ったつもりだ」

 ゼクシオンは脳内で二人の過去を少し振り返った。多くの時間を一緒に過ごした数年間は、長いようで短く感じられた。あっという間に月日は流れていく、と自分が感じている傍ら、いつか一緒に住む日を心待ちにしてくれていたのかと思うと、恋人が愛しくてたまらなかった。

「……そうですね」

 やがてゼクシオンは返事をしながら手を握り返した。

「一緒に、住みたい」
「そうか」

 よかった、というマールーシャの声にも安堵がにじみ出ており、とすんと肩に頭を預けられる感触が心地よかった。ゼクシオンももたれるようにしてその頭にこつ、とじぶんの額を当てた。
 遅れてじわじわと多幸感が湧き上がる。何故だか泣きそうにすらなっているその表情を見せまいと、ゼクシオンは自分を抱くその腕に顔を埋めた。
 絡んだ指先から、冷たかった両手はじんわりと温かくなっていった。

 


今日の116
部屋の中で手がつめたくて擦り合わせていたら、後ろから両手をとられる。指を絡めてしばらく握っていたら温かくなった。