◆オールド浪漫 - 1/2
待ち合わせの喫茶店で、ゼクシオンはいつもコーヒーを頼んでいる。基本はホットコーヒー、暑いと稀にアイスコーヒー、くらいのバリエーションしか見たことがない。
「他のものもおいしいのに」
「……そう言うあなたこそ、いつも同じものを頼んでいますよね?」
コーヒーカップを口元に運びながら、ゼクシオンのほうこそ呆れたような口調だった。
これがいいんだよ、と豪語するデミックスのお気に入りは、断然クリームソーダだ。丁度運ばれてきてごとりと目の前に置かれたのは、目の覚めるような鮮やかなグリーンを湛えたグラス。たっぷり乗せてもらったアイスクリームの頂上には、赤いさくらんぼがちょんと乗っている。はじける爽快な炭酸と優しい甘さのアイスクリームはもはや黄金比だ、とうっとりと見つめるのに対し、ゼクシオンはそんなデミックスを興味深げに眺めている。
ここはレトロな喫茶店。テーブル席は少なく、カウンターの中でマスターがコーヒーを淹れてくれる、今ではかなり珍しいタイプの喫茶店である。フラスコのようなコーヒー器具がカウンターの上に並んでいて、本格的な雰囲気を醸し出している。自家焙煎の豆をその場で挽いてくれるというその店は、いつも扉を開けた瞬間から香ばしい焙煎豆の匂いが漂っていて、コーヒーに詳しくないデミックスでもその空間を楽しむことができた。
店内にはマスターのほかにはウェイターがひとり、いたりいなかったりする。いないことの方が多いかもしれない。閑散とした店を切り盛りするには十分のように思えた。大学の近くということで昔はもっと栄えていたようだが、駅前に流行りのコーヒースタンドができるとほとんどの学生の興味はそちらに向いてしまったのだ。
そんな中でも、二人はこの喫茶店を愛用し続けている。待ち合わせの場所にするだけのときもあるし、他に客がいなければノートを広げ課題をこなすこともある。店は古いけれど掃除は行き届いていたし、どこか落ち着く。ゼクシオンもこの店を気に入っているようで、聞けば一人でも利用することがあるみたいだった。
待ち合わせをするときは一番奥のテーブル席がお決まりの定位置だ。たいていはデミックスがゼクシオンを待っていることが多い。というのは単純に授業数の問題である。講義をたくさん取っているゼクシオンを、空きコマの多いデミックスが待っていることが多いというだけのことだ。ちなみにこれまでにゼクシオンが待ち合わせ時間に遅れてきたことは一度もない。
そして、自他ともに認めるルーズなデミックスが欠かさずここでの待ち合わせを果たすことが出来るのは、美味しいメニューが目白押しだからに他ならない。お気に入りはクリームソーダ。ナポリタンは大盛で。ぶあついホットケーキはメイプルシロップもたっぷり。それら魅力的なメニューを前にしたら、待ち時間なんてあってないようなものだった。
駅前のスタンドでみんながこぞって買う生クリームとキャラメルソースの乗った長い名前のドリンクにも心惹かれるが、こっちのクリームソーダだって負けていないと思う。長らく愛用しているおかげで気心の知れたマスターはアイスをたくさん乗せてくれるし、真っ赤なさくらんぼをもう一つおまけしてくれる。それをゼクシオンと分けるのがデミックスのひそかな楽しみだ。彼はもちろんさくらんぼが好物なわけではないけれど、最初は半ば押し付けるようにしていたそれを、今では素直に受け取って口に運ぶようになっていた。そんな些細な変化も嬉しい。
ここは人が少ないからいいとゼクシオンは言う。人混みを好まない彼にはうってつけの場所だ。コーヒーもサイフォンで淹れているし、と話すときの彼は少しだけいつもより熱が入る。コーヒーの良し悪しはデミックスにはよくわからないけれど、喧騒から離れた静かな喫茶店で、彼と話したり、彼が本を読むのをただ眺めたりするのは、確かにデミックスにとっても居心地がいいものだった。
「クリームソーダに乗ってるさくらんぼってなんでこんな真っ赤なんだろう。変に甘いし、おもちゃみたい」
柄をつまんで目の高さまで持ち上げながらデミックスは鮮やかな色をしたさくらんぼを凝視する。
「甘いのは、シロップ漬けだからじゃないですか……ああほら、マラスキーノチェリーっていうんですって。収穫したチェリーをまず塩水に漬けて、それから着色剤、シロップ、アルコール、香味料などに漬け込み……」
「あーはいはいはい、そういうのはいいから」
些細な疑問を絶対にそのままにしないゼクシオンが即座に調べあげたなにがしを滔々と読み上げるのを、苦笑しながら止める。
みずみずしさのないおもちゃのような果物らしからぬ姿だけれど、赤いさくらんぼが乗っていないクリームソーダなんて考えられない、とも思う。絶対的に必要な存在。
眼前に揺れる赤いシルエットの向こうにいたゼクシオンが今度は苦笑しているので何かと思えば、目が寄っていますよ、と指摘されてしまった。
長いスプーンで何気なくソーダをかき混ぜているふりをして、渡したさくらんぼをゼクシオンが口に入れるところを盗み見ていた。口に含んだ実がぷつりと柄から離れてゆくさま、丁寧に咀嚼して、紙ナフキンを口元にあてるところまで。飲み下すところまで見たかった、と思う。赤い実が喉を通っていくところを想像するけれど、視線に気付いたゼクシオンが訝しげにこちらを見ているのが分かるので、デミックスも知らん顔して自身の手の中のそれを口のなかに放り込んだ。
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その日、退屈な必修科目の講義が休講になったと知らされたデミックスは、喜び勇んで教室を飛び出した。こんなことなら家で昼まで眠れたのに、とは思うけれど、降って湧いた時間に気持ちは浮き立っていた。
腕に嵌めた時計で時間を確認する。ゼクシオンとの待ち合わせは彼の方の講義が終わったあとなので、まだたっぷり時間もある。いつもの喫茶店で何か食べながら、マスターとおしゃべりでもして時間を潰そうか。カウンターでマスターが豆を挽いたりグラスを磨いたり、そんなことを眺めながら過ごす時間もよいものである。そんなことを考えていたら、もう足は店の方へと向いていた。こんな暑い日はクリームソーダもさぞや美味しいことだろう。
大学を出て横断歩道を渡れば、道を挟んですぐのところに店がある。多くの学生は古い店構えには目もくれず駅を目指して通り過ぎていく。なんだか穴場のようで、そんなところもデミックスは気に入っていた。自分と彼の共有するささやかな秘密。
厳かな木枠の扉を押し開けて、軽やかなドアベルの音に迎えられながらデミックスはカウンターの中のマスターに挨拶をする。「今日はずいぶん早いんだね」とマスターは驚いていた。
「急に授業が休講になってさ、小テストの予定だったけど勉強してなかったからラッキー。あ、クリームソーダお願いします! あとドリアも」
そう言ってデミックスはカウンターの回転椅子に腰掛けようと椅子の背に手を置いた。
「同じ授業っていうわけでもないのに、珍しいこともあるね」
「なんの話?」
「彼もほら、休講だってもう来てるから」
「えっ」
マスターが店の奥を指すのに、デミックスは座ろうしたと妙な姿勢のまま奥を振り返った。視線の先、いつものテーブル席に、ゼクシオンが座っていた。向こうも急なデミックスの登場に驚いているようだった。
だがそれよりもデミックスを更に驚かせたのは、ゼクシオンの前に置かれたグラスだ。
「……それ、コーヒーフロート?」
背の高いフロートグラスになみなみと注がれた黒い液体の上に、控えめながらもアイスクリームが乗せられている。用意されたばかりなのか、まだ手を付けていないようだ。ゼクシオンがこういったものを頼むのを見るのは初めてだったので、デミックスは物珍しげに彼とその前のグラスとを見比べた。ゼクシオンはいたずらがばれた子供のように気まずそうにしている。
「今日暑いし……マスターがサービスしてくれるっていうから……」
「そんな隠れるように飲まなくたっていいのに!」
ゼクシオンの向かいに――いつもの定位置に座りながら、デミックスは彼の弁解めいた言葉を笑った。
いつも澄ました陶器のコーヒーカップが彼の前にある所ばかり見ていたので、背の高いグラスの頂上に鎮座するアイスクリームはなんだか彼のイメージとはちぐはぐにみえた。でも、悪くない、と思う。
「甘いもの嫌いなのかと思ってた。コーヒーもブラックばっかりだし」
「そんなことないですよ。いつも美味しそうに飲んでるなと思って、むしろちょっと気になっていました」
遠慮がちに混ぜるスプーンの先で、黒と白とが少しずつその境界を曖昧にしていった。
ゼクシオンが何気ないつもりで発したであろうその言葉は、そうやって溶け込んでいくようにデミックスの中に浸透していく。
モノトーンのグラスに何かが足りないことに気付いて、デミックスは、あ、と声を上げた。
「コーヒーフロートにはさくらんぼついてないんだね」
「ああ、断ったんです」
当たり前のようにそう言うゼクシオンを、デミックスはじっと見ていた。伏せられた睫毛が長いのに見とれていた。
「君がいつもくれるから」
注文したクリームソーダが運ばれてきた。さくらんぼは二つ乗っている。
20230918
タイトル配布元『icca』様