011 夕日
※3後、未練たらたら
明るい夕日に照らされた道を、イェンツォは足早に歩く。秋の空気は冷たく澄んでいて心地が良く、高く広い空は黄昏時のあたたかな色を塗り広げている。最近では陽の落ちるのが早くなった。季節の移ろいを感じて空を見上げることは、窓のない研究施設での機器に囲まれた日常と相反して風情があって良いものだと柄にもなく感じた。買い出しの任務真っ直中でなければ足を止めてもう少しこの空気と暮れなずむ町並みを堪能したいところではあるが、手荷物の中の氷菓子が溶けてしまう前に賢者の元へと戻らねばならない。気分転換に外を歩くのもいいだろうと送り出してくれた賢者の気遣いに感謝しながら、イェンツォは石畳の路面を進む。
前方から少女が歩いてくるのが見えた。この街で花を売っている少女だ。籠にたくさんの花を挿している。売り歩いているのだろうか。
両手一杯に買い出しの品を抱えているため花を買う余裕はなかったが、すれ違いざまに微笑んで挨拶してくれる少女にイェンツォも会釈を返した。すれ違いざま、爽やかな秋の花の香りがしてイェンツォは思わず歩みを緩めかける。
嗅覚とは不思議なもので、特定の香りがふとした瞬間に昔の記憶を呼び起こすなどという事はよくあることだ。花の香りは特に顕著で、イェンツォは未だ過去の幻影に囚われている自分を自覚して一人苦笑する。プルースト効果、という言葉を思い出した。ミッションを無事遂行したら、今日は紅茶とマドレーヌでティータイムにするのも良いかもしれない。帰り際、城門でエレウスに会ったら相談してみよう。
あれこれ考えているうちに、やっぱり花を買って帰ろうかという気分になったイェンツォは、花売りの少女がまだ近くにいるだろうかと道を振り返った。すでに小さくなりかけているその背中に声を掛けようとして、ふと横にあるものに気付いてイェンツォは一瞬目を疑った。
黒く背の高い影がそこにある。見上げるほどの黒に思わずイェンツォは立ち尽くしたが、しかしすぐにそれが夕日に照らされた自分自身から伸びる影が壁に映し出されたものだという事に気付く。
……疲れているのだろうか、とイェンツォは頭を抱えた。花の香りにとどまらず、自身の影すら見紛うとは。やりきれない思いを押しやってやっとのことで顔を上げるが、花売りの少女の姿はもうそこにはない。
自身の影から顔を背けて再び歩き出すと、沈みかけた赤い残光はやたらと目に沁みた。
お題『夕日』/116前提11←イェ