或る発火点、至る臨界点 - 1/2

 マールーシャが降り立ったワールドは、広大な森に囲まれた世界だった。立ち込める霧のせいで寒々しく、どこか怪しい雰囲気。少し足を進めると、たちまち前も後ろもわからなくなってしまいそうである。森の奥から発生しているようである濃厚な霧は、進むにつれ更に濃く深くなっていく。
 道に迷う心配はそうないにしろ(最終的にはいずれの場所からでも闇の回廊で帰還すればいい話である)、この状況下で同行者とはぐれることは命取りになるかもしれないな、と考えながらマールーシャは後ろを振り返った。仏頂面で不機嫌を隠そうともしないゼクシオンが、背後から睨みを利かせていた。

 本日の任務は大型ハートレスの掃討である。機関が目を付けたワールドには、調査部隊の報告によると森の奥に巣食ったハートレスの大群に加え、それらを束ねる主のような大物が潜んでいるという。この地を手中に入れておきたい機関員としては、排除すべき見逃せない情報であった。
 調査の報告を受け、すぐに戦闘要員としてマールーシャが派遣されることになった。マールーシャはお安い御用とばかりに二つ返事で了承したものの、状況を聞くに助っ人がいたほうが効率がよいと提案する。交渉の結果、調査チームを統率していたゼクシオンとともに現場に向かうことになったのであった。

「まったく、どうして僕がこんなことに巻き込まれなくてはならないんですか」

 急に駆り出されたゼクシオンは不満そうである。調査任務を終えれば彼の役目は終わりのはずなので無理もない。

「これくらいなら貴方一人で十分でしょう」
「私の能力を評価してくれるのは嬉しいが、二人で取り組んだ方が効率的だと思わないか。殊更、この地の調査任務を請け負ったのは貴方だと聞いている。多少でも土地鑑があるものがいた方がこちらにとってもありがたい」
「どうだか。もっと戦闘に向いている機関員がほかにいると思いますけどね」

 戦闘を要する任務を好まないゼクシオンはいやそうな顔を隠そうともしないので、マールーシャは苦笑する。

「そう言ってくれるな。二人で臨む任務も、そうない機会じゃないか」

 とりなすように言うと、ゼクシオンはちらりとこちらに目線を送った。長い前髪の間からわずかに覗く右眼と目が合う。深い色をたたえるその眼差しに隠れる彼の思惑を読み取ろうとするが、目が合ったのは僅か、ゼクシオンはすぐ視線を外して静かに溜息をついた。

「もっと穏やかな任務にお誘いいただきたかったものですね」
「穏やかに進むよう努めよう」
「……もういいです、さっさと済ませましょう」

 腹をくくったようにゼクシオンは背筋を伸ばすと、敵の根城へと足を踏み入れていった。

 鬱蒼とした森の中を進むと、影に紛れてすぐに小さなハートレスが現れだした。なんということのないピュアブラッドだ。弱小ではあるが群をなし、次から次へとわき出てくるのが厄介なエネミーだが、ゼクシオンはそれらを顔色一つ変えず魔法で蹴散らしていく。特別臨戦態勢をとることもなく、目線をくれるだけで周囲の小さなハートレスたちは断末魔をあげる間もなく裁かれていった。まるでただ歩いているだけのようにすら見えた。率先して先を進みながら一帯のハートレスを駆除していくのに、マールーシャはあとから悠々とついていくばかりだ。

「本当に大型ハートレスがでるのか? これでは私の出番はなさそうだな」
「貴方のその活躍ぶりは報告書にしっかり書いて差し上げますからね、覚悟しておくといいですよ」
「早く済んだら残りの時間は好きに過ごしていいのだったな。どうだろう、この後の時間をご一緒しても」
「御花畑もたいがいに……あ」

 ゼクシオンが声を上げたのと、背後から地鳴りを伴って何者かが沸き上がってくるのとが同時だった。振り向くと、黒い形を成した巨大なハートレスがこちらを見下ろしていた。ダークサイドか。小さな山くらいはありそうだ。しっかりと二本の脚で地を踏みしめて、両の眼には暗い光を宿してマールーシャとゼクシオンを見据えている。突然あたりの空気が変わり、散り散りに動いていた小さなハートレスたちも、急激に敵意を増してマールーシャとゼクシオンを囲い始めた。

「ふん、そうこなくてはな」

 マールーシャは愉快そうにそう言って敵に向かいその全貌を見据える。

「いいからさっさと討伐してください、これは貴方の任務ですからね」
「言われなくとも」

 そういうが早いか、マールーシャは地を蹴った。手にはすでに鎌が握られていた。瞬時に間合いを詰め、敵の懐に入り込み鎌を振るう。紅の花びらが舞い上がり、周囲の小さなハートレスの大半はその風圧だけで身を裂かれ消滅した。
 刃先に手応えを感じなかった。見れば敵は見事に攻撃をかわしている。図体の割に俊敏に動くことができるらしい。マールーシャは鎌を握り直すと再び相手に向かって飛んだ。二撃、三撃と畳みかけるように桃色の刃で切りつける。今度は間違いなく相手の体幹をとらえた。けれど、巨体は思った以上に頑丈で刃が通りきらない。一度距離をとり相手をうかがうが、変わらず荒々しく威嚇してくる様子を見るに、大したダメージには至っていないらしい。

「下がりなさい」

 背後からゼクシオンの声が飛んだ。さっきまでの冷めた表情とは一転して、少しはやる気もでたのであろう、闘志を浮かべたまなざしでゼクシオンは上級魔法の詠唱をしている。マールーシャが避けるやいなや、青い閃光が一直線にハートレスに伸び、そして貫通した。ばちばちと青い電光があたりにはじけ、敵の咆哮があたりにこだまする。そのまま地響きを伴いながら崩れ膝を折った。
 ゼクシオンの隣まで下がりマールーシャは敵を見据えたまま問う。

「雷が弱点か?」
「どうでしょう……足止めくらいにはなりそうですけど、致命傷には至っていないようですね」

 冷静な観察の通り、一度は動きを止めたハートレスは攻撃がやむとすぐに体制を持ち直した。
 ゼクシオンははあ、と溜息をつく。

「長引くのは御免ですよ」
「同感だ」

 そう言うと二人とも目を合わさずに、けれど同時に武器を構えた。ピュアブラッドらも殺気立って二人を取り巻いている。
 瞬時にあたりに火が上がった。ゼクシオンの魔法が周囲のハートレスたちを一掃するその合間を縫って、マールーシャは再びダークサイドの間合いまで一気に距離を詰める。素早さではこちらに大いに分がある。一撃が弱いのならば、手数を増やせばいいのだ。マールーシャは標的を敵の下腿に定めて集中的に狙った。素早くはないけれど、動きを封じるに越したことはない。
 敵の攻撃をかわしながらマールーシャが手を緩めずに攻撃を続けていると、やがて蓄積ダメージで限界に達したのか敵は片膝を地についた。頭の位置が下がる。

(もらった)

 マールーシャは敵の頭部めがけて武器を大きく振りかぶる――が。

「っ?!」

 目の眩む閃光がこちらめがけて伸びてきたのを、マールーシャは後ろに飛びのいて間一髪で避ける。閃光の攻撃を受けて、ダークサイドは野太い咆哮をあげた。見れば、ゼクシオンが放った魔法だ。

「おい、邪魔をするな。私がいるのが見えなかったのか」
「邪魔なのはそっちでしょう、なにをそんなにもたついているんです」

 ゼクシオンはマールーシャを睨んだ。一帯の小型ハートレス等は彼の手によって戦滅されたらしく、合流してきたようだった。

「誰のおかげで攻撃が当たったと思っている。足止めをしたのは私だ」
「周囲の足止めをしたのは僕ですけどね」
「貴様はチームワークというものを学んでこなかったのか」
「指図はやめてください。貴方が仕留めきれないなら僕が仕留めるだけの話――」

 言葉の続きは不意に断たれた。打撃音が響いたと同時、ゼクシオンが吹き飛んだ。突如伸びてきた攻撃を直に受けたのだ。

「ゼクシオン?!」

 マールーシャも不意打ちに思わず声を上げるが、木々の先まで吹き飛ばされたゼクシオンからは返事が返ってこない。向かおうかと逡巡するも、続いて伸びてくる攻撃の手はマールーシャを狙いだした。なんとか逃れ振り返ると、いきり立ったダークサイドが先ほどにも増して憎悪に燃えていた。遠くの策士様には聞こえぬよう、マールーシャは控えめに舌打ちをする。どうやらそれなりの相手らしい。仲間割れなど起こしている場合ではない。

「策士様はせいぜい木陰で休んでいたらいい。後は私が引き受けよう」

 よく聞こえるように後ろに向かって声を張ってから、マールーシャは改めて敵と対峙する。さきほどマールーシャが与えた蓄積ダメージに加え、ゼクシオンの強力な魔法が与えた一撃はそれなりにダメージを与えたようではあるが、それは同時に敵の怒りのボルテージをも増大させていた。繰り出す攻撃も範囲が広がり、威力も明らかに上がっている。
 飛んでくる魔力の攻撃を避けながら、マールーシャは再び鎌を振りかざす。相手の片手が鎌の攻撃を受け止めた。マールーシャの速攻を受け止めるのを見るに素早さもあがっているようだ。空いた片手に魔力を込め始めたのが見える。めきめきと強大な威力が集まっていくのが見える。しかし……

「背後が疎かだな」

 ふっと光がかすめたかと思うと、空いたわき腹のあたりから火柱があがった。マールーシャが後ろへ飛び退いた直後、敵が火柱に包まれる。断末魔をあげながらダークサイドはその場でうずくまった。やれやれとマールーシャは振り返る。

「性懲りもなく人がいるというのに容赦のない人だ」

 視線の先には、ゼクシオンが仁王立ちしていた。痛々しく顔に傷を負い血を流しているものの、その目は静かな怒りを灯し燃えていた。マールーシャになど目もくれず、もう次の攻撃の詠唱を始めている。立て続けに繰り出される上級魔法に、ダークサイドはいよいよ撤退の姿勢を見せる。けれど、それでもゼクシオンは攻撃の手を緩めようとしない。
 普段の冷めた様子と一転して熱いところを初めて目の当たりにしていた。容赦の無さは、しかし冷徹そのものだ。マールーシャは興味深くゼクシオンを見つめた。

「おい、そっちは崖だぞ」

 マールーシャが声を上げるが、聞こえているのかいないのか、ゼクシオンは自らデッドエンドへと飛び込み相手を追い詰めていく。
 追撃に次ぐ追撃を受け、ついに敵は最後の咆哮をあげると、ぼろぼろと身を崩し始めた。屈強だった身体も輪郭が崩れ、影となり霧散していく。
 やったか、と思ったのも束の間、同時に二人の立つ地面にも大きな亀裂が走った。ほどなくして足元が揺らぎ、地面の一部が崩れだす。足元の地盤が崩落していく中で、ゼクシオンの身体が傾いたのが見える。

「ゼクシオン!」

 追いかけるようにして飛ぶと、手を伸ばし宙に浮く体躯を捕まえ抱え込んだ。片手で構えた鎌を地肌に突き立てる。鎌は崖を削りながらずるずるとそのまま沈んだが、やがて深々と刺さったまま動きを止めた。足下は奈落だ。ゼクシオンを抱えたまま宙にぶらさがった姿勢でマールーシャは溜息をつく。

「全く……手の掛かる奴だ」

 マールーシャの腕に抱えられながら、ゼクシオンはまだ目を爛々とさせて息を弾ませていた。