最初で最後の夜 - 1/3

 月の明るい夜だった。
 その夜、ゼクシオンは忘却の城内にて最上階へと伸びる階段を上っていた。しんとしずまりかえった城内に、かつんかつんと大理石を踏む自分の足音のみが響く。窓から差し込む月明かりが一面真っ白な壁を照らして夜なのに眩しい。全身黒ずくめの自分がそぐわないこの空間が何とも居心地が悪く、目的地に向かい足早に進んだ。

 光の勇者がこの城に誘い込まれてから数日がたっていた。さらにその光の勇者に誘われるようにしてリクがこの城に足を踏み入れたのも時同じころだ。
 地上と地下に分かれそれぞれの思惑で動いていた機関員も、一人また一人と光の力に打ち破れていた。地上・地下ともに勢力は破綻寸前、それに加え一部機関員に反逆容疑までかかっている。お世辞にも状況はいいとは言えない。
 そんな中、ゼクシオンが突然沸き起こった得体のしれない感情に突き動かされるようにして部屋を飛び出したのは数分前のことだ。
 彼に会わなくてはいけない、と、その意志だけを胸に抱き、最上階を目指し忘却の城を闊歩する。

「これはこれは、ゼクシオン殿」
 突如声をかけられ、足を止める。見上げれば、桃色の髪の毛を揺らした男が欄干から身を乗り出してこちらを見降ろしていた。
 城主マールーシャ。自分が探し求めていた相手に他ならない。
「こんな時間に散歩か? 仲間を亡くし寂しくなったか」
 軽い調子でそういうと、ゆったりとした足取りでこちらに向かって階段を下りてくる。無神経な発言にきつく睨み返すが、視線に気づいたマールーシャはこともなげに笑みを漏らした。
「貴方がこんなところに来るなんて珍しい。この先になにか御用でも?」
 わかりきったことを、とゼクシオンは内心舌打ちしたい気分になる。この先最上階にはマールーシャの私室があるのみだ。
「貴方に会いに来ました」
「失意はわかるが、作戦会議なら悪いが今はその気分ではないな」
 そっぽを向くようにマールーシャはふいと目線をはずした。人を馬鹿にしたような稚拙な態度にゼクシオンはイライラと答える。
「任務の話ではありません」
「では任務ではなく、一個人として私に話があると」
 マールーシャはそういうと今度は楽しそうにゼクシオンをみやる。まったくもって釈然としない言い方であるが、事実なので否定の余地もない。
「今夜は貴方に会うべきだと急に思い立ったもので」
 素直にここに来た理由を述べると、マールーシャは意外そうに目を大きく開いた。
「神のお告げか?」
「ただの勘です」
 馬鹿にされるだろう、と踏んだものの、マールーシャは意外にもまじめな顔つきになると少し考え込むようなそぶりを見せた。
「普段は冷静で論理的な貴方にもそんな衝動的なところがあるとは知らなかったな」
「僕も自分で驚いていますよ」
「回廊も使わずにわざわざ階段を上っていらしたのか」
 地下の闇へと続く螺旋状の階段を覗き込みながら感心したようにマールーシャはつぶやく。
「それならば私ももっと早く部屋を出るべきだったな」
「……なにか、他に御用でもありましたか」
 少しばつが悪そうにゼクシオンは聞いた。自分の感情に突き動かされて一方的に押しかけてみたものの、彼が用事で部屋をあけていたらすれ違っているところだと今更ながら気づいた。そんなことまで頭が回らないだなんて、今夜はやっぱりおかしい。
 欄干から身を引くと穏やかに笑みながらマールーシャはゼクシオンに向きなおる。
「ちょうど貴方を迎えに行くところだった」

 

+++

 少し歩こうか、と連れられて外に出た。
 外に出られるところがあるのも驚きだったが、出た先の光景にゼクシオンは思わず息をのむ。煌々と月に照らされたそこはあちこちに植物が蔓延り、さながら小さな庭園のようだった。蔦や葉が生い茂っているが、よく見れば手入れはされているようで、奥では見事な花が大輪を咲かせている。
「こんな場所が……」
「お気に召したか? 貴方ならいつでもご招待する」
「……草弄りする暇があるなんて、地上側の機関員はプライベートも充実しておいでですね」
 皮肉を込めて言うものの、マールーシャは穏やかに笑うばかりだ。目線を合わせるようにゼクシオンを覗き込む。
「ここなら邪魔は入らない。用件を聞こうか」
「え?」
「私に会いに来たのだろう。何か話があるのではないのか」
「……あー……」
 特別話したい話題があるわけではなかった。本当に衝動のまま足を運んでしまったことを、マールーシャはやはり信じ切れていないようだ。
 問い詰めたいことがないわけではない。マールーシャの反逆疑惑は地下メンバーの中でも注意して扱うべき問題として注視していた。機関の結束が危ぶまれる今、彼の野心を暴くことは得策か否か──。野心?聞いて呆れる、心もないくせに。機関を裏切って貴方がしたいことは何なのか。
 ぐるぐると思惑を巡らせているうちに、マールーシャの視線は植物たちへと移っていた。慈しむような眼差しで枝の間に咲いた小さな花を眺めている。
「こうして並んで話をするのは初めてだな」
 ゼクシオンが口をつぐんだままでいるとマールーシャは花をいじりながら声を掛けた。
「そうでしょうか」
「そうとも。せっかく同じ任務に就いたというのに、貴方は地下に籠ってばかりだ」
 やれやれとマールーシャは頭を振る。
「あの城は眩しすぎるんですよ。薄暗い地下のほうが僕にはあっています」
「そうだろうか?」
 そういうとマールーシャは視線を花から逸らし身体をこちらに向けた。つられて相手を見上げると、大事な花々を眺めていたその眼差しが自分に向いている。
「こんなに美しいのに」
 そう言いながら指先がゼクシオンの前髪を払う。露わになった両眼がマールーシャを捉えた。蒼い瞳が……美しい。
 指先はそのまま頬に触れ、滑るようにして顎を捉えると軽く上へと持ち上げられた。
「光の届かない地下に置いておくのは実に惜しい」
 じっと見つめられて言葉を失う。吸い込まれるようにしてゼクシオンはマールーシャの瞳に見入っていた。
 言葉もなく随分長くそうしていたような気がする。
「もう一度聞こうか」
 目を見据えたままマールーシャが問う。胸の内がざわめく。
「なぜ私のもとへ訪れたのだ、ゼクシオン」
 名を呼ぶ声は低く耳に響く。脳を焦がすような声と真っすぐな眼差しに背筋がぞくぞくする。
 ゼクシオンは観念した。
「貴方に、会いたかった」
 マールーシャは途端、ふ、と柔らかく微笑んだ。指が唇のふちをそっとなぞる。
「それが本当ならこの上なく嬉しいお言葉だ」
「……心なんてないくせに」
 ゼクシオンは相手の目を見つめたまま、引き寄せられるように自ら踵を浮かせた。