20分
「全くどうなっているというのだ」
資料の束を机に叩きつけながら声を荒げるのはヴィクセンだ。地上へ赴いた帰りはだいたい気を荒立てているのはもうみんな慣れっこだったが、ここ最近の彼の怒りの矛先は少し違う方向へと向いていた。
「マールーシャはまだ戻っていないのか」
レクセウスは静かに聞くがヴィクセンはイライラとあたりを歩き回るばかりで返事をしない。
マールーシャが本部からの要請で此処、忘却の城を離れてからもう一か月がたとうとしていた。本人以外に詳細は伝えられず、忘却の城での任務の進行にも影響が出始め、無駄に時間だけが過ぎていくことにヴィクセンは我慢ならなかった。毎日のように地上へ行っては彼の不在に地下で不満をまき散らした。
「地上の二人も何も聞かされていないのだろうか」
「ふん、アイツらは城主なきいま野放し状態だ」
忌々しい、と吐き捨てるようにヴィクセンが言う。レクセウスも少し困ったように思案するが、向きなおってもう一人に声をかけた。
「ゼクシオン、何か聞いているか」
「いいえ、何も」
机に向かったまま見向きもせずゼクシオンは答えた。昨夜から火をともしたままの蝋燭は短くなり今にも消えてしまいそうにちらついている。明かりに照らされた顔には隈が濃く浮き上がり、疲労を映し出していた。
このところゼクシオンは何かに取り憑かれたかのように研究に没頭していた。本を読み、ペンを走らせ、まるで必死に気を紛らわせようとしているかのようだった。
「は、遂にくたばったんじゃないのか」
軽口を叩いたヴィクセンは、直後に部屋に響くだん、という大きな音にぎょっとして振り返った。ゼクシオンが機嫌悪そうに本を閉じた音だった。眉間には濃い皺が寄り、ヴィクセンに負けず劣らず不機嫌がありありと出ている。
「その話はもう十分です。聞き飽きました」
静かな怒りを湛えた冷ややかな声色にヴィクセンは思わず反論も忘れて黙った。大きなため息をつくとゼクシオンは椅子の背に深く沈みこんだ。レクセウスが近づいて厳しい顔で覗き込む。
「ゼクシオン、少し休め。寝ずに作業をしているだろう」
「ご心配なさらず。いつも通りですから」
「気を詰めすぎだ。何をそんなに焦っている」
「焦ってなんかいません」
「おい、レクセウスに八つ当たりをするな」
「うるさいですね」
「貴様……!」
レクセウスがいよいよ本気で仲裁に入ろうとしたその時だった。
空間が大きくゆがむ気配の後、闇の回廊が現れる。全員が注視する中、暗闇から背の高い男が現れた。あ、とヴィクセンが声を出す。フードを取り去ると淡く花弁が舞い、渦中の男、マールーシャがそこに立っていた。久しぶりに見る桃色の頭髪は淡い色でふわりと軽やかに跳ねていたが、それに似合わず険しい表情をしている。
「ゼクシオンはいるか」
暗い地下に放たれた声は、疲れているのか、ヴィクセン、ゼクシオンにも引けを取らない不機嫌なものだった。いつもはゆったりと余裕に構え『策士殿』なんて挑発的に呼ぶくせに、今日は鋭く名指しだ。ゼクシオンは立ち上がると睨み返すようにマールーシャを見据えた。
「顔を貸せ」
短くそういうとマールーシャはかつかつと靴を鳴らし足早にドアに向かう。ゼクシオンが迷わず後を追うのを見てレクセウスは思わず間に立った。ヴィクセンも慌ててその背中に毒づくが、耳も貸さずにマールーシャはそのままドアから出て行った。ゼクシオンは扉を睨んだままレクセウスを制する。
「危害を加える気なんてないでしょう。貴方がたは結構、すぐ戻ります」
ゼクシオンがドアを出て辺りを見渡すと、廊下の先にマールーシャが待っているのが見えた。ゼクシオンが一人なのを見ると、ついて来いとばかりに先を進む。走り出したい気持ちを堪えてゼクシオンは足早にその背を追った。
*
「ん……っ、ふ、ぁ」
薄暗くて埃っぽい資料室に静かに響くのは、二人の吐息と絡み合うような水音のみ。息つく間もないくらい夢中で貪るようなキスだった。ゼクシオンもマールーシャも、部屋に入った途端駆け寄るようにして縋りついた。何度も角度を変えるようにしながら舌を吸い、絡めあい、ゼクシオンが酸素不足で耐えきれずマールーシャの胸を強く叩くまでそれは続いた。
「馬鹿、死にます……」
分厚い体躯を押し返し、口元をぬぐいながら息を整えようとするが、マールーシャは構わず抱きすくめる。
「あの場で堪えたのを褒めてもらいたいくらいだ」
「獰猛な目つきで痺れましたよ」
「何日会えなかったと思っている」
二十九日目だ、とゼクシオンは胸の内で即答する。自分だって指折り数えた。
遠征だがなんだか知らないが、マールーシャがゼムナスの急な指令で忘却の城を離れて任務についてからこんなにも戻らなかったのは初めてだった。心配なんてしていないつもりだったが、何の連絡もなく姿を現さないでいる状況が、まさかヴィクセンの言う通り何かあったんじゃないかと思うと気が気でなかった。ここ数日は無理に研究に身を入れて考えないようにしていたくらいだ。
たかだか一か月でこのざまだ。マールーシャの腕の中で、縋るようにもたれながらゼクシオンは小さくため息をついた。自分は彼に依存しているのだろうか、と考えるとなんだか癪に障る。
「もっと早くに終わらせられなかったんですか、能無し」
「なんだ、ひどい言い様だな。私だからこんなに早く終わらせられたのだ」
「僕を同行させてくれたらよかったんです」
「指導者様に言ってくれ」
マールーシャもため息をつく。単独での任務だというのはゼクシオンだって百も承知だ。乱暴な物言いも、ちょっと困らせたかっただけの戯れに過ぎない。
本音を隠すゼクシオンに対してマールーシャは素直なもので、片時も離れようとしない。髪に顔を埋めて甘えるかのような仕草は城主を任された大男には不釣り合いなものだったが、ゼクシオンは嫌ではなかった。彼も会えない日々を自分と同じ気持ちでいてくれたのだろうか、と思うと尖った気持ちも少し和らぐ。
「なんにせよご無事のようで何よりです。しばらくはまたこちらに?」
「一度本部に戻って報告書を出したら、だな」
マールーシャはそういうとゼクシオンの前髪を掻き上げて両目を覗き込んだ。
「顔色が悪いぞ。寝ていないのか」
「最近は、そうですね、少し寝不足かも」
「私が戻るまでによく休んでおけ」
「また行ってしまうんですね」
「すぐ戻るためだ。夜には帰る」
「……わかりました。気を付けて」
「なので、ゼクシオン」
また夜に、と言おうとしてゼクシオンは自分の両手首を握られていることに気づく。見上げると、マールーシャがまっすぐにこちらを見つめていた。
「今、もう少し時間を都合できないか」
「え……」
マールーシャの目は熱っぽくて見つめられるだけで体が火照りそうだ。言葉を意味に気づいてゼクシオンは焦る。
「え、今からですか? え、ここ、で?」
無言の眼差しは真剣で、ゼクシオンも気持ちが揺らぐ。感動の再会により気分が盛り上がってしまったのはゼクシオンも同じだ。したくないわけじゃない、けど、こんな埃の溜まった資料室で、当然ベッドもないし、でも部屋に行く時間もないし、何よりヴィクセンとレクセウスを待たせている。すぐに戻るといった手前、あまりにも戻らなければ探しに来かねない。
「でも、あまり遅くなると……」
「20分でいい」
マールーシャは耳元に口を寄せて囁いた。
「今、欲しい」
ずっと欲しかった彼のぬくもりが、声が、耳に触れて流れ込んでくる。素直に求められるのにゼクシオンは弱かった。拒否の言葉が出ないのをいいことにマールーシャはゼクシオンの手を引いて埃っぽい机の上に座らせた。固くて古い机はぎぃと音を立ててたわむ。
「身体痛くなりそう……」
「堪忍してくれ」
「あの、他にどこか」
「顔を見たいんだ」
正面からこちらを見つめる瞳は雄々しくも優しい。手袋を外してマールーシャは言うと、素手でゼクシオンの顔に触れた。冷たくて硬い革の手袋ではない、血の通った体温が気持ちいい。手は大鎌を振り回しているせいかごつごつとかたく豆ができているが、そっと触れてくれる手の平からは優しさが感じられた。ゼクシオンは観念した。
指が唇に触れ、なぞり、開くように促されると、求められるままゼクシオンは口を開けて節くれだった指を深く咥え込んだ。唾液をたっぷり含んで指を舐める。指は舌を撫でるように口の中を優しく掻き混ぜた。この指が、これから、と思うと下半身に熱が集まる感覚に思わず身震いする。指がふやけてしまうほど舐るとマールーシャはそれを引き抜いた。コートをのファスナーを下ろしてから目で訴えるのをみて、ゼクシオンは黙って自らズボンを下ろした。
下着ごと膝上まで下ろすと、視界が反転する。仰向けに倒され、机上から埃が舞った。中途半端に脱いだ服が足の自由を奪っているが、マールーシャは構わず足を上げさせて、露わになった秘部に濡れた指をゆっくり沈めた。
「ん」
自分の指以外の何かが後ろに触れるのは久しぶりで、ゼクシオンは沸き立つ期待に肩を震わせる。時間がないのと余裕もないのとで、いつもより強引に体をこじ開けられる。指の動きは荒く、唾液をぬりこめるように入り口を擦り上げ、指を掛けて広げるように抜き差しされると、ゼクシオンの身体も期待を露わにかくかくと揺れる。
「ぅ……早く……時間が……」
「急くな」
ツプと指が引き抜かれたあと、ガチャガチャと雑にベルトを外す音が聞こえる。マールーシャの息使いが荒いのに更に興奮を煽られる。はやく、はやく。もどかしくて、待つ間に自ら靴とはだけた服を脱ぎ捨てようとブーツの踵を擦り合わせる。それだけで飽き足らず、自分の陰茎を握りこむ。息を漏らしながら上下に扱くと、痺れるような刺激に目の前がチカチカと瞬く。薄く開いた唇からは嗚咽が漏れる。もう、ほしくてたまらないのだ。
足が自由になったのと、その足を掴んで広げられたのはほぼ同時だった。ぬる、と熱い昂ぶりを肌に感じると、そのまま肉を割り開いて剛直を捻じ込まれた。
「あぁっ…!! あ、はっ……」
圧倒されるような質量が狭い肉壁を擦り上げながら侵入してくるのをゼクシオンは背を反らせて受け入れた。潤滑剤の足りない結合部は侵入者をこれでもかと締めあげ、マールーシャも思わず声をもらす。
「くっ……きつい、な」
「い、痛……!はっ、はあ、んん……」
「すまない、一度抜くか」
「んっ、いや、だめ……いいからっ……」
ぶんぶんと首を振るも、本当は半ば強引に進められて、圧迫感に息が苦しい。痛みに思わず涙がこぼれる。手が伸びて来て、ゼクシオンの顔を覆う前髪をそっと払った。優しい手つきに胸がきゅぅと締め付けられる。
ゆっくりと慣らすように、少しずつ前後する合間にマールーシャは問い掛ける。
「一人遊びは、していなかったのか……?」
「はっ? な……っするわけ……!」
「しなかったのか?」
「……っ、……、…………し、た」
そりゃあ、した。冷たくて暗い地下の部屋で、隣部屋の二人に知れないよう頭まで布団を被り、会えない恋人を思いながら一人身体を火照らせる寂しい遊びはこの上ない背徳感に苛まれた。自分の指ではあの愉悦感を再現できなくて、結局満足しきれずに終わってしまったことを思い出す。身体の芯がじわぁと熱を生成し、顔が熱い。
わかっていながら聞いてくる彼の意地の悪さに憤りながら、弱弱しく睨みつけた。憎たらしい男だ、優しかったり意地悪かったり、まるで人の心を知り尽くしているかのようで。
だから、夢中になってしまう。
「素直でいい子だ」
涼しい顔で満足そうに目を細めるとマールーシャは顔を近づけて、動いていいか、と囁く。息を震わせながらゼクシオンはこくりと頷いた。マールーシャは指先で目尻にたまった涙を拭うと、そっと後頭部に手を回した。身体をゆっくりと深部まで沈められ、喉からは押し出された吐息に乗って高い声が部屋に響いた。
穏やかに律動が始まるとゼクシオンは揺さぶられるがまま全身でマールーシャに集中する。荒い息、後頭部に感じる手の温もり、覆いかぶさる分厚い躯体、足の間の痛み。その奥でさらなる刺激を待つ疼き。絶対口になんて出さないけれど、本当はずっと待っていた、彼に抱かれるのを。
突かれるたびに上がる声は徐々に色を帯びていく。だんだんとよくなっていくのに気持ちはどこか切なくて、マールーシャの首に腕を回してキスをねだった。絡み合う舌は熱く、下腹部の刺激と相まって、脳が沸騰してしまいそうだ。
「ゼクシオン、いいか、このまま」
力強い動きの中で余裕のない声が降ってくる。吐息が熱くてクラクラする。挿入されたそれをググッと奥に突き立てられ、脈動を体内に感じるとゼクシオンは何も考えられず、しがみつくようにして頷いた。
ゼクシオンの返事にマールーシャは息をついてそっとまぶたにキスを落とす。動きは激しさを増しゼクシオンの思考を完全に支配した。古い木の机がガタガタと音を立てて揺れる。 壊れてしまう、壊れてしまえばいい。今二人を止められるものなんて、ない。
「あ、マールーシャ……ん、いきそ、あ、あっ……!」
返事の代わりに噛みつくようなキス。歯がぶつかりあうのがもどかしく、必死で舌を絡めた。
夢中でお互いを求めあう時間は短くも永遠にも感じられ、力強く抱きしめるとマールーシャはゼクシオンの中で果てた。熱を勢いよく注がれる感覚に、ゼクシオンもまた身体を痙攣させて絶頂の渦にのまれていった。待ち望んだ彼の熱に、このまま溶けてしまいそうだった。
息を鎮めながらマールーシャが身を起こす。まだ熱を保った肉棒を引き抜かれゼクシオンは、あ、と切なげな声をあげた。もっとこうしていたかった。けれど、放たれた精が後孔からどろりと溢れる感覚に、急速に現実に引き戻される。
「……これどうするつもりです」
「……何も考えてなかった」
「……はぁ」
「……何か拭くものを」
「早急にお願いします」
ゼクシオンはまだ横たわり胸を上下させながら部屋の時計に目をやる。
「……19分ですか」
「時間内だろう」
「早漏」
「おい」
「服を着るところまで入れるならアウトでしょうね」
ため息をついてゼクシオンは自分の腕を掲げてみる。黒いコートは埃にまみれて汚らしく真っ白だ。脱ぎ捨てたブーツとズボンも床に落ちて無惨に埃の餌食に違いない。二人への言い訳を考えねばとぼんやりしていると、先に身なりを整えたマールーシャが近寄いてゼクシオンを起こし、身体についた汚れを払った。
「夜はもっと優しくする」
「どうせがっつくんでしょう」
「……それがご要望か?」
ふん、と鼻で笑うマールーシャはいつもの調子を取り戻している。戻ってきた二人の日常に、ゼクシオンも僅かに頬を緩ませた。
「そうですね。もっと激しいのをお待ちしてます」
時計の針が進むのに気づかないふりをして、ゼクシオンはもう一度キスをねだった。
20190423