花宿す貴方へ - 1/5
「うっ……ぐ、ぇえッ…!!」
膝を床につき、気道を塞ごうとするそれを外へ押しやろうと舌を突き出すようにして喉を開く。情けない声とともに胃液がせりあがる。再び喉元まで充満したそれらを抑えきれずに激しくえづくと、手の中の赤と同じものが口から雨のように降り注いだ。受け止めきれないそれは手から溢れかえり足元をも染めあげる。
彼のことを考えまいとすればするほど、潜在的に意識したと判断した脳は体内での花の生成を促した。『花吐き病』とはそういうものだ。
ひとしきり吐き散らした後、口内に張り付いた花弁を剥がすようにして取り除く。花弁は血のように赤い。
一目見た時からマールーシャは彼に惹きつけられてやまなかった。形貌に限った話ではない。聡明な眼差し、柔らかい物腰なのに芯のある振る舞い、それでいてノーバディの名に恥じぬ非情な性格。若くして随分面白いノーバディがいたものだ、と出会った頃の彼への気持ちはただの興味本位程度のものだった。
十三機関の古参メンバーの彼、ゼクシオンとは戦闘タイプも正反対で、もっぱら研究者気質の彼とは共同の任務を振り当てられることもこれまでなかった。遠くに彼を見つけては目で追うばかりの日々。だから忘却の城での任務を請け負った際、同伴する機関員のリストの中に彼の名を見付けたときは胸の中に静かに高揚を感じたのをよく覚えている。
任務をこなしていくうえで当然共に行動する時間が増え、相手のことを少しずつ知っていくことを、心が無いながらに楽しんでいたのかもしれない。もちろん相手はそんな自分の思惑など露ほども知りはしなかっただろう。誰に対しても冷静で淡々とした応対は変わらず自分に対しても向けられていたし、何なら殊更自分に対しては一層の警戒姿勢すら感じられた。きっちりと線を引いて、深く関わらないように注意深くこちらの様子を伺っている様は、なんと滑稽で、いじらしいことか。
体調に異変が起き始めたのは、興味が執着へと変わった頃だった。
独特の艶を帯びた声色、刺すように冷たい視線も、いつしか彼の何もかもが欲しくてたまらなくなった。閉じ込めて独占してしまいたかった。純粋な興味で見ていたはずの彼を手に入れたいと歪んだ欲望が胸の内に芽生えた時、突如込み上げた強い嘔気にむせ込んだマールーシャの手に零れ落ちたのはひとひらの花弁だった。それが、初めて花を吐いた夜のこと。
一目惚れだなんて、例え心があったとしても笑えない。それでも彼を見ればせり上がる気持ちは増すばかりで、部屋に一人になれば嘔気をこらえることができず、症状は日を追うごとに悪化した。
「花に呪われるとは、何の因果なのだろうな」
自嘲気味に吐いた言葉は一人の部屋に静かに響く。花弁は床に散らばり、点とその色を残した。