秘密 - 1/4

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 今日も今日とて機関員は任務に向かう。
 その日の朝、ロクサスはシオンと並んで任務を受けるためにロビーに向かって城の廊下を歩いていた。たまたま部屋を出たところで一緒になったのだ。長い廊下には二人しかおらず、こつこつと踵が冷たい床を叩く音が響くのみの静かな空間を黙って歩いていた。二人そろって朝は得意な方かといえばそうでもなかったので当然といえば当然だろうが、それにしても今日のシオンはどこか気もそぞろな様子だ。話しかけても上の空で曖昧な返事ばかりが返ってきた。まだ眠いのだろうか。などと考えている折、ふと前方から誰かがやってくるのにロクサスは気付いた。背の高いその人影は大股で堂々と歩いている。

「あ、マールーシャ」

 No.11のマールーシャだった。出掛けるところなのか、フードを手繰り寄せている様子だ。ロクサスが何気なくその名を口にすると、それまでぼんやりとしていたシオンははっと顔色を変えて足早にロクサスの陰に隠れた。

「どうしたシオン?」

 珍しく過敏に反応を見せるシオンにロクサスは戸惑うが、シオンは答えずに表情の硬いままロクサスの陰で黙っている。
 そうこうしているうちにマールーシャはすぐ近くまで来ていた。すれ違いざま、優美に微笑みながら「おはようロクサス、シオン」と二人を見下ろす。ロクサスは普段通りの調子で挨拶を返すものの、シオンはロクサスのコートをギュッと握りながら、恐々とマールーシャから顔を背けるように俯いたまま何も言わない。

「おやおや、嫌われたものだな」

 マールーシャは肩をすくめながらそう言うと、ロクサスが何か言う前にその場を離れていった。後に、花のような甘い香りがふわりと漂う。

「シオン……? マールーシャに何かされたのか?」
「……そうじゃない、けど」

 歯切れの悪い返事をしながらシオンはこっそりとロクサスの陰からマールーシャの歩いて行った方を伺った。ロクサスもつられて廊下の先を見るも、黒いコートの後ろ姿はすでにそこにはなかった。花の香りすら残っていなかった。

 

 

 黄昏時、いつもの時計台で、いつもの時間。任務を終えたロクサスとシオンはいつも通りアクセルと落ち合い、今日のご褒美のシーソルトアイスを分け合う。アイスを食べながら話すのは他愛ない話ばかりだ。その日の任務の話、次の休暇にしたいこと、海に行く約束。
 話を振れど、三人でいるというのにシオンはやっぱりどこか元気がない。アクセルも不思議そうにしているのを見てふと今朝の出来事を思い出したロクサスは、アクセルにその話をした。一日を通して元気のなかったシオンをロクサスは何とかしてやりたかったのだ。シオンは表情に影を落としたままだ。

「マールーシャと接点なんてあったか?」

 アクセルは頭を掻きながらシオンに尋ねる。確かにその二人の並んだ絵面はいまいち思い浮かばない。二人で任務に同行したことはなかったはずである。アクセルに聞かれたシオンはむう、と一層悩ましげな表情になる。言い出すか悩んでいる様子だったが、悩みは親友に相談するものだ、と諭されるとやがてぽつぽつと話し始めた。

「昨日の夜、ゼクシオンの部屋に行ったの」

 マールーシャの話をしているのに突如出てきた男の名前を聞いた瞬間、アクセルはこの件に関わってしまったことを早くも後悔した。ロクサスは突然の登場人物に目に見えるようにはてなマークを飛ばしている。

「ゼクシオン? なんであいつがでてくるんだ?」
「ご本を借りてたの。魔法の勉強に読みなさいって言われてたんだけど、返しにお部屋まで行ったら、中から声が聞こえて」

 まったく話の展開がわからずに先を促すロクサスと、話を聞き続けるべきか止めるべきか悩んでいるアクセル。

「ちょっとだけドア開けてみたら、マールーシャがいたの」
「へー、あの二人仲よかったのか、知らなかった」
「違うと思う……だって……」

 シオンはそう言いながら拳を膝の上で握る。

「ゼクシオン、泣いてた……」
「?!」
「?!」

 アクセルは頭を抱えてうなだれた。お兄さんがた……子供たちの前で何してくれちゃってんの……?
 動揺を隠せないアクセルの隣でロクサスも困惑の表情だ。

「な、泣いてた? ゼクシオンって泣くの?」
「ほ、ほら、あれじゃねーか? 任務でヘマして落ち込んでるところをマールーシャが慰めてたとか」

 なんで俺がフォローしなきゃなんねーんだ……と思いつつも、純真無垢な子供たちに変な疑念を抱かせるわけにはいかない。アクセルは必死に取り繕うように意見を述べるものの、

「違う! だってゼクシオン嫌がってた!」

 あ、アウトな奴ですねこれ。

「痛い、やだ、ってきこえたもん」
「な、何してたんだ……?」

 ただ事ではなさそうな状況にロクサスも戦慄している様子である。

「マールーシャの背中でよく見えなかったから」

 よくわからない、と首を振ってシオンはまた俯いた。

「それで、びっくりして後ずさったら床が軋んで、マールーシャがこっちみたの。そうしたら」

 シオンはそういうと人差し指を立てて唇の前に当てる。

「こうやって、ニヤって笑ったの……」

 まるで怪談でも聞かされているかのように、アクセルとロクサスはシオンの話を聞いて思わず身震いをした。

「それで、怖くなって帰ってきちゃった」
「それは俺も怖いわ……」
「ゼクシオン、大丈夫だったのかな」

 純粋にゼクシオンの心配をしているシオンにアクセルの胸はきりりと痛んだ。

「きっとマールーシャはゼクシオンをいじめてるんだよ……! アクセル、なんとかならない?」
「俺?! なんで?!」
「アクセルはマールーシャの先輩でしょ?!」
「いやでもあの二人にはちょっと関わりたくな――」
「ゼクシオンがかわいそうだよ……」

 必死なシオンを見ると、無いはずの心が動かされる気がする。俺も大概かわいそうなんだが……
 はあぁ……と重苦しい溜息を吐くと、アクセルは腕を伸ばしてぽんとシオンの頭に手を置いた。

「わーったよ。マールーシャには俺から言っといてやるから」
「……! ありがとう、アクセル!」

 ふわ、と笑うシオンを見ると、アクセルもどこかまんざらではなかった。どうも親友には弱い。仕方ねえなあ、と笑うとアクセルはくしゃりとシオンの前髪を撫でた。

「そんで、結局本は返せたのか?」
「まだ……渡しそびれちゃって」
「じゃーそれも俺が預かるから。帰ったら持って来いよ」
「うん!」
「よかったなシオン。アイス溶けちゃうぞ」
「あっ、いけない」

 いつもの調子に戻ったシオンにロクサスも安堵した様子だった。そんな二人を見下ろしながら、アクセルはこの厄介な任務を思ってもう一度溜息をついた。

 

 

「……だそうだぜ」
「レディはお優しいな」
「僕、泣いてませんから」

 ロビーでたまたま二人でいるところを見かけたアクセルは、ことのあらましをマールーシャとゼクシオンに説明した。どんどん不機嫌そうな顔になっていくゼクシオンの隣で、マールーシャはくすくすと笑っている。

「ゼクシオンはシオンにあとで礼を言っておけよ。本気で心配してたみたいだぜ」
「……ふん、心なんてないくせに」
「照れてる」
「照れてるな」
「照れてません」

噛みつくようにいいながらもゼクシオンはぐしゃりと髪の毛を掻き上げて何やら思案している様子だった。

「では私は怖がらせてしまったお詫びを彼女に」
「お前は何もしないほうがいいと思うぜ」

 すっと花を生成するマールーシャを牽制しながら分厚い本をロビーの机に置くと、腕を組んでアクセルは二人を見やる。

「で? あんま聞きたくねーけど真相は?」

 いくら二人ができていたとしても、十四人もが一つ屋根の下にいる場で、まさか鍵も閉めずにことに及ぶなんてことはあるまい。
 マールーシャとゼクシオンはちらと目を合わせるも、ゼクシオンはすぐにその視線を外して不機嫌そうな声を出した。

「アクセルにやって差し上げたらどうです、アレ」
「アレ?」
「アレか」

 マールーシャはにや、と口角を上げる。あ、嫌な予感しかしない。

「アクセル、ソファに上がれ」
「え、いや俺まだ承諾してな……あっ何逃げてやがるゼクシオン!」
「ご武運を」

 ゼクシオンは涼しげな顔でひらひらと手を振りながらもう長い廊下に向かっていた。

「心配することはないぞアクセル」

 アクセルの背後からパキパキと指の骨を鳴らしながらマールーシャは薄く笑みを浮かべた。

「最初は優しくしてやる」
「……ヒエ……」

 

 

 任務を終えて帰還したデミックスがロビーに降り立つと、なにやらソファのところが賑やかしい。アクセルの悲鳴にも似た叫び声が、城中に聞こえそうなくらいに反響していた。

「いてエェェギブギブギブ!!」
「あれ、アクセルとマルちゃん。なにやってんのそれ、足つぼマッサージ?」
「浮腫みがひどいぞアクセル。体を冷やすと血流が悪くなる。しばらくアイスは控えたほうがいい」
「オカンかよお前はいだだだだだ!」
「えー楽しそう! 俺もやって! 俺もやって!!」

 

 マールーシャの足つぼマッサージはしばらく盛況したと言う。

8(……あ……なんか足だいぶ楽かも……)