三夜 - 3/4
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駅前のショットバーは若者で賑わっていた。店内は照明を絞りカウンター席には色とりどりの酒瓶を並べてそれらしい雰囲気を作っていたが、言ってしまえば大衆居酒屋とほとんど同じだ。この手の店にしてはテーブル席が多いゆえに若者に人気で、そこそこの人数のグループ客で賑わっていた。バーに入る敷居を低くしたいというコンセプトで経営しているらしく、この賑わいを見るにその点においては成功しているのだろう。近くのチェーン居酒屋で腹を満たしつつアルコールを摂取して勢いづいてきたグループが、二軒目に入ることのできる気軽なものだ。気に入りのオーセンティックバーの落ち着いた雰囲気とはまた別もので、流行りのポップスをBGMに客の大半が陽気に話す声で賑わっていた。酒に酔いながら雰囲気を楽しむといった系統の店ではないが、それはそれでこういった店も他にない趣があるものだ。人間観察には事欠かない。
そんな賑やかな店の中で、マールーシャはカウンター席に座り一人でグラスを傾けていた。彼の華やかさは人目を引いた。くつろいでいる様子ではあったが姿勢はよく、それでいてアルコールがまわっているのかぼんやりと遠くを見つめるような横顔。隙があるようなないような、どこかミステリアスな雰囲気にみんなちらちらと視線を送っている。一人で飲みくる客も他になくはなかったが、その中でも彼は目立っていた。
遠くから二人組の女がちらちらと目線を送ってはなにやら話している。お近付きになりたいとでも考えているのか、やがて席を立つと二人揃ってマールーシャの横に立った。よかったらあっちで一緒に飲みませんかあ、と間延びした語尾が聞こえる。瞬くときに音が聞こえそうなくらい長い睫毛。この時間になっても崩れていない巻き髪。露出の高い服。きっとこうやってお目当ての男性を落とすために用意されたものだろう。おそらくは顔面偏差値もそこそこなものに違いない。周りにいる酔っ払った男子学生がこんな女性に声を駆けられたらホイホイついていっても仕方ないだろう。けれどマールーシャは微笑んで一言、人を待っているんだ、と答えた。さらりとかわしたかに思えたが、余裕たっぷりのマールーシャの見せた笑顔にすっかり夢中になってしまったらしい女性らは、一歩も引く気配を見せずむしろ身を乗り出して、じゃあその人が来るまで、などと粘りを見せている。マールーシャは物腰柔らかに誘いを受け流しているが、彼の一挙一動にいちいち色めきだち、二人組が立ち去る様子はない。マールーシャが大人しいのに乗じてカウンターに手を付いて身を乗り出し、このまま放っておいたら腕にでも触れかねない。
傍観者として一部始終を眺めていたゼクシオンはため息をついてテーブル席を立つと、つかつかと歩み寄ってマールーシャの背後に立った。手に持っていたグラスを横取りしながら「お待たせ」と囁くと、振り返ったマールーシャは驚いた様子で見つめ返してきた。呆れた、彼が入店してから今の今までずっと背後から見つめていたというのに、全く気付いていなかったらしい。
「いつ入ってきたんだ?」
「最初からそこに座ってましたよ。貴方、気付かずカウンターに行ってしまうんですもの」
そう言ってグラスを煽り、半分ぐらい残っていた酒を一気に飲み干してしまった。コニャックだった。芳醇な香りと焼けるような熱さが喉を下っていく。喉から鼻に抜ける華やかな香りを目を瞑って束の間堪能した。瞬時にアルコールが体内を巡り、頭がかあっとあつくなった。ほう、と息をついてマールーシャに向かって微笑んだ。いい酒だった。けれど、もっと上品なところで落ち着いて飲む方が好きだな。
突然現れて自由気ままな振る舞いに呆れたように息をついてから、マールーシャは店員を呼びつけると会計を始めた。周囲も騒がしくなってきたし、とりあえず場所を変えた方がよさそうだ。
ふと見れば、マールーシャに絡んでいた女性らはまだ同じ場所に立ち尽くしたまま呆然とゼクシオンを眺めている。
「ごめんなさい。彼、僕のなので」
艶然と笑ってゼクシオンはそう言い放つと、会計を終えたマールーシャの腕を取った。見せつけるように腕を絡ませると、そのまま颯爽と店を出た。
「ありがとうございます、僕の分も払ってくれたんですね」
「それよりも、なんで声を掛けないんだ。先に入っていたんだろう」
「貴方が一人で飲んでいる姿を眺めるのが楽しくて」
本心だ。色男を眺めながら飲む酒は格別である。それに、飲みながら待つ時間は存外苦ではないのだ。
マールーシャは訝しげに眉をひそめてから、肩越しに出てきた店を振り返った。
「騒がしい店だったな」
「お気に召しませんでした? ああ、絡まれてましたものね。もっと上手にあしらうかと思っていましたよ」
「別に慣れてなんかいないから……それより、腕」
「え?」
店を出てから腕を絡ませたままだった。女共に見せつけるためにと普段はしないのにわざと密着して、そのままだ。
「いいのか、こんな往来で」
「往来といっても人もほとんどいませんし。じゃあもう入りましょうか」
歩いているうちにすっかり賑やかな通りは抜け、辺りは閑静な裏道。数メートル先には、怪しげに光るネオン。飲み屋の類いではない。レストとステイの料金表が恥ずかしげもなく煌々と表示されている。
「いいでしょう、このまま」
そう言ってゼクシオンは絡ませたままの腕に甘えるように頬を寄せた。当然はなからそのつもりのはずだ。自分も、彼も。
マールーシャは何も言わない。