三夜 - 4/4



 『愛してる』だなんて、最も信頼できない言葉だとゼクシオンは思う。特段、セックスの途中で出てくるこの言葉ほど信用ならないものはない。
 そうと理解したうえで、けれどゼクシオンは最中にこの言葉を都合よく多用していた。タイミングさえ間違えなければ、この言葉を使うだけで大抵の相手は思うままに自分を求めてきたからだ。

 両腕で抱いていたマールーシャの身体が震えた。息を詰める瞬間に続いて虚脱していく身体の重みを受け止める。どうやら彼の方も達したらしい。先に果てを極めていたゼクシオンは、うっとりとその余韻に浸りながら彼が自分の中で果てていくのを感じていた。触れる何もかもが熱く、心地よかった。無音の部屋の中で、二人の荒く弾む呼吸だけがしばらくのあいだ聞こえていた。
 息を整えるマールーシャの背に手を回し撫でる。相手の呼吸が落ち着く頃、ゼクシオンは力を込めて抱き寄せると耳元でその言葉を囁いた。それを聞いた相手はピクリと反応を見せ、やがてためらいがちに、しかし同じように腕を回してきた。徐々に強くなる抱擁。寄りかかる重さと温かさ。まさに欲しかったものだ。ゼクシオンはすっかり満足してあやすようにマールーシャの髪を撫でた。

 そうして思い描いていたものを得て優越感を感じる一方で、この男もか、と冷めた思いをどこかで感じている自分もいた。

 

「……満足したか?」
 ゆるりと起き上がってマールーシャはゼクシオンを覗き込んだ。夢見心地のままゼクシオンは微笑んで頷いた。
「最高」
 これは嘘ではない。彼との相性は良かった。こんなにぴったりくる相手に出会えたのは初めてだった。

 初めて一夜を過ごしてから、マールーシャとは連絡を取り合うようになって何度かこうした時間を過ごしている。容姿も体格も、身体の相性も、すべてが好みに合致していた。あの日声を掛けようと思い立ったのは天啓だったのかもしれない。理想の相手に出会えてゼクシオンはすっかり満足していた。
 会話をしているときのマールーシャは生真面目でどこか物固いところもあるような印象も受けるが、そっちの手腕も場数を踏んでいるゼクシオンを退屈させないものだった。遊び慣れているというわけでもなさそうなのに、駆け引きやタイミングをよく心得ていた。相手をよく見ているのだろう。実際彼は視覚情報から興奮を得るタイプらしく、表情の変化や些細な仕草で反応が顕著だ。ゼクシオンもそれを分かって、相手の好きなように振る舞うよう努めようと考えていた。が、下手に演技などする必要はなく、相手に身を任せて素直に快感を表現していればいいのだった。まさに、理想的だ。
 実のところ彼の方は身体を重ねるばかりのこの関係に納得しているようではなさそうだったが、それでもゼクシオンは自分の我を通して彼との関係を割り切ったものとして楽しむことにしている。

「本当かな。まだだいぶ余裕がありそうだけど」

 そう言って目を細めると、マールーシャは腕に抱いたゼクシオンの鼻先をくすぐった。
 事後の気怠さを伴う甘い雰囲気になりかけていた。最中に放ったうわべだけの言葉を真に受けているのか、マールーシャは機嫌がよさそうだった。セックスは好きだけれど、この空気は少し苦手だ。
 ふと、少し意地の悪いことを思いつく。

「……じゃあ、もっと悦ばせてくれますか?」

 ゼクシオンはそう言うと、頬をなでていたマールーシャの手を取りそっと口付けた。そうしてその手を握ったまま、するすると自分の首の位置まで導いた。きょとんとしているマールーシャに構わず、手背から押さえ付けるようにして広いてのひらに自分の首をあてがう。ほら、と手に力を込めた。「僕、これ好きなんですよね」
 さっきまで優しかったマールーシャの表情が強張った。言葉を無くしているのを他所に、ゼクシオンは続ける。

「こうされると頭がぼうっとして、何も考えられなくなる。呼吸もままならず、だんだん音も聞こえなくなって、突かれていることしかわからない。そんな中迎える絶頂は、すごいですよ。今度いくときにしてほしいな。ね、どうです?」

 話しながらつい熱くなってしまい握った手に力を込めたが、逆に相手の手からは力が抜けていくのが分かった。手を離すと、あっけなく離れていく。マールーシャは浮かない顔をして短く言った。

「そんなことはできない」
「……なんだ、つまらない」

 その返事は予想できたものだったけれど、ゼクシオンは露骨に落胆してみせた。

「僕の身体を心配しているのならばそんな必要はありませんよ。これでも男だし、ちょっとくらい乱暴にしたって壊れませんから。貴方とは恋人なわけでもないし、僕のことを大事に扱う必要なんてないんですよ」
「私が大事にしたいんだ」

 マールーシャはきっぱりと言った。

「ふうん、紳士的」

 ゼクシオンの応えは皮肉を含んでいた。高揚はすっかり冷めていた。
 するりと布団を抜け出すと、打ち捨てられていた衣類を集め始めた。

「用も済んだし、今日は帰りますね。気が向いたらまた連絡しますから。それじゃ」

 マールーシャが何か言いたそうにこちらを見ているのが分かったけれど、そちらを見ないようにして手早く身支度を整え、ゼクシオンはそのまま部屋を出た。外の空気の冷たさが身に沁みる。まだ身体がだるかった。もっと余韻に浸っていたかったのに、台無しだ。……当然、自分が悪いのだけど。

 夜明け前、薄暗く誰もいない道をひとり歩きながらゼクシオンは考える。
 自分が身勝手なことを言っているのはわかっている。奔放な振る舞いに愛想を尽かされてしまっても仕方ない。でも彼とはまた必ず会うだろうと確信していた。もちろんまたこうして身体を重ねるために。何故なら彼は自分に好意を持っているからだ。

 何故、大事にしたいなどと思うのだろう。躊躇いのないその言葉と視線に、一瞬狼狽してしまった。そんなことを言われたのは初めてだったからだ。自分が誰かにそんな思いを抱いたこともない。相手との間にあるのは利害の一致。昂った性欲の発散その一点のみ。割り切っているからこそこの時間が楽しいんじゃないか。
 彼からの告白を思い出した。あれも情事の最中だった。信用できるわけない。場に飲まれただけに決まってる。彼が好きなのは、僕とのセックスだ。

 胸中はすっかり冷めきっていたけれど、彼の言葉がどうしても頭に残っては慣れなかった。

 大事にしたいって何だろう。

 見上げた空に、星は少ない。

 

20230209
(20240331加筆修正)