大型ハートレス 前日譚
一通りワールドの散策を終えると、ゼクシオンはメモを取り出して“問題なし”と書き添えた。特筆すべき点もない。
本日ゼクシオンに課されたミッションは新ワールドの調査だ。今後活動の場を新たに開拓していくにあたり、ワールドの形状や環境、生態の調査を行う。洞察力、判断力に優れており、また感覚も人一倍敏感であることから、こういった調査任務はゼクシオンが担うことが多かった。ゼクシオン自身がどちらかと言えば戦闘向きでないところも考慮しての配置もあるだろう。ハートレスが多く生息している地域などでは、調査後に掃討部隊が送られて開拓を進める。こうして十三機関という団体は少しずつ活動の場を広げてきた。
今回のワールドはといえば、幸い強い敵は一切おらず、レキシコンを使うまでもない初級魔法で対処できる程度の小物が多少いる程度だった。温和なワールドであるとの事前情報もあり、あまり回復薬などを持ち込まずに訪れていたため穏便に任務が完了しそうでゼクシオンは安堵していた。
そうと分かれば長居する必要はない。メモをポケットにしまい込み、帰り道を用意しようと宙に手をかざす――と、不意に視界の先に何者かがいることに気付きゼクシオンは手を止め身を固くした。
数メートル先に立っている、黒いシルエット。見慣れた黒は、自分が纏うものと同じ革のコートだった。機関員? ゼクシオンが目を凝らすと、相手はこちらに向かってゆっくりと歩みを進めた。肩に当たって跳ねる桃色の髪の毛が見え、それが最近機関に入ってきたばかりの同胞だとわかる。
「ああ……貴方でしたか、マールーシャ」
正体が判明するも、ゼクシオンは警戒心を緩めずに相手を見据えたまま声をかけた。何故こんなところにいるのだ。別々にワールド調査の任務が用意されていたとは思い難い。この地に用があるはずもないだろう。機関も未開拓の場だ。ならば自分に何か用が? ろくに話したこともないはずだが。加えてこの男、近くにいたのに一切の気配を感じさせなかった。こちらを向いて堂々とした様子はまるで、待ち伏せていたかのようでおぞましい。
嫌な予感を胸に抱きつつもゼクシオンは相手をしっかりと見据える。つい最近機関入りしたばかりの新人、素性がわからない上に戦闘能力も未知数だ。残念なことに体格では相手が優に勝っている。まさかこんなところで初対面同然の男と同士討ちなどするはずないだろうとは思いつつも、侮れない相手だ。
「此処に何の用が? まだ人員追加は頼んでいませんよ」
「貴方が此処での任務と聞いたので、御手伝いに」
「そうでしたか。もう任務は終わりましたので無駄足でしたね」
澄まして言うマールーシャをゼクシオンは冷たくあしらう。手伝いなど建前に決まっている。何を企んでいるのだろう。
「さすが、先輩は仕事がお速い」
「ええ、それでは僕はもう帰りますのでさようなら」
関わらないに越したことはない。特に、こんな人目のつかないワールドで。
そう思った矢先、すらりと刃が空を切る音に思わず振り返ると、マールーシャがその手に武器を構えていた。考えうる最悪の事態が現実に起ころうとしているなとゼクシオンは陰鬱な気持ちになった。どこから現れたのか、あたりに紅色の花弁を纏わせたそれは見たこともないほど大きなサイスだった。趣味の悪い色は頭髪のそれと同じだ。長い柄は鮮やかな緑色をしており、刃の色と合わせてみるとどこか植物を思わせなくもない。こんな物騒な植物なんてお目にかかったことないが。
「……ここには武器を使う必要のある敵はいませんよ」
「そうだろうな。のどかで良いワールドだ」
マールーシャはゆったりとそう言ってのける。表情も穏やかなもので、手に持った鋭利な戦闘武器とはとんだミスマッチだ。あろうことか武器の切っ先はこちらを向いている。今、背中を見せてはいけない。本能がそう感じた。のどかなワールドに不釣り合いなぴんと張り詰めた空気のなかで二人は向かい合って微動だにしない。
「人目を忍んでの逢瀬も容易い」
一瞬たりとも気を抜いたはずなどなかったのに、気付いた時にはもう出遅れていた。目の前から男の姿が消えた、と思った次の瞬間、後ろから耳元にかかる吐息交じりの低い声に全身が粟立つ。振り向く間もなく、背中に襲い来る衝撃にのめるようにしてゼクシオンは地に倒れ込んだ。蹴り飛ばされた? 起き上がろうにも衝撃からくる内臓への圧迫に呼吸ができない。しかし呼吸を整える時間を与えてくれるはずもなく、なんとか顔を上げて見上げればマールーシャは既に至近距離まで来ていて鎌を片手に振り上げている。こちらを見下ろす鋭い眼光は完全に狩る者の目だ。
身を転がすようにしてなんとか一撃を避けるも、鋭い鎌の切っ先は容赦なく地面に深々と突き立てられた。この身に食らっていたら、と思うとゼクシオンはぞっとする。体勢を立て直して距離を取ると、応戦すべく魔力を込めレキシコンを現す。これを使う魔法は消耗が激しい。耐えきれるだろうか。相手がどういうつもりなのかわからないが、武器を取り出したゼクシオンを見たマールーシャが満足そうににたりとその唇を歪めたのを見るに、彼としてはこれが望んだ展開なのだろう。
「貴方の恨みを買うような真似をした覚えはないのですが、何か気に障ることがあったのなら謝ります」
文字通り心にもない言葉ではあったがゼクシオンはそう言って相手の様子を伺う。本当に、どうして初対面も同然の相手からこんな敵意を向けられているのか皆目見当がつかなかった。
「恨みなんてとんでもない」
マールーシャはわざとらしく驚いたような素振りを見せた。そうは言いながらも攻撃の手は緩めない。距離を取っていても放たれる力強いひと振りは、さながら鎌鼬のように風の刃でゼクシオンを四方から切り付けた。鮮やかな花弁が無数に吹き乱れる中、ヒュンと顔の横をかすめたかと思うと、生暖かい感触が頬を伝う。
「しいて言えば、」
速い。大柄な体格とは到底結びつかないようなスピードでマールーシャは間合いを詰めた。胸ぐらを掴まれ、ゼクシオンは思わず歯を食いしばる。拳が飛んでくるかと思いきや、舐めるような視線とかち合うと明るい碧眼を細めてマールーシャは囁くように言った。
「一目惚れ、とでもいうのだろうか」
眼前に立ちふさがるノーバディの大男から発せられる発言とは思い難い単語にゼクシオンは意味が分からずに目を瞬いた。
「貴方にはどこか惹かれるのだ」
微笑みながら発せられるマールーシャの言葉にゼクシオンは脳内で決定を下す。この男、完全に気が違っている。
首にかかる手に掴みかかる。触れたところから激しい火柱が上がったのを見ると、マールーシャは手を放して大きく後ろに飛び退いた。体勢を立て直しながらゼクシオンは素早く考えを巡らせる。炎、弱点だろうか? あまり動じていないようにも見える。動き回るたびに鬱陶しいほど舞う花弁とどこからともなく噴出する茨の影を見るに、彼自身の属性は植物とみて間違いなさそうだ。考えを絞れど有用な手立てを考える猶予はない。すでに体力も消耗し、魔力の残りも少ない。これ以上まともに相手をするのは……と思った矢先、ふっとまた彼が姿を消した。花弁の残像に目を奪われてしまったその隙をついて、眼前に現れたマールーシャが大鎌の柄で突き出す痛烈な一撃が鳩尾に入る。声にならない呻き声をあげてゼクシオンは数メートル吹き飛んだ。
「その程度か、策士殿」
瞬時に追いつかれ、言い捨てるような冷淡な声が真上から降ってくる。そして――
「がァッッ!!」
焼けつくような痛みが右足を貫き、ゼクシオンはその場に打ち伏した。足が捉えられたかのようで身動きが取れない。目を向けると、巨大なサイスの先端が足に突き刺さっているのが見えた。見る間に血があふれ出して、一帯の地に生える野花を赤黒く染め上げる。抜こうと手を伸ばすよりも先に、マールーシャが柄に体重をかけるとサイスはみるみるとその刃を深めた。肉の抉れる感覚と痛みとが足から脳に伝わり、聞くに堪えない絶叫が辺り一帯に響き渡る。
「……ああ、顔を傷つけるつもりはなかったのだが」
すまないことをした、などとしおらしく目を伏せながらマールーシャはかがみこむと、サイスを抜き取り手の内に消した。迸る鮮血がマールーシャのコートを濡らすのも構わずに、動けなくなったゼクシオンを尚も押さえつけ体の自由を奪う。大きな手が強引にゼクシオンの顔を掬いあげるようにして目を合わせた。青い瞳は背筋が凍るほど冷たく、それでいて絡みつくようにねっとりとこちらを捉えて離さない。彼は、自分を殺すのだろうか? 血走った目を向けるゼクシオンに、革の手袋越しに彼の指が唇に触れた。
刹那、思いがけないことが起きた。その身を屈めてマールーシャはゼクシオンにそのまま口付けたのだ。何が起きたのかわからなかった。身体を押さえつける力とは裏腹に、触れる唇はあまりに柔らかい。マールーシャが再び顔を離した後に見せる優美な笑みをみると、かつてない屈辱にゼクシオンの胸中は怒りの感情で真っ黒に燃え上がった。
嫌悪と怒りに任せて残った魔力を総動員させ放出する。空が暗く歪み、濃紫の魔塊が二人めがけて無数に降り注ぐと、そのひとつがマールーシャの腕を直撃し嫌な音を響かせた。骨までいっただろうか。相手の顔が歪んだのを見るにそこそこのダメージは与えられたように思える。
相手が後退した一瞬をついて、ゼクシオンは闇の回廊を出現させると今度は迷いなくその中に身を投じた。逃げるは恥などと言っている場合ではない。何も考えずに飛び込んでしまったが、転げ落ちた先の見慣れた大理石の床、自分の名前を呼ぶ同胞の声が聞こえるに、なんとか拠点に戻ることができたようだ。敵は追ってきてはいなかった。
No.11、マールーシャ。
その名はゼクシオンの心無い胸の中に深々と爪跡を残したのだった。
20191227