寒い夜

 寒いのは嫌いだ。昔も今も。

 

 気温が下がるとどうにも寝つきが悪くなりやすい。ひんやりと冷たいシーツの上で、ゼクシオンは幾度目かわからない寝返りを打った。薄べったい布団を体に巻き付けても身体が温まるわけではない。素足の先はすっかり冷たくなってこすり合わせようともかじかんだまま、寒いのと眠れないのとで胸中の苛立ちは募る一方だ。
 ついには我慢ができなくなり、どうせ眠れないのならば厨房へ出向いて何か暖かいものでも拝借してこようと思いたってゼクシオンは体を起こす。わきにかけてある、これまた冷たくてかたい革の黒いコートを肩に羽織ってベッドから降りると、部屋履きの薄い靴を引っ掛けるようにして、ランプに灯した明かりを手に暗い廊下へと出た。
 皆が寝静まった城内は、ダスク一匹姿を見せない。無限と湧く彼らに部屋を割り振る余裕などこの城には無いはずだが、どこかに巣でもこしらえているのだろうか、などとくだらないことが頭に浮かぶ。白を基調にした城内は無機質で、その冷たさを一層際立てていた。のっぺりとした白いドアが立ち並ぶ廊下は、機関員たちの私室一帯だ。どの部屋からも物音ひとつしない。時刻を考えれば当然とも思えるが、全員が大人しく夢の中とは思い難い。息を潜めて何やら企てている者が、一体どれだけいることやら。ゼクシオンは整然と並ぶドアの一つにちらと目をくれるも、その先に何者の気配も感じ取れないことがわかると立ち止まることなくそのまま足を進めた。

 ようやくたどり着いた厨房の冷たいドアノブを押し下げて重い扉を開けた。部屋の中央にある作業台にランプを置くと、水を汲んだ小鍋を火にかける。湯が沸くのを待つ間に近辺を簡単に物色すると、飲料水の入っていたであろうからになった瓶が乾燥台の上に置かれているのを見つけた。これに湯を入れて持ち帰れば行火(あんか)の代わりにできそうだ。我ながら良い思い付きだとゼクシオンは納得しながら棚から自分のカップを取り出す。
 暗い厨房はその広さも相まってより寒々しかった。木の椅子に腰掛けてくつくつと鍋が音を立てるのに耳を傾けながら、こんなに夜が寒いことがあっただろうか、とゼクシオンは考えを巡らせた。余所のワールドと違い、ここには世界を彩る四季というものは存在しない。多少の気温の上下はあれど、気候は一定して穏やかなものだ。

 

『策士殿は身体が薄いからな』

 そのときゼクシオンは不意に思い出した。ここ最近、眠りにつくとき、そこに他の気配があったことを。

『暑苦しいんですよ、貴方は』

 邪険に言いながらも、寄り添うようにほんのりと素肌で感じるそれが、不思議と心地よかったことを。

 

 小鍋の蓋がカタカタと音を立て始め、ゼクシオンははっと現実に引き戻された。立ち上がり火を止めてカップに湯を注ぐ。火傷しないように湯を満たしたカップを注意深く持ち、息を吹きかけながらそっと口をつけた。喉を滑り、胃の形をなぞるように熱が身体に回ると、ほう、と安堵にも似た息が零れる。ようやく人心地ついた。白湯は味気ないが、寝る前だしこれで我慢するとしよう。かじかむ指先を温めながら、陶器のカップを両手で包み込むようにしてゼクシオンは白湯を少しずつ口に含む。

 不意に浮かんだ顔を思い起こすのはいたく癪に障った。思えば最近、夜の僅かばかりの時間を二人で共有しそのまま寝入ることが多かったように思う。こもった熱を逃さないように布団の中に閉じ込めながら、そんな温かさに抱かれて眠るのは決して悪くなかった。熱の提供者は長期任務に出ているらしく、ここ数日姿を見ていない。
 これではまるで、彼がいないと眠れないみたいではないか、とゼクシオンは憤慨する。無論、そんなはずはない。必要としているのは純粋な”熱”であって彼自身ではないのだ。

 カップの残りを飲み干すと、まだ小鍋に残った湯気の立つ湯をからの瓶に移し替える。しっかりと蓋をしてからコートに包むと、冷めないうちにと私室へ引き返すことにした。邪念を振り払うように、心なしか足早に歩く。
 戻ってきた部屋の中は相変わらず冷えていたが、胃に温かいものが入ったおかげだろう、かじかむような冷えは遠のいていた。新しいリネンを取り出してまだ温かい瓶を包み直すと、冷たいベッドシーツと薄い布団の間に押し込んだ。
 コートを脇にかけて再び布団の中に身を滑り込ませる。足元からじわりと広がる熱に、ちぢこまっていた身体も少しずつ緩んでいく。安堵とともにようやく訪れたまどろみに身を任せながら、ふと以前もこうして寒い日に、冷えた足をその熱に寄せたことがある気がする、などと思い起こせばまたしても頭をよぎる影があった。……何故、また貴方が浮かぶんです。自分の脳内で余裕そうに微笑む相手を詰る。策士殿は私をご所望で? いいえ、寒いのが嫌いなだけです。

 ちり、と胸を焦がすような感覚を振り払うようにゼクシオンは布団を頭まで引っ張り上げてから、感情に蓋をするようにぎゅうと目を強く瞑った。

 

20191227