年末年始

「年末は実家に帰るのか」

 マールーシャにそう聞かれてゼクシオンは顔を上げた。暦は師走を迎えた最初の週末だった。クリスマス、年末を控えた世間はどことなく忙しさを感じさせるが、学生の自分はあまり関係なくいつも通り学業に明け暮れていた。働いている彼の方はと言えば、世間一様にそれなりに忙しくなりつつあるらしい。連絡が遅れがちになったりして、時間が合えばと彼の終業後に合うこともなかなか叶わず、会えるのは専ら休日のみだった。今日はそんな貴重な一日である。寒いしどこも混んでいるし、彼もお疲れだろうから、と自宅でゆっくりすることに決めてゼクシオンはマールーシャの部屋にお邪魔していた。
 お茶の支度をしながら、何気ない調子でマールーシャはその問いを投げかけてきた。

「帰らないです」

 短くそう答えた後、いうか迷ったがゼクシオンは続けた。

「実家はないので」
「そうか」

 彼がそう答えた途端、やかんが沸騰を告げる音を鳴らしたのでマールーシャは一度火に向かった。ゼクシオンはカウンター越しに見えるその背中をちらと見たが、再びテーブルの上に視線を彷徨わせた。
 ゼクシオンにはすでに両親はいない。幼いころにもう他界していた。親戚の計らいで大学まで進学させてもらっているが、高校を出てからは自分で部屋を借りて一人で生活をしていた。親戚には感謝しているし仲が悪いわけではないが、今は必要最低限しか連絡を取っておらず、休みのたびに帰省するような関係でもない。
 あまり進んで話すようなことでもないのでこれまで彼にこの話をしたことはなかったが、なんとなくこれを機に申告しておいてもいいかなという気になっていた。それほどまで彼に心を許している自分に気付くとなんだか不思議な気分になる。そんな相手が自分にできるなんて、去年の今頃には全く思いもよらない出来事だった。
 いい香りが漂ってきた、と思うとマールーシャがティーセットを持ってきてテーブルの上に置いた。アーモンドのような香ばしい香りのする紅茶は、二人の冬のお気に入りだ。二杯目はミルクを入れて飲むのもおいしい。

「うちに来るか」
「……え?」

 目の前のティーカップの造形に見惚れていたころで出し抜けに言われて、何の話をしていたんだったかと思いだすのに数秒を要した。

「年末年始」

 思い出させるようにマールーシャが言うのを聞いて、ああ、と納得しつつも、その意味を咀嚼するとゼクシオンは首をかしげる。

「貴方は帰らないんですか」
「私も」

 充分色の出た紅茶をカップに注ぐマールーシャの伏し目からは表情は読み取れなかった。長い睫毛に目が行ってしまう。

「いつも帰らないから」

 ちょうどよかったな、と言ってマールーシャは顔を上げた。マールーシャの家庭環境の話も同じくこれまで聞いたことはなかったが、似た境遇なのだろうか、とゼクシオンはほんの少し親近感に似た感情が沸いた。どうだろうか、と念を押すように聞かれて、年の瀬を一緒に過ごせる嬉しさが顔に出てしまわないように気を付けながらゼクシオンは頷く。とはいえど、優美な微笑みが返ってくるのを見ると、ついつられて頬が緩んでしまうのだった。

「いつもはどうしているんだ」
「去年は友人と初詣に行きました」
「今年は行かないのか」
「……そうですね。寒いし、混むし」
「ふうん」

 彼と過ごすかも、なんて少し期待してしまって予定を開けておいた事実は内緒にしたかった。が。

「……それは、自惚れていいのか」

 なんてニヤニヤしながら聞かれてしまうのだから、本当にこの人には隠し事はできない。答えることができずに逃げるようにティーカップを手に取り紅茶を啜るのを見て、マールーシャはくすくすと笑っていた。
 お茶請けをつまみながら休みの計画を立てていく時間は楽しいものだった。

「初詣に行くか?」
「んー……でも本当にすごい人なので、ちょっと苦手かも」
「じゃあ家で過ごそうか。食べたいものは? 蕎麦、御節……」
「蕎麦は好き。御節はあまり」
「年明けは雑煮だけつくってあとは普通でいいか」
「……はい」

 こんなに満ち足りていていいんだろうかと不安になるくらいその時間は幸せで。二人で迎える正月ももっと濃密な時間になるのだろうと思うと、今から年末が待ち遠しかった。

「楽しみです」

 なんとかその一言を伝えるだけでゼクシオンは精いっぱいだったが、恐らく隠していても胸の内は伝わっているのだろう。マールーシャも嬉しそうにに頷いて、穏やかな休日の午後は過ぎていくのだった。

 

20191231