風鈴すら声を潜めて

※『夏盛り、暁を待つ』の続き。

 

 りん、と涼やかな音がした。
 聞きなれない音を不思議に思ってマールーシャが音のする寝室へ向かい覗き込むと、気配を察知してか窓辺に立っていたゼクシオンがこちらを振り向いた。悪戯がばれた子供みたいにばつの悪そうな顔をしている。

「うるさかったですか」
「いいや。それは……」

 見れば、ゼクシオンの背後で窓辺に風鈴が飾られていた。透明なガラスに朝顔のあしらいをしたそれは、今日二人で出掛けて行った隣町の催しでゼクシオンが購入したものに違いなかった。辺り一帯に広がる風鈴が風にそよいで涼やかな音を響かせていた、俗世から切り取られたような光景がマールーシャの脳裏に鮮やかに甦った。
 眠りにつく前の寝室の窓は薄く開けられていて、通り抜ける夜風に乗って小さな風鈴からのびる短冊がそよいでいる。また、りん、と音が部屋に響いた。

「自分用に買ったんじゃないのか」
「そのつもりだったんですけど……」
 もごもごと言い含んでゼクシオンは曖昧に視線を逸らしながら小さな声で続けた。
「……でも、僕には朝顔があるので」

 照れているときに彼がなかなか目を合わせてくれないのをマールーシャはよく知っていた。黙ったままじっとマールーシャが風鈴を見つめているのを見て、ゼクシオンはいたたまれなさそうに声を上げる。

「あの、お邪魔でしたら持って帰ります」
「いや、嬉しいよ」

 素直な気持ちでマールーシャはゼクシオンを見下ろした。ありがとう、と微笑むと、緊張していたらしいゼクシオンはほっとした様子で肩の力を抜いた。
 風鈴が風に揺られているのを見るのは目に涼しげでよかったが、エアコンの効きが悪くなるから、とゼクシオンはすぐに窓を閉めてしまった。何気なく眺めていた先にあるゼクシオンの腕の外側に擦りむいたような痕があるのを見付ける。と同時に、突如日中の出来事が思い出された。西日の熱がこもった部屋、かたいフローリングが膝にあたる感触。押さえ付けた手首のぬめるような肌合いと、首筋を汗が伝う不快感すら、鮮明に。体中に巡る血潮の猛る感覚まで思い出しかけて、マールーシャは思わず唾を飲み込む。
 ゼクシオンはマールーシャの視線が自分の腕に注がれているのに気付くと、同じくその時のことを思い出したのかまた少しきまりの悪そうな表情になった。

「別に、痛くないですから」

 傷を庇いながらそう言い、そそくさと逃げ出すように部屋を出てゼクシオンは洗面所の方へ向かっていった。

 見送るような形で取り残されたマールーシャは、日中の軽率な行動を思い出して何とも言えない感情に苛まれた。
 若気の至りというにも少々苦しい。暑さでどうかしていたに違いない。衝動的に発散してしまった劣情は、しかしながらこれまでにない新鮮味を二人にもたらしたのもまた事実だった。普段は透明感のある白い素肌が触れるたびに熱を帯びていく様を思い出し、マールーシャは思わずため息をこぼした。
 窓を開けていたせいか、はたまた焼けるような熱を思い出したせいか、いつのまにか部屋の中は暑くなり始めている。リモコンを取ってエアコンの設定温度を何度か下げると冷たい風が心地よく部屋を巡り、邪念を鎮めていった。

 やがて着替えを済ませ再び寝室に戻ってきたゼクシオンは一歩入るなり「寒い」と身をすくめ、ベッドに上がるとタオルケットをぐるぐると身体に巻きつけた。

「寒すぎますよ、この部屋」
「そうか? 湯冷めしたんじゃないか」

 しれっとマールーシャはいうと、並んでベッドに入ってゼクシオンの入っているタオルケットの端を持ち上げた。入り込む冷気に触れてゼクシオンは嫌そうに振り返ったが、構わずにタオルケットを引き寄せてマールーシャは身体を滑り込ませる。引く手に力をこめると、しぶしぶといった様子ながらゼクシオンが一緒になってそばまで来た。
 服越しに触れる身体は穏やかな体温が心地よく、肌も清潔に乾いていてさらさらとすべらかだ。ゼクシオンがかたくなにタオルケットを離さないので、仕方なしに上から手を回してタオルケットごと身体を抱え込んだ。収まりはちょうどいいように思えた。あたたかい人肌が呼吸を伴ってゆっくりと動くのに、マールーシャも眠気を誘われていく。
 抱え込んだ相手は疲れていたのだろう、身体を落ち着けるとすぐに寝入ってしまったようで静かな寝息が聞こえ始めている。音をたてないように注意して照明をすっかり落としてしまうと、マールーシャも腕の中のぬくもりに身を預け目を閉じた。

 理性を焼く燃えるような情愛もいいけれど、こうして穏やかに寄り添う人肌のぬくもりもまた代えがたいものだ。

 

20210729

テーマ『風鈴すら声を潜めて』
配布元『icca』様