溺れ月
寝支度を済ませてから部屋に戻ると、マールーシャが楽な格好で半分ベッドに入った状態で待っていた。先に風呂を済ませた彼の髪の毛はやや湿気を帯びていつもよりもまとまって見える。殺風景な自室に彼の桃色の髪の毛は映えて、見慣れた部屋の風景のはずなのにどこか浮足立つような気分になった。
「布団、温めておいた」
そんな気も知らずにくつろいだ様子でマールーシャは布団を叩いた。冷たいシーツに足を差し入れる瞬間をゼクシオンが嫌がるのを知っている気遣いだろう。頷きながらゼクシオンも近くまで寄った。
この部屋のベッドは当然一人用なので、彼が入っているとそれだけでもう定員いっぱいに見える。なんなら長さとか足りてないんじゃないかと心配になるくらいだ。客用布団など気の利いたものがこの部屋にあるはずもないし、仮にあったとしても、彼とならば狭いベッドに身を寄せて共に眠るだろう。その窮屈さは、嫌いではない。
「もう寝ますか?」
風呂に入る前には適当なバラエティ番組を流していたテレビももう電源を落として沈黙している。時計に目をやった。普段ベッドに入る時間よりかは早めだが、生憎明日は朝から授業の日だ。彼も明日は同じ方面で朝から用事があるというので、そのまま話はゼクシオンの部屋に泊まる流れになった。食事は外で済ませてきて、交代でバスルームを使ってようやく落ち着いたところだ。
付き合っている二人が共に夜を過ごすとなると浮足立つものがあるけれど、今日のところはそのあたりは自重しようということになっている。たまにはそういう日があってもいい。何せ安アパートであるこの部屋は色々と不都合があるし、最近は互いに忙しくてあまり時間も取れなかったので、こうして身を寄せ合って一緒に眠るだけでも十分なのだ。
身を滑り込ませたベッドの中はぬくぬくとあたたかく、風呂上がりの彼からはなにやらいい匂いまでして気持ちが和らぐ。定員一名のベッドは成人男性二人を乗せて苦しげに呻いているように聞こえなくもないが、知らぬふりをしてすっぽりと布団にくるまった。部屋の照明を落とすとマールーシャは「落ちないように」とゼクシオンの身体に腕を回した。ベッドから落ちたことなんかないけれど、暗さに乗じてゼクシオンも素直に身を寄せる。服越しに感じる高めの体温が心地よい。
密着感は決して嫌いではないのだが、次の機会があったら二人で並んでくつろげるような、もっと広いベッドを選ぼうと思っていることは、彼にはまだ内緒だ。
+
疲れているしすぐに微睡みが訪れるだろうと踏んでいたが、少々見込み違いだったらしい。
電気を消した後も眠気は訪れず、久しぶりに隣にある気配も相まってゼクシオンはなかなか寝付けずにいた。マールーシャはもう寝入ったのか静かにしているし、互いに明日は早いのだからと話した手前声を掛けるのも躊躇われ、冷めやらぬ気持ちの高ぶりを一人で持て余している。
ふたりの体温ですっかり暑いくらいの布団の中はマールーシャの匂いが充満していて、それにも気持ちが揺さぶられた。最後に触れあったのはいつだっただろうか、と記憶をさらう。たしか、月が変わる前だ。連休があるからと二人で遠出して、彼の部屋に一緒に帰って、そのまま一夜明かした。歩き回って疲れていたのに、明日も明後日も休みだからと、気の済むまで夜更かしをして。
もう一カ月もたつのか、と思うのと同時に、一カ月も触れてなかった、と気付いてしまう。ともすれば愛しい人の肉体を眼前にして自身の中で首をもたげる情欲の芽を、もはやなかったことにはできそうにない。
腕の中で少し身体をずらしてぴたりと相手に添わせた。首元に顔を埋めると、とくとくと響く鼓動の音とともに首の下が脈打つのが振動として伝わる。
不意にその白い肌に歯を立てたい衝動に駆られた。けれど寝ている相手にそんな真似ができるはずもなく、悶々としながらゼクシオンは静かに鼻先を押しつけた。触れるだけならばばれやしないだろうか、と唇を舐めて湿すと、そっとマールーシャの首元に唇を寄せた。音をたてないように気を付けながら、何度も唇を押し当てる。欲が出て柔く食んで小さく吸うと、ちゅ、と音が響いてしまった。
身体が熱くなり、吐く息が震える。無意識のうちに下腹部へと手が伸びる。
重たく力の抜けたように思えた腕が急に強く自分を抱き寄せたので、ゼクシオンは思わず声をあげそうになった。見上げると、暗がりの中でマールーシャがこちらを見つめているとわかる。その目ははっきりとしていて眠気を感じさせない。昂りかけた神経がさあっと凪いでいく。
「ご、ごめんなさい、起こしましたよね」
「最初から起きてた」
「うそ」
愕然とするが、マールーシャは低く笑って宥めるようにゼクシオンの髪を梳いた。
「眠れないか」
「……だって、」
言い訳がましくなりながらゼクシオンはむくれて口ごもる。一緒に過ごすこと自体久しぶりで、こんなに近くで相手を感じたら妙な気を起こすのも無理ないじゃないか。けれど、自分だけなのだろうかと思うとなんだか悔しい気もして、言葉の続きは飲み込んだ。代わりに相手の胸元にぎゅうと顔を埋めた。体内に渦巻くこの熱を、どうしてくれよう。
「出したら」
出し抜けに言われた、彼にしてはぞんざいなその言葉の意味を理解する前に、髪を梳いていた手が耳に触れた。首筋にかけてをなぞるように撫でられ、こそばゆさにゼクシオンは思わず首をすくめる。微弱な愛撫は再び身体に熱を取り戻すのにそう時間を取らせなかった。
「ん」
零れる吐息を掬い上げるようにマールーシャの唇がゼクシオンの唇に重なる。柔らかくて温かい感触。甘くとろけそうな抱擁に身体の芯まで満たされる思いで、それでも胸の内では貪欲にその先を期待している。漏れる吐息を奪うように啄み合う。舌を差し挿れたのは、自分が先だった。
寄り添うように並んで寝ていたのに、気付けばマールーシャが上から覆いかぶさるようにして自分を見下ろしていた。はがれかけた掛布団を乱雑に手で払いのければ、二人を阻むものはもうないに等しい。
足の間にすべりこんできた分厚い躯体が下半身の熱くなったところを執拗に押し上げる。堪らなくなって手を伸ばすと、先ほどそうしたかったように、着ているものをずらしてゼクシオンは自身の昂りに触れた。握り込むと、先端からすでに先走ったもので手のひらがぬめる。不快に感じたのはほんの一瞬、けれど絶え間なく浴びせられるキスの嵐によってすぐ有耶無耶になった。
すぐにいってしまいそうだ。そう思った矢先、手が触れたと思ったら、熱い何かが前から自分のそれに押し付けられた。息を飲む間に彼の手が自分のと相手のとをまとめて握った。
「ぁ……っ」
まともに声を出す暇さえなかった。大きな手が力強く上下すると、予期せぬ刺激に目の奥で火花が散った。二人の間に絡む水音が一層羞恥心を煽り、声が漏れないように慌てて自分の口を手で覆った。声を殺してなお欲してしまう背徳感に、徐々に脳が焼かれていく。
首にかかる息が荒さを増すのにつれ、相手の動きに身を任せどうしようもなくゼクシオンはひとり先に達した。あっけなかった。青い匂いが立ちのぼり、見る間に腹が熱く濡れていく。急速に冷めていく脳内は、シーツに零れやしていないだろうな、とすでに冷静になりかけていた。
ゼクシオンが果てたのがわかるとマールーシャは一度手の動きを緩めた。放ったものを拭き取り呼吸が落ち着くのを待つあいだ、マールーシャは甘えるように何度も頬を摺り寄せた。大きな動物のようで、どうどうと宥めようとしたが、それもそのはずで思えば彼の方はまだいっていなかったことに気付く。
少し冷静になりつつも、彼の手を引き継いで今度はゼクシオンがマールーシャの昂りに触れた。両手で包んでも収まりきらない剛直を、労わる気持ちで手を使った。脈打つ微動、肉感的な弾力の下にある芯のある熱を両手に感じていると、冷めたと思った自分の中の熱もまた少し首をもたげる気配を感じた。
マールーシャがキスをねだるのを他所に、一度身体を離すとゼクシオンは身体を折ってマールーシャの足の間に身を屈めた。大丈夫、暗いから。夜だから。あれこれと言い訳は頭の中に、張り詰めたその気配を、手を添え口に含んだ。頭上からため息のような長い吐息が聞こえると、彼が感じているのに気をよくしてさらに含みを進めた。手を、舌を、使えるものを全て使って、彼を知ろうとした。知りたいのだ、彼を、どこまでも。
貪欲な探求心が行きつく先を探して必死になっていると、マールーシャの手が不意に頭を強く押さえ付けた。
欲しかったそれが喉奥に熱く迸ったのも、またすぐだった。
+
二人で並んで歯を磨いたあと、布団に入り直したら自然と欠伸が出た。その様子を隣りで笑っているマールーシャも、目はとろりとしていて眠たげだ。今度はすぐ眠れそうだ。
「最後、早かったですね」
「先にいったやつが言うのか」
「……良かったですか?」
マールーシャが機嫌よさそうにしているので聞いてみた。聞かれたマールーシャはにっと口角を上げる。
「これで終わりにするのが惜しいくらい。週末は空いているのか」
次はうちに来たらいい。そう言うマールーシャの眼差しは眠たげなのにどこかまだ熱を孕んでいるようで、発散したばかりのはずのゼクシオンもまた次の約束に新たに高揚を覚え頷いた。
電気を消すとすぐに隣から寝息が聞こえ始めた。再び相手の身体に身を寄せ、ゼクシオンも目を閉じる。身体の奥に甘い疼きをおぼえながら、夜に浸る。
20220313
タイトル配布元『icca』様