濡れた花の匂いの満ちる部屋
部屋には明かりが点いていたが、ゼクシオンは勝手知ったる様子で早々に照明を落とした。照明なんかなくたって、大きな窓の外に浮かぶ月のようなそれから煌々と明かりが入る。白を基調とした城内はもちろん私室も同様に設えており、身に纏う黒が映えてゼクシオンはどうにも落ち着かないのだった。光源が窓の外の光に限られると、薄暗くなった部屋の中でゼクシオンは安堵に似た感覚をおぼえる。それにどうせ後で消すのだから、先に消しておいたって何ら問題はない。
ベッドに腰掛けしばらくの間何をするでもなく部屋主を待っていたが、手持ち無沙汰だから服でも脱いで待つことにしようと考える。これもどうせ後ですっかり脱いでしまうのだから、先にそうしておいた方が効率がいい。脱いだものはきちんと畳んで傍にある椅子にかけた。先に脱いでるとマールーシャはあまり良い顔をしない。けれど相手任せにしている時は服を畳む余裕なんてないから、床に落ちて放っておかれ皺になってしまう前にこうして手の届かぬところへ追いやっておくのがいい。回数を重ねて学んだことである。
身に着けていた衣服をすっかり脱いでゼクシオンが毛布に身を滑り込ませたのと、バスルームで水音が止んだのがほぼ同時だった。気配に気付いたのだろう、バスルームの扉が開いて熱い蒸気を纏ったマールーシャが顔を覗かせた。
「早かったな」
特に返事をしないでいると、一度引っ込んで身体を拭いた後、髪の毛の濡れたままマールーシャがこちらにやってきた。
「脱がせたかったのに」
椅子の上にかけてあるコートを一瞥してからマールーシャはゼクシオンの前に立った。
「貴方、長いんですよ。髪まで濡らす必要あります?」
「急ぐこともないだろう」
「待たせられる道理もない」
「なんだ、そんなに早く抱かれたかったのか」
愛い奴め、などと見当違いなことを言って微笑むマールーシャを、冷めきった目で見つめ返すことしかできない。
その行為が、一般的に人同士が愛し合うための手段の一つとして行われるということくらいゼクシオンだって知っている。けれど自身とマールーシャの間に横たわるのはそんな生ぬるい事情ではない。衝動、発散、気の迷い。どれをとってもしっくりこないけれど、得体の知れない執着が頭の片隅に居付いてからもうそれなりにたつ。行為の先に見出すものがいったい何なのかわからない。
ゼクシオンの考えていることはおおよそ見抜いているであろう、けれどマールーシャは目を細めた。
「ゆっくり楽しもう。夜は長い」
舐めるようにねっとりとした視線が肌の上を這うのがわかる。自分もマールーシャの剥き出しの身体に目をやった。隆々とした躯体。戦闘によって培われた筋肉。どこを見ても均整が取れていて、彫刻か何かのようだ。治らない古傷もいくつかある。雄々しさの影から、彼独特の花の匂いがした。蠱惑的な香りにゼクシオンの中の何かが揺れる。
マールーシャは案外わかりやすい。
いつも彼が纏う香りは爽やかなのに対して、性的欲求の高まった彼は花の香りが濃くなる。肉感的な濃厚さが増す。欲しているその対象が自分なのだと思うと、ゼクシオンもいつの間にか夢中になっている。普段華やかなところばかり見せている彼の仄暗い欲求を目の当たりにすると、そのままその重たく甘い香りに引き寄せられてしまう。
(……食虫植物ってこんな感じだろうか)
匂いが濃くなったと思って見上げると、物欲しげな色を目に灯してマールーシャがゼクシオンを見下ろしていた。まだ触ってもいない、ろくに会話もしていないのにもうそれなりに屹立している。ぐん、と花の匂いが濃くなった。ああ、欲しいんだ。こんなにも張り詰めて、訴えていていじらしい。
手を伸ばし指先を添えるとゼクシオンは身を乗り出して躊躇いなく口に含んだ。湯を浴びたばかりの身体は未だその熱を強く肌の上に残している。表面の温度を肌で感じながら、そのかたい芯が内側から発する熱を舌先で探る。奥深くを知るためには互いの醜いところまで晒さなくてはならないのだから、心ある人の行為とは奇妙なものだ。
触れ合う部分がどちらのものともつかない体液で綯い交ぜになる頃には、ゼクシオンの体温も同じくらい火照っていた。
何故彼のもとに来てしまうのか知りたいと思う。だからことに及ぶ。分かるまで、何度も。
濃密な花の香りの先に、意識を焼く熱のさらにその先に、いつも答えを探している。
20220611
タイトル配布元『icca』様