花が先か、種が先か

「定刻だ」

 レクセウスが低く呟いた。その声につられゼクシオンとヴィクセンも顔を上げるが、暗い地下部屋の中、集まったのは三人だけだ。

「はっ、時間も守れないような男が城主を名乗るなど片腹痛い」

 そう言ってヴィクセンは嘲るように鼻で笑う。レクセウスは壁にもたれかかったまま口数少ない。ゼクシオンも黙ったまま神経を研ぎ澄ませるが、近くに三人以外の気配は感じられない。各々が複雑な胸中で暗い部屋に集い、約束の時間を過ぎてなお姿を現さない訪問者を待っている。

 城主として地下の面々と一度顔を合わせて挨拶がしたい、などと言いだしたのはマールーシャの方からだった。一部の機関員たちが忘却の城へと活動の拠点を移し終えたばかりの頃合いである。人間時代も含めばそれなりに長い付き合いになる三人とは反対に、若くして城主の座を得たこの十一番目の機関員についてはまだほとんど未知だ。顔を見たことはある程度、機関に従順でいるようで腹の底で何を考えているか知れない。手放しで信用できる相手ではないことだけは確かである。こちら側としても相手のことを知るべく約束を取り付けたものの、時間になっても付近に気配を感じない身勝手さに一同顔を合わせる前から辟易し始めていた。

「まったく、何故指導者はあんな新人風情に城主を任せたというのだ」
「指導者には何か考えがあるのでしょうよ。貴方がとやかく言うことではありません」
「お前も大概口の利き方を――、あ」

 いらいらと歩き回っていたヴィクセンが振り返った瞬間、背後を横切ろうとしたゼクシオンと思わず肩がぶつかった。よろめくゼクシオンの腕から抱えていた本が音を立てて床に落ちたのを見てヴィクセンは不愉快そうに顔を歪める。

「気を付けんか」
「貴方こそ」

 負けじと不機嫌そうな声を出して本を拾い上げると、暗い瞳でゼクシオンはヴィクセンをめ付け呟く。

「……せいぜい足元・・には注意することですね」

 脈絡のない物言いに何のことかと首をかしげるヴィクセンから目を逸らし、ゼクシオンは部屋の隅に目をやった。

「さて、お出ましのようですよ」

 直後、三人の視線が交わる先に黒い空間が浮かび上がり、同時に大きな人影が闇の回廊から姿を現した。堂々とした佇まい、目深に被ったフードの中は先の見えない漆黒だ。一同微動だにせず相手を見据える。この男が、城主マールーシャ――。

「随分と暗い部屋だな。同じ城内とは思えない」

 最初に彼の口から出たのはそんな言葉だった。物珍しそうに辺りをぐるりと見渡してからようやく三人の方へと顔を向けると、おもむろにフードを脱いだ。場にそぐわないような明るい桃色の頭髪が広がり、どこからともなく紅い花弁が舞い散る。花弁を払うように軽く頭を振ると、唖然としてその様子を眺めていた三人に澄んだ碧眼を向けて彼はふわりと微笑んだ。

「マールーシャだ。機関に入ってまだ日は浅いが僭越ながら指導者より城主の命を賜った。先輩諸兄も精々縁の下で励んでくれたまえ」
「なっ……?!」

 ご丁寧な挨拶にヴィクセンが声を上げた。年功を重んずる彼にとってこの物言いは癪に障ったようで掴みかからんばかりに食いつく。

「十一番目が偉そうな口を!」
「おや、指導者殿の采配にご不満があるのならば直接申し立てられては如何か。代理が必要になるが……まさか、貴方が代わりを務めるおつもりで? №4のヴィクセン殿?」

 レクセウスも眉間の皺を一層濃くして黙り込み、ゼクシオンは早くも頭を抱えたくなった。爆発目前のヴィクセンをレクセウスが引きはがすが、マールーシャはものともせず微笑むばかりだ。張り付けたような笑顔を観察しながらゼクシオンはこっそり息をつく。この任務、何とも先が思いやられそうだ。

「そうは言っても一つ屋根の下、機関の共同任務だ。仲良くやろうじゃないか」

 にこやかにそう言うとマールーシャはすっと宙に右手を差し出した。握手を求めているのだろうが、ヴィクセンはすっかり機嫌を損ねてしまいそっぽを向いているし、レクセウスもだんまりで固く組んだ腕を解こうとしない。ゼクシオンとて進んでその手を取るつもりはさらさらない――けれど。
 差し出された手を見つめながら、はてこの男に触れたら、いったいどんな未来が見えるのだろう、と考えている自分がいる。

 いつからか、ゼクシオンには触れた相手の未来が見えることがあった。未来と言うには断片的すぎるものではあるが、触れた瞬間頭の中に閃く光景を、いつしか相手が同じようになぞらえているのを目にすることが多々あるのだからそうと言っても過言ではあるまい。それがいつ起こるのかはわからないし、それに対して何かすることもできない。自分に触れても己のことはわからない。何の実用性もない、つまらない能力――。

 誰も握手に応じず、気まずい雰囲気が場に漂う。

「……挨拶の一言もなしとは、ノーバディが心無いとはよく言ったものだ」

 マールーシャはぽつりとそう呟いた。目に浮かぶ嘲笑の色を感じ取ってゼクシオンの頭に僅かに血が昇る。
 ずいと前へ進み出ると、ゼクシオンはマールーシャを見上げた。……身長差まで腹立たしい。品定めするようにこちらを見据えるマールーシャの瞳は、温度のない冷たい笑みを湛えている。

「ゼクシオンです。あまり調子に乗らないことですね、新人マールーシャ」
「善処しよう、機関の策士殿」

 何の実用性もないつまらない能力だと思っているけれど、このいけ好かない新人城主とやらの未来を少し盗み見てやりたくなった。
 差し出されたマールーシャの手を、挑むような気持ちでゼクシオンは握る。

 ――その時、急に視界が青く染まった。いつものそれだとわかるまで時間がかかった。射抜くような視線にすっかり気を取られていたからだ。
 空のような澄んだ青、長い睫毛に縁取られた目が眼前にあった。マールーシャの目だ。なぜこんな近くに? 息のかかるほど近いところで、彼の目は先ほどの冷徹な笑みとはまた違う色を宿している。なんだろう、この表情は。熱情的であるようにも、あるいは慈愛の眼差しであるようにも見え……慈愛? ノーバディが?
 真っ直ぐにこちらを見つめるその目の中に誰かが映っている。その姿は――。

「……ゼクシオン殿?」

 名を呼ばれてゼクシオンは我に返った。マールーシャが不思議そうな顔をして見つめている。その目には見下すような冷たい色も、遠い意識に垣間見た熱もない、立ち尽くしているゼクシオンを前に純粋に事態を不思議がっている様子だった。

「意識が遠かったようだが、どうかされたのか」
「い、いえ……」

 ゼクシオンは慌てて握ったままの手を解いた。ヴィクセンがマールーシャに食って掛かるのを他所に、先ほどの光景を反芻する。動きが少なくて状況がよくわからなかった。今の態度からは想像できない彼の穏やかな表情を思い返す。あれはいったいどういう状況だったのだろう。

「用が済んだならさっさと帰ったらどうだ」
「もちろんそのつもりだ。同じ城内だというのにこうも陰湿では気が滅入って敵わない」
「貴様……」

 怒り心頭のヴィクセンが何か言おうと一歩踏み出した、その時だった。
 踏み込んだその先にマールーシャの舞い散らした花弁があったせいで、ヴィクセンは盛大に足を滑らせたのだ。ヴェアアと奇怪な声を上げながら大きく体勢を崩したかと思うと、あまつさえゼクシオンの背に思い切り体当たりをかました。あ、と思ったのも束の間、同様に前へと倒れ込みながら、まさにこの光景がさっきヴィクセンと肩が触れたときに見たものだったということにゼクシオンは気付く――よもや自分が巻き込まれようとは知る由もなかったけれど。
 もつれた足取りのゼクシオンは再びマールーシャの元へと逆戻りする羽目になる。しかも今度はがっしりとその腕に抱きとめられてしまった。

「おっと危ない……揃いも揃って騒がしい方々だ」

 嫌味など耳に入らなかった。マールーシャの腕の中で、触れたそばからゼクシオンの脳裏に新しい光景が閃いていく。
 マールーシャがそこにいる。誰かが一緒にいる。何をそんなに近くにいる必要がある? 何故触れ合っている? 触れる手に手袋をしていない。手袋だけじゃない、コートは何処へやったんだ? あ、またその表情。なぜ、何故笑っているというのだ、お前はノーバディだろう!
 成すすべもなく展開されていく未来予想図をゼクシオンは傍観する他ない。眼前に繰り広げられる光景がエスカレートしていく中、マールーシャがひとつの名前を口にした。その名を聞いた瞬間――。

 突如、ゼクシオンは悲鳴を上げて弾かれたように飛び退いた。あまりの唐突さにマールーシャも呆然とその場に固まる。

「な、何事だ?」
「……どうして」

 わなわなと震えながらゼクシオンは青褪めた表情でマールーシャを見て怯えたように呟く。

「どうして僕が、貴方なんかと……!?」

 ありえない、そんなはずない、と一人譫言うわごとのように繰り返して尚ゼクシオンは後ずさった。有り得ない、だって、どうして自分がこんな男とあんなことに!?
 そのあまりの動揺ぶりに誰もが困惑を隠せず立ち尽くすばかりである。

「急にどうしたというのだ……顔色が悪いぞ、ゼクシオン殿」

 そう言って手を伸ばすマールーシャから引き攣るようにしてゼクシオンはまた数歩後ろへ飛んで下がった。

「信じないっ……信じない、絶対に……!!」

 青くなったり赤くなったりしながら、ゼクシオンはそう吠えると脱兎のごとく部屋から飛び出していった。

「……おかしな人だ」

 後に残されたマールーシャ他一同は、訳も分からず呆然と彼の消えた後を眺める他ない。

 花開いたのは種が芽吹いたそのせいか、或いは花が種を零したそのせいか。
 “未来”への意識から逃れられないゼクシオンの苦悩の日々が始まる。

 

20220731