「もう一回」

 目を閉じて、触れるものへの感覚に集中する。触れた表面は少し乾いていて、押し当てたその先の熱は自分よりもいくらか低い。長く伸ばしたままになっている前髪が顔にあたってこそばゆく、マールーシャはすぐに顔を離した。目を開けると、真っ直ぐにこちらを見つめている碧眼と視線がぶつかる。

「……何故目を閉じない」

 不服げに眉を寄せマールーシャはゼクシオンを見つめ返した。いつもこの調子だ。恥じらう心などないのは承知だが、こうして顔を寄せても、更には口付けを交わそうとも、眉一つ動かさず平坦にそれを受け入れるのだ、このゼクシオンという男は。
 マールーシャの詰問にもやはり全く動じない様子でゼクシオンは淡々と答える。

「物珍しくて」
「何が」
「慎ましい様子の貴方が」
「お前の視線は喧しいくらいだ」

 もの言わずして彼はキスのときに目を閉じない。それらしい雰囲気をつくろうとも、まるで挑むように真っ直ぐにこちらを見据えるその目は鋭く冷たくすら思う。自分が目を閉じている間にも視線が彷徨うのが何となく伝わりこちらまで落ち着かない。
 都合よく解釈するのであれば、行為そのものに対して拒絶がないところを見るにおそらく不快ではないのだろうとは思う。こういった他者との触れあいに関心がなさそうに見えて、その実強い好奇を己の内に秘めているのを知っている。嫌がる素振りもなく従順に受け入れる態度を思い起こし、それによりマールーシャは少し溜飲を下げた。

「しかし情緒に欠けるのが難点だな」
「そんなものを感じる心は持ち合わせていませんね」

 ひんやりと言い添えるとゼクシオンはふと目を伏して自分の唇に指で触れた。黙ったまま、先程の数秒足らずの触れ合いを反芻しているかのように見える。虚空の胸中に、いったい彼は何を思うのだろう。
 伏せられた睫毛が瞬くのを見ているうちに、マールーシャは手を伸ばしてゼクシオンの頬を捉えると再び自分の方を向かせた。急な動作に驚きの色を孕みつつも、ゼクシオンはやはり真っすぐこちらを見つめ返した。一直線に伸びる視線が自分の意図に対して反抗的に思え、マールーシャは手のひらでゼクシオンの視界を覆った。身動ぎするゼクシオンに構わず、何か言おうと開いた口を再び塞ぐ。先刻よりも強く身体ごと押しつけると、視力を失ったゼクシオンが他の感覚に神経を研ぎ澄ませているのが分かった。

 乾燥気味の唇に舌を這わせると驚いたのかゼクシオンはわかりやすく身をすくめる。何度かに及ぶ戯れの中で、こんな触れ方をしたのはこの時が初めてだった。
「な、」
 何を、とでも言おうとしたのであろう。けれど開いた唇から言葉がこぼれる前に、薄く開かれたその隙間からマールーシャが舌を差し入れた。初めて侵入する彼の領域だった。舌先同士が触れると初めての感触にゼクシオンは怯えたようでもあったが、マールーシャはいつもの紳士的な触れ方を逸して貪欲に交わりを深めた。不快にも思える濡れた舌先の感触、口内を這い回りたてる水音、溢れる吐息の熱さ、それらをとくと教え込むように、長いキスをした。

 ごくりと相手の喉が上下したのをしおにマールーシャはゼクシオンの目を覆っていた手を離した。手の下でも尚目を剥いているかと思えば、見ると深い青の瞳は従順に閉ざされている。呼びかけるように瞼の上にそっと唇を押し当てると、ゆっくりと海底から浮かび上がるように再びその色が露わになった。

「こっちの方がいいだろう」
 マールーシャが目を覗き込むと、ゼクシオンは濡れた唇を指先で拭いながら軽くこちらを睨んだ。
「何がいいんですかあまりに強引で何もわからなかった」
 そう言うゼクシオンは恥じらいの欠片もなく淡々としたものだ。初心なリアクションを期待したが彼の性格を思えばまあこんなものか、とマールーシャが思いかけた、その時。

「……急すぎて、わからなかったから」

 そう言いながらゼクシオンは今度は自ら目を閉じて、その言葉を口にした。

 

20220805

*お題「キスしてる116(6がキスをねだる)」