テイスト・ビターの火曜日

※大学講師11×学部生6(CP未満)
※モブ女が出張りすぎ
※書きたいところだけ

 

 

 

 昼休みで賑わう学内をゼクシオンは馴染みの研究室に向かって歩いていた。自身の所属する研究室ではなかったものの、そこへ行くのは慣れたものだ。授業は午後からだったので、のんびりとやってきた。二月の気温は低いけれど日差しは明るく、大きな窓から日差しの挿し込む旧校舎の廊下は暖かいくらいだった。
 肩に掛けた鞄の中には心理学の専門書と、自分の気に入りのミステリー小説がいくつか入っている。専門書はマールーシャから借りていたものだ。彼とはこうして本の貸し借りをする仲だ。貸し借りと言えどこれまではほとんど自分が専門書を借りるばかりであったが、今回は初めて自分からも本を渡すので少しいつもとは違う緊張をしている。専門書以外でも本の趣味が似通っていることが分かると、マールーシャからも是非お勧めのものを読ませてほしいとせがまれたので、 今日はいくつか見繕ったものを持ってきてみたのだ。忙しいであろう彼にこんなに渡して読んでもらえるだろうか、と心配もあれど、教壇に立つ立場である彼と勉学の範疇を超えて趣味の本の貸し借りができることを、むずがゆくも喜んでいる自分がいた。

 今回、彼にしては珍しく借りていた本の返却を急かされた。どうしてもこの日に必要で、申し訳ないけれど直接部屋まで来てもらえないかと連絡が来たのは数日前。特に予定もなかったし本も問題なく読み終えていたのでゼクシオンも承諾した。 昼休みなら研究室にいるというので、こうして彼の部屋まで出向いたわけである。時間のある時は本の返却がてら外でコーヒーを啜りながら読んだ本の話をしたりすることの方が多いのだが、きっと忙しいのだろう。今日はあまり会話は望めないかもしれないなと考えながら、ゼクシオンはたどり着いた部屋の前で、扉についたプレートを確認する。ちゃんと【在室】となっている。本の貸し借りをするようになってから、こうして彼の研究室に足を運ぶことが増えた。とはいってもゼクシオンがそこに長時間滞在するようなことはなく、ちょっとした本の受け渡しをするだとか、マールーシャが一緒に外に出るための支度を待つだとか、そんな程度だ。
 扉の向こうは静かであるようだった。時として研究室には多くの学生が集まって賑やかなことも少なくない。騒がしいのが苦手なゼクシオンとしては人がいないのはありがたいことである。特に、私物のやり取りをしているところをあまり他者に目撃されたくない気持ちがあった。少なからずうしろめたい思いを抱いて彼と接していることを、最近ようやく自覚してきたのだ。本の貸し借りなんてずっと変わらないやり取りなのに……そこに違う感情があることに気付くと、なんだか緊張してしまう。
 ともあれ今日は忙しいようだから、少し顔が見れて、ほんの一言か二言話が出来ればいい。自分の持ってきた本を渡すことも忘れずに。
 意を決してノックをしてからゼクシオンは扉を開けた。

「失礼しま……、!」

 しかし、室内に踏み込みかけた足は、そこでの光景を目の当たりにした瞬間固まってしまった。

 部屋の中にはマールーシャがいた。いつもの彼の席のところだ。そうして、その前にもう一人いた。女性だった。ゼクシオンが入室してきたのに気付くと驚いて竦みあがった。その手には、小洒落た紙袋が握られている。今まさに手渡そうとしている、そんな場面に見えた。
 まずい、とゼクシオンは瞬時に思った。部屋の中に男女が二人。その手には贈り物。最悪のタイミングで入室してしまったらしい。

「す、すみません、お取込み中に……!」

 おろおろと視線を外すと、ゼクシオンはそのまま後ずさりした。マールーシャが何か言いおうと口を開けたようであったが、その声が発せられる前にゼクシオンは逃げるように背を向けてしまった。がちゃんと扉が閉まる音を背に、足早にその場を後にする。頭の中がぐるぐるして、何が何だかわからない。急に逃げるような真似をしてしまって、失礼だっただろうか。でもあの場面で、他にどうしたらよかったというのだ。
 校舎を出るまでわき目も振らずに歩いていたが、ふと入り口のところで集まっている女生徒のグループが似たような洋菓子店の袋を抱えて歓談しているのを目撃した。

(……ああそうか。今日って)

 女性が異性にプレゼントを贈るのに賑わう季節だったことをようやく思い出す。例年ゼクシオンも同じ学科のまめな女学生が全員に配り歩いているのをあやかったりもしていたが、授業も少なく午後から出てきたばかりの今年はまだ手ぶらでいた。この時期、彼の方はそりゃあ大忙しなことだろう。人前に立つことの多い彼が方々から好意を寄せられるのはごく当然だ。でもだからといって、まさにその場面に出くわすことないんじゃないだろうか。ゼクシオンは自分の間の悪さを呪った。

 ……見たくなかった。
 顔が見れたらいいなどと思っていた矢先だったにもかかわらず、そんなことを思ってしまう。
 よく見えなかったけれど、一緒にいたのは彼の研究室の学生だったような気がする。こんな日だから日頃の感謝の印にと渡したものかもしれない。逃げることなんかなかったのかもしれない。でも……もし違ったら? なにやらただならぬ雰囲気であったことは間違いない。ゼクシオンがやってくるまで二人で部屋にいた時間のやり取りを考えると、沈んだ気持ちになった。マールーシャはあれを受け取るのだろうか。当然受け取るだろう。そうしていつも見せるような優しい微笑みで、相手をまた魅了するのだ。……いったい何を見せられているのだ。呼び出したのはあちらのくせに。

 そういえば、目的の本を渡すことをすっかり失念していた。自分の本はさておき、彼から借りたものは必ず今日渡さなくてはならない。またあそこに戻らねばならないことを考えるとゼクシオンは憂鬱になった。今度は確実に邪魔にならない時間を聞き出して再訪する他ない。もう少ししたら連絡を入れてみよう。

 ぶらぶらと歩いた先通りがかった売店で、やっぱりチョコレートを押して販売しているのを見掛けた。丁度買い物を終えた女生徒が去っていくところで、いずれも楽しそうだった。何気なく眺めた先に黒々とした板状のチョコレートが一緒になって並んでいるのが目に入った。ゼクシオン自身はあまり甘いものを好まないけれど、これはたまに自身で購入することもあるハイカカオのチョコレートだ。
 今日がそういったイベントであることを考えていたからか、なんとなくゼクシオンは売店に立ち寄って一枚そのチョコレートを買うことにした。わざわざこの日に自分用にチョコレートを買うことはなんだか空しいような気もしたが、半ば自棄のような気持ちで購入する。ハイカカオは身体に良いはずだし。たぶん。

 ……自分も彼に渡してみようか、なんて思い至ったのはその時だった。買ったばかりの板チョコをゼクシオンはじっと見つめた。まさかあの女性のように洒落た包装のチョコレートを用意するなどということはさすがに躊躇われるけれど、これくらいシンプルなものだったら、他意はなさそうにみえないだろうか。さっきは逃げてしまったお詫びに。いつも本を貸してくれるお礼に。こんな日だから、なんとなく。理由はどうとでもなるような気がした。何もせず傍観しているだけでは他の女性らに分があってもおかしくない。やっと自分の気持ちに素直になると決めたのだ。それに、甘さの欠片もないチョコレートは、こんな気分には丁度いいように思えた。

 買ったばかりのチョコレートを大切に鞄の中にしまった矢先、後ろから名前を呼ばれた。
 振り返ってゼクシオンは、自分の名を呼ぶ相手を見て目を見開く。

 

 

  

 

「――受け取れない」

 マールーシャはきっぱりとそう言った。差し出された紙袋をじっと見据えていた。厚手の紙袋は小花がプリントされていて上品な印象を受ける。安価なものではないだろう。
 差し出した方の女生徒は大袈裟に悲嘆の声を漏らした。

「そんなあ~……そこをなんとか、一生のお願い!」
「それこの前も聞いたぞ」

 呆れてため息をついてからマールーシャは相手を見つめ言う。

「好きな相手に、何故私を通す必要があるんだ。自分で渡さなくてどうする」
「だって喋ったことすらないんだもの。どこの学部なのかも知らないし、向こうは絶対私のこと認識してないし、急に渡されたら怖くない? 話したこともないのにチョコ渡すなんてガチっぽいし」
「でも、“ガチ”なんだろう」
「……うん、一目惚れ」

 そう言って女生徒は恥ずかしそうに下を向いた。耳に掛けた柔らかそうな髪の毛がぱらりと零れる。健気な様子にきっとほとんどの相手は心揺さぶられることだろう。

 彼女の持っている小さな紙袋には、有名な洋菓子店のロゴがプリントされている。誰もが知りうる有名なブランドだ。この日が近付くといつも店外まで人が並んでいる。軽い気持ちで入手できるものではない。それだけ彼女の気持ちも決して適当なものではないということだ。
 彼女はマールーシャの研究室に所属している院生の一人。講師相手にも砕けた話し方をするところもあるマイペースな性格だけれど、勉学においては頭の切れる優秀な生徒だ。朗らかで男女問わず人気のある彼女だが、最近、恋をしているのだという。相手は最近この研究室に出入りするようになった学部生らしい。話したこともなかったけれど、これを機に連絡先を伝えてみたいとマールーシャに打ち明けてきた。応援してやりたいと思う…………ただし、自分の恋敵でなかったならばの話だ。

「ねーなんであの子この研究室に出入りしてるんですかあ? うちの学部じゃないですよね? ゼクシオン君」
「私が個人的に親しくしているだけだ」
「何それいいなあ。先生紹介してよ~仲良くなりたいよ~」
「ならばまずはそれを自分で渡すことだな。さあ帰った帰った」
「無理だよ怖いとか思われたら立ち直れない……」

 女学生はしゅんと下を向いてしまった。なんと声を掛けたものかマールーシャも悩ましかった。
 そんなさなか、入り口の扉を叩く音が室内に響く。あ、しまった。そう思ったときにはもう、彼は扉を開けて入室しようとしていた。

「失礼しま……、!」

 扉を開けて入ってきたのはまさに話題の人、ゼクシオンだった。知っていた。自分が呼び出したのだ。 どうしても二人きりで会いたかったから、適当な用事をでっちあげてわざわざ部屋に呼んだ。まさか先客の用事が長引くことになろうとは露知らず。
 入室してきた矢先、自分のほかに女生徒がいるのを見てゼクシオンは固まってしまった。目線は、彼女の手に持った紙袋に注がれている。

「す、すみません、お取込み中に……!」

 慌ただしく目線を外すと、誰も何も言わないうちにゼクシオンは踵を返して出ていってしまった。止める暇はなかった。
 頭を抱えたい気持ちに陥る。あらぬ誤解を与えたことは間違いないだろう。女学生は意中の相手がまさに現れたことに衝撃を受けているし、すっかり混乱してしまっていた。

「え~~~なんでこのタイミングで?! 先生どうしよう~~」

 泣きだしてしまいそうな彼女の必死さに、マールーシャも困惑して閉まった扉の先の背中を思う。

「……追いかけたらどうだ。まだ間に合うだろう」

 低い声でマールーシャは言う。女生徒は身を固くしたが、手に持った紙袋の持ち手をぎゅうっと握った。 葛藤が表情に表れている。

「後悔するな」

 マールーシャの力強い言葉に真っ赤になって頷くと、彼女は後を追うように扉を開けて駆けていった。

 

 一人になった部屋で、ため息をついてマールーシャは椅子に座り込んだ。つらい立場だな、なんて独り言も、もはや誰にも聞き咎められない。
 ゼクシオンは現時点で彼女のことを認識していないかもしれないけれど、彼女がアタックをかけて心を動かされない保証はない。はたして彼女はちゃんと渡せただろうか、と心配する気持ちがある一方で、それをゼクシオンがどんな風に受け取るのだろうと考えると焦燥に駆られる。自分でけしかけておきながら、なんとも複雑な心境だった。
 机の引き出しを開け、呼び出した彼に渡そうと思っていた平たい包装をがそこに在るのを確認した。彼がたまに鞄のなかに覗かせているハイカカオのチョコレートと同じブランドのものだ。甘いものが苦手だということはもちろんリサーチ済みである。周到に用意したというのに、せめて先に渡したかったと苦い気持ちで思う。
 彼女の気持ちを知りながらその恋路に立ち塞がるような真似をするのは心苦しいが、そうだとしても自分だって一歩も引くつもりはない。こっちだって、ようやく距離を縮めつつあるのだ。

 

 後悔するな。

 その言葉は、自分への言葉でもあったなと思う。
 チョコレートのほかに、花を買い足そうか。勝負は正々堂々。私だって本気なのだから。

 

20230214

これの世界線の話。まだまだ両片想い。