かわす情は海より深い

 こんな暑い日は、エアコンの効いた部屋の中で。

 

「……っも、やだ、マール、シャ」

 絞り出すようにしてなんとかあげた声は、しかし半分裏返っていた。息も絶え絶えに呼んだが、マールーシャはもうすこし、と何度目かになる宛てにならない返事をしてゼクシオンの身体をなおもうがち続けている。
 午前中の光をたくさん取り込んだ明るい室内は、空調を効かせてよくよく冷えている。清々しいはずのその寝室で、着ていたものは散乱し、いくつかは床に落ちている。起きてからきれいに整えた夏用の薄い生地の掛布団は、もうすっかり邪魔にされて足元で皺になっていた。ああ、なんと嘆かわしきこと。意識まで振り落とされてしまわぬよう、朦朧とした頭でゼクシオンはマールーシャの首に腕を回ししがみつく。明るいとだめだ、と思う。隠したかった何もかもが見えてしまう。抱いた肩を汗が伝ってシーツに染みをつくるのも、火照った身体が真っ赤になってしまうのも。自分が常態ではありえないくらい脚を開いているのも。その間にいる相手のことだけがよく見えなかった。暗い方が相手のことが分かる。目に見えずとも、視界が悪ければ触れる他の感覚に集中することが出来るから。カーテンくらい閉めればよかった、と今になって思う。けれど、気付いたときにはもうそんな余裕など欠片もなかったのだ。

 

 夏休みを恋人であるマールーシャの家で過ごすことになって早一週間。共同生活は順調で、大きなトラブルもなくゼクシオンは夏の休暇を謳歌している。
 気を引き締めて臨んだ初めての他人との共同生活だったが、すぐに慣れてきて彼の領域でも気兼ねなく過ごせるようになった。それと同時に本来の自分の怠惰な部分も露わになっていった。今更知られて困るようなことでもないし、彼は世話を焼きたがる質(たち)なので呆れられてしまう様子もなさそうであった……今のところは。居候の身なので、決めたルールと約束にはきっちり従ってゼクシオンも家主の不在時は気を回すなどして、生活はそれなりにまわっていた。始める前は不安もあったものの、足りない部分を補い合う生活の居心地の良さを今では感じている。唯一の懸念は、彼が自分に甘すぎるところだろうか。冷凍庫を見れば常にアイスが補填されているし、朝の雑事は専らマールーシャが行っていた。ゼクシオンがマールーシャより早く起きられないからである。元来早起きに自信がある自分が、毎朝のように起きられない理由。それは、夜の触れ合いが異様に多いからに他ならない。

 交際を始めて日が浅いわけでもないのに、飽きもせず毎晩のように求められた。どこにそんな体力があるのやら、なんて、相手のせいにしているようだけれど、本当は自分だって……。体力が追い付いていないせいで疲弊しているけれど、素直に求められるのに弱いのだ。そういうときのマールーシャはいつもの頼りがいのある年上の男性らしからぬ甘えたな姿で、そんな彼を目の当たりにすると、愛おしさに身体に残る疲労も都合よく忘れてしまう。他の人には向けられることのないであろう彼の情欲だなんて、毎晩だって受け入れたい。
 翌朝になって起き上がれずにいると大丈夫?と労わってくれる、その優しさに応えて頷いてしまうと、この程度なら大丈夫と受け取られてその日もまた同じ目に合う。そんなことを繰り返していた。浮かれているな、と思う。夏休みだから、だけではない気がしている。

 

 記録的な猛暑のため外出は最低限に、と天気予報が告げる休日。まだ早い時間だというのに朝のベランダに出て植物たちの世話をしただけですっかり参ってしまうほどの暑さに、今日は家で過ごそうか、とマールーシャは言った。
 ベランダにずらりと並ぶ鉢に一通り水をやっただけなのに、部屋に戻ってきたゼクシオンは、それだけでシャワーを浴びねばならぬほど汗をかいていた。どう考えても鉢が多すぎる、とぶつぶつ言いながら、勧められるがままシャワーを浴びに行く。風呂上がりにはアイスを食べるんだと決めて、汗を流してから居間に戻ると、そこにマールーシャの姿はなかった。寝室だろうかと扉を開けると、ひんやりとした空気が流れだしてきて、見ればベッドの上でマールーシャがくつろいでいた。だいぶ薄着で、何をせずとも横になって珍しく怠惰な姿である。シャワーを浴びた後の火照った身体にエアコンの冷風が心地よく、吸い寄せられるようにゼクシオンもベッドに上がった。

「ここ、ちょっと寒すぎません?」

 わきに置かれたリモコンの示す設定温度を見ると異様なほど低いので、ゼクシオンは眉根を寄せる。彼はどちらかといえば暑がりな方だけれど、それにしたってちょっと低すぎないか。火照っていたはずの肌の表面は瞬時に冷めてしまった。
 少し温度をあげようとリモコンに手を伸ばすも、軽く阻まれてしまう。

「もう少しだけ。寒いならこっちにおいで」

 リラックスしているようで、とろりと甘い声。うぐ、とゼクシオンは反論に詰まる。流されてしまう。彼もわかっていてやっている節があるな、と思いつつも、どうにも弱かった。

「すぐに上げますからね」

 そう言ってゼクシオンもマールーシャの隣に寝転がった。すぐ隣の体温はこんな冷えた部屋の中でも熱いくらいで、触れていると気持ちよかった。マールーシャが腕を回すのをそのままに、しばらくその体温に甘えた。

「今日は、どうしましょうね」

 寝転がったままゼクシオンはマールーシャに声を掛ける。

「お昼も家で何か作りましょうか。買い物は昨日したから何かしら作れるはずですし。ああ、そういえば途中になっている映画、今日こそ見ましょうよ。返却期限、明日だった気がする。……ねえ、聞いてます?」

 マールーシャの反応は薄い。うん、と返事をしたものの、聞いているのやらいないのやら、ゼクシオンの髪の毛に顔を埋めてすんすんと匂いを嗅いでいた。聞いちゃいないな……とゼクシオンは呆れ、回答を得ることを諦めた。昼食のメニューを考えることにする。
 身体を抱いていたマールーシャの手が、腰のあたりを撫でていた。さらさらに乾いた肌の上を熱い指が滑る。……なんだが、妙な気分になってきた。いやいや、まだ午前中ですけど。っていうか昨晩もしましたけど。どうなってるんだこの人。見上げると目が合い、それを合図にしたようにマールーシャが身を乗り出してキスをされた。柔らかい唇が、啄むように何度も何度も触れた。触れる度に二人の間で小さく音がした。密着しながらこんなキス、すぐその気になってしまう。
 マールーシャの手が服の裾をたどり、その下へと進むと思わず腰が疼いた。昨夜のことを思い出す。昨日は、後ろからした。苦手な姿勢だった。腹這いになるとシーツに敷いたタオルの粗い目に刺激を感じて意識が乱される。顔も見えないのをいいことに、彼の手が身体中に伸びる。探るようにあちこち触れては反応を見て触れ方を変えてくるので、まるでいいように開発されているような感覚に高揚してしまったっけ……なんて、思い出していたらすっかりその気になっていた。お互いに。
 脱いで、と耳打ちされるのを、返事もせずに従っていた。キスを受けながら、ハーフパンツと中の下着とを一緒に下ろした。脱いだものは邪魔にならないようにと端の方へ放ったつもりが、そのままベッドから落ちてしまった。けれど、もうそのままに。手を伸ばすと、露出した熱源がすぐ近くにあった。手の中に握り、先端の丸みに指をやると、溢れ出た液体が親指の腹をぬるく濡らした。もう十分に硬い幹の部分ととけるような先端の感触がゼクシオンを夢中にさせた。

「つけてあげますよ」

 思い付きでゼクシオンは口にした。マールーシャも乗り気のようで、片手でゼクシオンを抱いたまま、あいた手を伸ばしてサイドチェストから取り出したスキンをゼクシオンに手渡す。パッケージを破ってから改めて手の中のそれを握り直した。熱くてため息が出そうになる。このまま入れたら、きっと最高なんだろう、と思う。手のひらに伝わる熱と硬い弾力を少しの間楽しんだ後、焦れたマールーシャに促されてゼクシオンはようやくスキンを先端にかぶせた。もたつきながらも根元まで覆われたのを見届けて、マールーシャは起き上がると素早くゼクシオンを組み敷いた。促されるまま脚を開いて、その奥を彼が通るために入念に触れるのを耐える。まだ理性が残っている分、この時間は少し苦手だ。ただ広げるためだけの動きではなく、好きな動作をきちんと心得た動きをしていた。濡れた指がゆっくりと出たり入ったりするのに、我慢できずにゼクシオンは自身を握って上下する。きもちいい。このもどかしい感じがたまらない。

「一度いくか?」

 そう聞いてマールーシャは中に深く指を差し入れたまま動きを止めた。指の腹はいいところに置かれている。そこを、たくさんこすられたらさぞいいだろう。考えただけで腰が浮きあがってしまう。彼を迎え入れるために。はやくいきたい、ほしい。

「いれて」

 かすれた声でゼクシオンが言うと、マールーシャは指を抜いてすぐに入ってきた。一番太い部分が通り過ぎる時に声が出た。一息で奥まで入ってくると、ぐっと二人の距離が縮まる。ため息のような吐息を追うように、腕で首を抱いて再び口づけた。キスをしながら、マールーシャは奥を押し当てたまま腰だけ揺らした。中を集中的に甘くこすられるのに弱いというのに、さらには剥き出しになった陰茎を握りしごかれた。なかも、まえも、だなんて、すぐにでもいってしまいそう。あんなにほしくてたまらなかったのに、目前にして達するのが惜しくなる。この、からだを押し付け合って高まっていく時間がたまらないのだ。ずっとこのままでいたいような、けれどその先にあるエクスタシスに触れたい、その板挟みが、頭の中をどろどろにとかしていく。

 そうして何も考えられなくなった瞬間、ビクンと腰が跳ね、彼の手に包まれたまま自身の先端から白濁が爆ぜた。喉から嗚咽に似た声が漏れる。身体の奥がすぼまるのを感じ取って、マールーシャは一度動きを緩めた。流れる白濁が彼の手を伝い、自分の腹にまで滴った。拭う暇もなく、痙攣が落ち着くのを待ってマールーシャは更に大きく動きだす。
 触れる肌が熱い。さっきまでさらさらと気持ちよく乾いていたはずなのに、内側から発する熱でもう全身しっとりと汗ばんでいる。触れ合う部分はどこもぬめっていて、ぶつかる吐息も熱い。マールーシャが達するまで、そう掛からなかった。黙ったまま身体を抱き寄せられ、震えている彼を身体の奥で感じる。奥底へと注ぎ込まれているイメージを脳内で思い描いていると、不覚にもまた前が硬くなる感覚を覚えた。

 ……もう、まだ朝だというのに。
 満ち足りた気持ちで乱れた息を整えながら腕に抱いた髪の毛を撫でつけていると、マールーシャはすぐにまた動き出した。

「え、まだするんですか」
「もうすこし」

 あまりに無尽蔵で呆れてしまう。精力おばけか。宥められるようなキス一つで流されてしまう自分も自分だけど。
 この人とするキスは気持ちいい。唇も舌もやわらかく、甘い香りに脳が痺れていく。
 意識の近いところで夢中になっていると、二回目だというのに下の動きは激しくて、ゼクシオンは漏れ出る声を我慢できなくなっていった。自分もまたいってしまいそうだった。マールーシャ、いきそう……うん……言葉少なくマールーシャは頷くが、動きは止まらない。揺さぶられるまますぐに上り詰め、やがてからだの奥が急激に収縮する感覚が身を貫いた。陰茎からは何も出なかった。最近、こうして身体の奥だけで達するようになってしまった。襲い来る快感の波とその余韻で、何も考えられない。

 恍惚としてその余韻に浸っていると、マールーシャはゆっくりと腰を引いて中のものを引き抜いた。終わるのかと思って見やればしかし、まだそれなりに硬度を保っている様子にゼクシオンは目を見張る。重たくたるんだスキンを外して口を縛ると、屑籠に放った後、マールーシャは再び下腹部をすり寄せてきた。熱い塊が直に触れてゼクシオンは息を飲む。

「ちょ、嘘でしょ……あ」

 ぐ、と押し当てられた猛りの熱さに、言葉が出なくなる。このまま入れたら、きっと――。
 マールーシャは黙ったまま剥き出しの自身を再び押し込んだ。熱の塊が肉を割って身体の奥を押し広げる感覚に打ちのめされた。そのまま衰えの無い動きで中を執拗に攻められると、疲弊にも構わず身体はさらに熱を上げていく。体内から焼かれていくようだ。猛攻に腕を掴もうにも、汗でぬめって滑ってしまう。

「……っも、やだ、マール、シャ」

 絞り出すようにしてなんとかあげた声は、しかし半分裏返っていた。息も絶え絶えに呼んだが、マールーシャはもうすこし、と何度目かになる宛てにならない返事をしてゼクシオンの身体をなおもうがち続けている。
 どうにかなってしまいそうで、激しく揺さぶられるなか必死で首に腕を回ししがみついた。底知れぬ体力とその力強さにおののくが、耳元でいとおしげに名前を呼ばれ熱烈に求められると、やっぱり流されてしまうのだった。

 

 

「あっつい……」

 これでは何のために外に出なかったのかわからないな、とのぼせかけた頭でゼクシオンはぼんやり思う。
 熱烈な情交のあと、すかさずリモコンを取って温度調節ボタンを下に連打するとマールーシャはやり切った顔でベッドでごろりと横になった。もうすでにへばっているゼクシオンを覗き込み、大丈夫かといって手を取った。何が大丈夫だ。紳士的なふりをして、さっきまで猛犬みたいだった。
 まだ手が熱い。ふたりともだ。エアコンから噴き出る冷風が少しずつ熱を冷ましていくのは心地よいが、焼けるような熱が恋しくなってゼクシオンは手を握り返した。

「僕たち浮かれ過ぎでは?」
「え?」
「休みだからってこんな……昼夜問わず……」

 ぼそぼそとシーツに向かってゼクシオンが呟いていると、マールーシャは楽しげに覗き込んできた。

「ほう、ゼクシオンは浮かれているのか」
「え」
「珍しく素直だ」
「あ……」

 ……余計なことを言った。
 否定するのもはばかられ反論に窮すが、マールーシャはにこにこと機嫌良さそうにしている。

「……楽しそうですね」
「言っただろう、私も浮かれている」

 マールーシャはあっさりと認めた。あ、そう……とゼクシオンはその素直さに困惑する。じっとこっちを見ている目はとろりとして優しいけれど、まだ奥に熱を持っているようでゼクシオンはどきりとする。ぶる、と肩が震える。

「……っていうか寒くないですか? いったい何度に設定して……二十度!? 下げ過ぎです!!」

 設定温度を見たゼクシオンは飛び起きてリモコンを手に取った。

「早くシャワー浴びますよ、寝てるなら先に入りますからね」

 まだだるい身体に鞭打って立ち上がり、ゼクシオンはそのまま部屋を出ようとした。シャワーを浴びたら、今度こそアイスを食べるんだ。
 後ろから、私も行くよ、とマールーシャののんびりした声がする。彼が追い付くのを待っていると、背後に立ったマールーシャからは汗と相まって熟れた果実のような濃厚な匂いがして、思わず湧いた唾を飲み込んだ。

 

20230827
タイトル配布元『icca』様