欲深くなってゆく

 夏休みを恋人の家で過ごしている。大学が休みの内の二週間をあてていた。
 浮かれていたのは最初の数日程度で、すぐに落ち着いたものとなった。決して関係性までもがだれたわけではない。緊張も解け、二人暮らしのルールも馴染み、良い意味で気の置けない過ごし方ができるようになったのだ。

 今もマールーシャが食後に食器の後片付けをしているのを横目にゼクシオンはソファでくつろいでいた。最初は自ら率先してやるだとか、何か手伝うことはないのかだとか、周りをうろついて落ち着きなかったのが今やこの体たらく。家事は当番制にしているし、家主がいいというのだからいいのだ、とくつろぐことに徹していた。
そんなわけでソファに沈み込みながらも、気持ちはどこかそわついていた。片付けなんていいから早く来ないだろうか、と姿の見えない恋人に気を揉んでいる。
 ソファの左側は空けてある。彼の定位置だ。正面のテレビは連続ドラマが始まるまでの短い時間でニュースを流している。全国的に記録的な酷暑。出掛ける気も起らず、この夏休みは家で過ごす時間が多かった。インドア派としては申し分ない休暇の過ごし方である。

(……まだかな)

 ゼクシオンはキッチンの方を横目で見た。水音は止んで食器の触れ合う音ももう聞こえない。ドラマも始まる時刻だし、もう間もなく来るだろう、と思っていたらはたしてマールーシャがすぐに姿を現した。
 両手にはマグカップ。柑橘系の香りが漂う。この香りが好きだ、といったらよく出してくれるようになった茶葉にちがいない。食後、色々な飲み物を用意してくつろいで過ごす時間は、落ち着いた二人の生活の中でも特に好きな時間だった。

「熱いから気を付けて」

 直接カップを受け取ろうと手を伸ばしたが、マールーシャはそう言ってローテーブルに置いた。彼の配慮は嬉しいけれど、ゼクシオンは内心少しがっかりした。……受け取るとき、指先だけでも触れられないだろうか、なんて下心が簡単に砕け散ったから。

 雑事を終えてようやくマールーシャが隣に腰を下ろした。ソファの沈む感覚が左側から伝わる。そのまま引っ張られてしまいたい。なんて考えるも、マールーシャはすぐに始まったテレビドラマにもう見入っている。……またタイミングを逃した。ゼクシオンはため息をつきたいのを堪え、興味のない男女が映る画面を何となしに眺めた。ストーリーなんか入って来ず、頭にあるのは一つだけ。

 マールーシャに触れたかった。

 ゼクシオンという男は自己主張が苦手なもので、ことさらこの手に関しては全くの奥手であった。マールーシャがいいように雰囲気をつくってくれたり、ゼクシオンの思いを察してリードしてくれたり、彼のそう言ったところにこれまで甘えてきた。
 二人暮らしを始めて最初の数日間はそんな心配は無用だった。浮かれていたのは、多分二人ともそうだったと思う。何も言わずとも、どちらが誘うともなく、目が合えばすぐにそんな雰囲気になった。彼の創り出す雰囲気にゼクシオンは身を任せてばかり。当初の熱がいくらか落ち着いてきた今、触れたいという思いをくすぶらせているゼクシオンは、どうやってこの感情を表現したらいいのかわからぬのであった。

 いつもマールーシャはどうしていたっけ、と考えをめぐらす。ふとした彼のアプローチで、そんなつもりじゃなかったのに急にその気にさせられてしまう、なんてことはこれまでもあったはずだ。ゼクシオンはその時のことを思い出そうと試みた。さりげないスキンシップ。そして、真っ直ぐな眼差し。目は口ほどにものをいうとはこのことか。言葉なんかなくたって、熱っぽい視線に捕らわれるとそれだけで自分はその気になっていたっけ。

 言葉が無くてもいいなら自分にもできるだろうか。
 ゼクシオンはそっとマールーシャの様子をうかがう。リラックスしてソファにもたれながらテレビを見ている。カップはテーブルの上に戻され、両手とも空いている。手を取る? いや、急すぎて無理だ。二人の距離は二十センチといったところか。ソファが広々としているせいで、二人とも幅はたっぷりとゆとりをもって座ることができていた。この二十センチを詰めることをまずは目標とする。

 マールーシャが画面に集中しているのを確認すると、ゼクシオンはひとまず身を乗り出してカップを手に取った。すっかり飲み頃の温度になっていて、爽やかな香りはいつの間にか緊張に満ちたゼクシオンの気持ちを落ち着かせるのに一役買ってくれた。カップに口を付けのどを潤しながら隣の様子に気を配るが、マールーシャは変わらぬ姿勢でいる。

 慎重にカップをテーブルに戻すと、ゼクシオンは意を決して腰を浮かせた。
 マールーシャの意識が自分に向いたのが分かる。どきりとするけれど、ここまできたらもういくしかない。

 黙ったまま、ゼクシオンはマールーシャの真横へと座り直した。これでひとまずは二十センチの距離をゼロにすることに成功したと言えよう。投げ出されていたマールーシャの腕に自分の腕が触れた。あたたかい。たったそれだけで、もう嬉しかった。
 乗り掛かった舟だ。ゼクシオンはそのままマールーシャの肩に寄りかかり身を預けた。触れただけの腕に、更に自分の腕を絡ませる。これぞ、恋人の触れ合いだろう。彼に意図は伝わっただろうか?

「眠いのか?」

 ……伝わっていなさそうである。ゼクシオンはまたしてもがっかりさせられる。
 んー、と曖昧な返事をして、やりきれなさにマールーシャの肩に顔を埋める。どうしたらよかったというのだ。相手の目を見つめた方が良かった? けれど、画面を見ている彼の視線を奪うのは憚られたのだ。

「寝室に行く?」

 寝かしつけられてしまっては困るので首を振ったけれど、これでは本当に眠い子供が愚図っているだけの構図になってしまった。
 決死の思いで組んだ腕すら解かれてしまい喪失感に絶望すら感じかけたが、腕はぐるりとゼクシオンを囲うように肩に回り、優しく抱き寄せられた。欲しかった体温に包まれてほっとする。勇気を出してよかった……。

「寝ていてもいいぞ」

 ぽんぽんと優しく撫でるような動作は、やっぱり子供にするそれのようだ。……そうじゃないのになあ、とマールーシャの服の裾を握る。恋人の所作は優しいけれど、一喜一憂してしまう。じかに触れていた腕すら今は遠い。

「……じゃあ、すこしだけ」

 半ば自棄な気持ちで、ゼクシオンはマールーシャの膝に頭を置いて上体を横たえた。
 人生で初めて経験した膝枕は、思いのほか堅かった。服の素材もしっかりしたもので顔に跡が付きそうだし、腿も筋肉が発達しすぎていて寝心地がいいとは言い難い。
 マールーシャもまさかそう来るとは思っていなかったのか困惑した様子がうかがえたけれど、彷徨わせた手はすぐにゼクシオンの髪の毛を優しく梳き始めた。結局これでは子供かペットではないか。ゼクシオンは途方に暮れる。好意を露わにすることはなんと難しいのだろう。

 縋るように腿に置いた手にほんの少し力を込めた。服の下の肌の感触を探すように腿の内側を何度か撫でていると、少し相手が力を込めたのが伝わった。意識されていると思うと相手の気を引けたことがうれしくて、ゼクシオンは手を止めなかった。服、邪魔だな、などと考えていると、いつの間にか髪の毛を撫でつけていたマールーシャの手が止まっていることに気付いた。
 頭上のマールーシャの様子はゼクシオンには見えないけれど、間違いない、テレビの画面よりもゼクシオンの手の動きに意識を奪われている。穏やかな空気から、どこか緊張感を纏う空気に変わっている。……彼もその気になってくれただろうか。

 そうと分かれば、ゼクシオンは更にその気になっていった。執拗なほど同じ動きを繰り返した。自分の呼吸の仕方も変わっていった。
 顔のすぐ横で彼の一部が熱を持ち始めていることにも気付いていた。望んだ展開になりつつあることに内なる興奮が隠せずにいる。
 横たえていた身体を起こすと、ゼクシオンは相手の股間を見つめた。欲を象徴した形になっているのを見てそこにも手を置いた。自分も同じようになっている。もう、止められない。黙ったままファスナーを下ろすのを、マールーシャも止めなかった。

 布を掻き分けて触れた熱源を躊躇いなく外に引きずり出す。むっと立ちのぼる匂いにくらくらした。欲しかったものが眼前にある。手の中に握り、てのひらに伝わる熱と脈動に感じ入った。

 こんな明るい部屋で、冷静な気持ちでこれを観察するのは初めてかもしれない。浮き出る太い血管を指先でなぞりながらゼクシオンは思う。触れ合うときは大抵照明を落としていたから。暗くした寝室で何から秘めるともなくベッドの上で行うそれはまるで厳かで神聖な儀式のようだったのに、いまこうして明かりの下で日常を過ごす空間で性器を目の当たりにしているのは、さながら禁忌を犯しているような気にさせられた。そして、その背徳感が更に自分の中の劣情を痛烈に煽るのだ。

 検分するように指先であちこち触れていると、それはどんどん形を変えていった。……こんなのがいつも自分の中に。不思議な気持ちでゼクシオンはそれを飽くことなくいじくり回した。マールーシャも黙ったまま、されるがままになっている。
 やがてもっと触れたくなると、そっと舌を伸ばして表面をなぞった。直後から反応があからさまなので、面白くなってもどかしい触れ方ばかりした。過敏なはずの先端には触れず、わざと水音ばかりたてては曖昧に唇で愛撫するなどの動きを繰り返した。欲の匂いが増したと思ったら、先端が透明な液体をこぼれんばかりに湛えている。指で圧し潰すと、ぬるくまとわりついてどんどんあふれてくる。

 マールーシャの両手が伸びてきたと思ったら、自らベルトを外し始めた。前が開いたので掘り起こすようにしてゼクシオンも服をずらすと、解放されたそれは眼前で一層そそり立った。さっきまで優しく髪を撫でつけていたマールーシャの手が、今は先を促すように後頭部を押さえ力を増してくる。やっと相手がその気になったことに満足して、ゼクシオンも頭をもたげ改めて上から見下ろした。先端は溢れ出た透明な液体でぬらぬらとひかり、いじらしくあかく充血している。
 ぱか、と開いた口でできるだけ深く咥えこんだ。あつい。それに、変な味。どうにも慣れない、と思う。けれど今は、真っ赤になってゼクシオンを求めているその姿へのいじらしさが勝っていた。
 口に含んだだけでは飽き足らず、マールーシャが更に促すので、ゆっくりと舌を使った。かたいところに当たらないように気を配りながら、そろそろと頭を動かした。動きはぎこちなくても、こうしていることへの興奮が止まらなかった。

「……ん」

 ゼクシオンの背筋を何かが這う。背骨をたどり、服の裾を捲ると、むき出しの肌をさらに伝った。ゴムでできたゆるいウエストの服の下をたやすく進み、下着すらくぐっていく。マールーシャの手はしっかりとゼクシオンの尻の肉の厚いところをとらえ、弾力を確かめるように弄び始めた。手のひらはそうして肌の表面をとらえているが、指先はその奥を探そうとしているのが分かる。鼓動が速くなった。無意識のうちにゼクシオンも身体を差し出すように突き出している。服が無様にはだけようとも構わない。ほどなくしてマールーシャの指先が探り当てたそこを、ゆっくりと触れ始めていく。

「……っは、ぁ……」

 先に声を出し始めたのは自分だった。……なんだか悔しい。ゼクシオンも負けじと眼前の猛りへの愛撫に注力した。口だけでなく、手も使い、送る刺激は顕著に激しくなった。聞こえるように水音をたて、相手の情欲を煽ることに努めた。自分の動きが激しさを増すと、同じように相手の指も深くもぐっていく。追いつ追われつ夢中になる。いつのまにかテレビの電源が落とされていることに気付く。
 相手の呼吸が明らかに乱れた。それを聞いてゼクシオンのなかのささやかな加虐心が燃え上がる。口のなかは熱いほどに肥大している。頂点が近いに違いない。いけ、ほら。先にいけ。

「――ゼクシオン」

 観念したような声が上から降ってきた。彼らしからぬそんな情けない声を聞いたらほとんどもう勝ったような気分になった。けれど、手は止めない。

「わかった、わかったから、ゼクシオン、寝室に行こう」
「ほほえいい」

 くちいっぱいに頬張ったままゼクシオンはむきになった。だって、絶対もうすぐなのに。

「でも、ここじゃキスできない」

 そう言ってマールーシャはもう一度ゼクシオンを引き離そうと試みた。
 安易にもゼクシオンは彼の言葉をきいたら動きを止めてしまった。その隙をついてマールーシャがゼクシオンの両肩を掴んで引き離した。ずるりと口から引き抜かれたそれはたっぷりと唾液を纏ってゼクシオンの舌先と長く糸を引いた。……逃げられた。

 ようやくマールーシャを正面から見ると、随分と余裕のなさそうな表情をしている。不機嫌そうにも見えるその表情にゼクシオンはいくぶんか留飲を下げた。

 お望み通りとばかりにゼクシオンは伸びあがってキスをくれてやった。マールーシャはむ、と口を結んで眉間に皺を寄せた。さんざん舐ったあとだからだろう。放っておくからいけないんだ、とゼクシオンは執拗に唇を食んだ。

 いつになく積極的なキスをお見舞いしたあとは、息つく間もなく腕を掴まれて二人でソファを立った。二人して乱れた服のまま、やや強引に腕を引かれ寝室に向かう。心を乱されている様子のマールーシャを見るのはなんだか気分が良かった。

「まったく、どこでこんな真似を覚えたんだ……」

 そう呟くマールーシャの首の後ろに狙いを定め、ゼクシオンは背伸びをすると飽きもせず唇を寄せる。

 

20240826
タイトル配布元『icca』様