ピロートークは夢の先
隣りで身を起こしたゼクシオンは、淡々と服を着て、振り返ることもなく部屋を後にする。つい数分前までは四肢を絡め熱烈に互いを求め合っていたというのに、情緒がないと指摘するも聞く耳も持たない。まだ裸のまま、マールーシャは去っていくその背をベッドの中から見送るしかない。毎度のことだった。感情に浸る心も愛情すらもないけれど、もう少しこう、何かないものだろうか。
(……彼に、何を望んでいるのだろうな)
ゼクシオンとの関係性に名前などない。都合よく相手の肉体を使って己の欲を発散するだけの関係。こういったことには疎いかと思いきや、従順に快楽を追求するゼクシオンの秘められた一面にマールーシャはいつしか惹かれていた。なんとなく始まった関係は一度にとどまらず惰性的に続いている。そんななかで、マールーシャは淡泊な彼の気を引きたいと思うようになっていた。芽生えるはずもない感情の一端を掴んだのだろうか。けれど、自分の中にある感情を相手にも望むことは全く希望のない話である。ゼクシオンを相手に、退廃的なこの関係が続いているだけで奇跡に近い。
律儀にこの部屋へと通い続けているのを見るに、ゼクシオン自身嫌悪感はないのだろうと思う。決して誰とでもこういうことをする質ではないはずである。むしろ、好意とまではいわずとも、自分に対してだけの何かしらの許容を得られていることは喜ばしいことに思えた。……今はそれでよしとするほかない。
*
行為の最中は互いに何も喋らない。会話はおろか、激しく揺さぶれどゼクシオンはいつだって漏れ出る声を噛み殺していた。何も感じないのだろうか、と顔を覗き見れば、固く目を瞑り自らの手指を轡にして耐え忍んでいるその表情は、恍惚が露わになっていると見て間違いではないだろう。
なにより、こんなにも身体が反応しているのだ。奥深くに差し込まれた自身を締め付ける腸壁は、ゼクシオンの呼気が荒くなるにつれて何度も痙攣してその感覚をマールーシャにも直に伝えた。搾り取られそうになる感覚にこっちの方が声を漏らしそうになる。
……声が聴きたい。冷めた眼をした彼を、指を傷だらけにしてでも守ろうとしている彼のプライドを、暴いてやりたい。頑なになればなるほど、加虐心に似た何かがマールーシャを駆り立てた。
執拗に奥を攻め、隙間から侵入を試みるように、指と指の間から舌先をねじ込む。しばしの攻防の末、吐息で熱く曇った手の中で、ゼクシオンの舌先に触れた。
……ああ、と漏れ出た震える声を聴いた瞬間、鮮烈な光のような何かがマールーシャの脳天を貫き、腹の底で煮えたぎっていた劣情が迸った。
*
……暑い。いつになく激しい動きで、二人揃っていつも以上に困憊だった。汗が首元を流れていく。汗が垂れると文句を言われるに違いないと思い、マールーシャは素早くゼクシオンから身体を離した。ベッドから降りながらゼクシオンを振り返るが、乱れた前髪が目元を覆い表情は見えない。横たわった胸がまだ大きく上下しているから、しばらくは動けないだろう。
清潔なタオルを取って戻り、ゼクシオンの濡れた身体を拭っていった。ゼクシオンもされるがままだった。その無防備さに、退屈凌ぎのように始まったこの関係が二人の間ですっかり根付いているのだなと改めて認識した。覗き込むと、ぼんやりと虚空を見つめる目は涙の膜で光って見える。……彼は、この関係に何を思うのだろう。
ゼクシオンが長く息を吐いた。呼吸も落ち着いている。起き上がって服を集め出す頃合いだ。
案の定身を起こそうとしたゼクシオンを、マールーシャはタオルをわきへ放ると素早く両手首を掴んで上から押さえ付けた。予想外の展開にゼクシオンは驚いた表情をしている。なかなかお目に掛かれない表情だ。こんな顔を見たのは、初めてこの関係を持ち掛けたときくらいだったか。
「なんですか、まさか、足りなかったとか?」
「満足したよ。今夜は、もう少しここにいたらいいと思って」
ゼクシオンが警戒の色を見せたのでマールーシャも思わず手に力を込めた。
「……痛いんですけど」
「そう急ぐこともなかろう。たまにはここで寝ていったらどうだ」
「お断りしますよ。こんな狭いところに二人で並ぶなんて現実的じゃないです」
ゼクシオンは即答するも、身動きが取れずマールーシャの下でもがき始めた。
「……、っはなしてください……っ」
「帰りたいならここから逃れてみろ。……できるものならな」
マールーシャはそう言うが早いか、足の甲を使ってゼクシオンの足首も固定した。四肢の自由を奪われたゼクシオンは、それでもしばらくは健気に抵抗を見せた。しかしながら縦も横も自分より大きな相手の拘束を解くことは到底かなわない。
とうとう白旗を上げた。
「……わかりました、わかりましたよ。逃げませんから、そこをどいてください、はやく!」
叱責する声は本当に嫌そうだった。大人しく相手を解放すると、さっきよりもずっと疲弊した様子でゼクシオンはベッドに沈み込んだ。掲げた両腕を見ると、押さえ付けたところは赤く変色してしまっていた。睨まれたけれど、傷でもないし、夜が明けたらもう消えているだろう。
「まったく、どういうつもりなんですか」一つしかない枕を自分の方に確保しながらゼクシオンはマールーシャを見やる。「話すことなんてありませんよ」
それもそうだ。ピロートークなんて柄でもない。存外楽しいかもしれないけれど、さすがにそのつもりはさらさらないようである。
ゼクシオンはさっさとこちらに背を向けると、もうすぐにでも眠りにつこうとしているようだった。取り付く島もない。
けれど、彼をこの小さな四角い範囲に留めておくことができたのでマールーシャは満足していた。
狭いベッドの上で、二人揃って同じ方向を向いていた。寝ている間に触れたら承知しない、と釘を刺されたので、狭い中でも慎重に距離を保っていた。襟足の怪我白い首に張り付いているのを眺めて思う。眠りに落ちた後、手を回したら怒るだろうか。怒るだろう。今日のところは紳士でいることにする。ひとまず彼と共に夜を明かすことができるだけで、欲求処理だけの関係からひとつ進歩したと言えよう。
疲れたのだろう、すぐにゼクシオンの寝息が深くなったので、触れないぎりぎりのところまでマールーシャは身体を寄せた。無防備な背中を見て思う。
自分は彼をどうしたいのだろう。
何度抱いたらわかるのだろうか、と思う一方で、永遠にわからないであろう気もしていた。
20241031