厄介者

「忘れ物はないでしょうね?」
「余計なお世話だ、ゼクシオン。貴様に言われるまでもない」
「……ヴィクセン、そこの机の上にある書類は持たなくていいのか」
「は」
「……書類はあなたに任せますよ、レクセウス。ヴィクセンには少々荷が重いようですから」
「何を……!」

 ヴィクセンが顔を真っ赤にして掴み掛らんばかりに踏み込んだので、レクセウスは即座にゼクシオンとの間に入った。慣れた動作である。あれこれと喚いているヴィクセンを隔てながらレクセウスはゼクシオンの様子を伺いみるが、彼もいつも通り一切を気に留めない様子で資料に目を落としていた。忘却の城、地下においては日常風景だった。

 本日の任務は、忘却の城での働きと成果を伝えに本拠点へと出向くこと。
 この城に送り込まれてから本拠点である存在しなかった世界へ戻ることはほとんどなかったけれど、状況報告という名目において戻ることが時折許されていた。そういった場合ゼクシオンが向かうことが常だったけれど、今回はヴィクセンとレクセウスの二人で向かうこととなっている。指示をしたのは、ほかならぬゼクシオンだ。

「僕らが本拠点に戻れる機会は限られています。今回のこの貴重な二日のあいだに……やるべきことはわかっていますね?」

 書類から顔をあげるとゼクシオンは自分よりも背の高い二人をじっと見据えた。

「……拠点の不可解な動きを探ること」
「ええ、その通りです」

 レクセウスの言葉にゼクシオンは顎を引く。

「忘却の城での任務の遂行のためとはいえ、人手不足のなかこの人員を割くのはどうも気にかかります。……ひょっとしたら、僕たちが此処にいる間に何かを画策している輩がいるかもしれません」
「何故お前は行かんのだ?」 ヴィクセンは忌々しそうにゼクシオンを見下ろした。
「おそらく僕はもうサイクスにマークされていますから、下手に嗅ぎ回らない方がいいでしょう。それに――」

 ゼクシオンはそう言うと目線を上げた。見えない敵を見定めるように上空を見上げるのに、釣られて二人も上を見る。

「――こちらの動きも気になりますので」
「ふん、こやつらの方がよっぽど信用ならんわ」

 吐き捨てるように言ったヴィクセンの言葉にはレクセウスも大いに同意見だった。地上の面々は時同じくして忘却の城に入ったにもかかわらず、ろくに関わりを持たないうえ個々の動向も謎めいてた。いわば厄介者揃いである。
 ヴィクセンは大きなため息をついて続ける。

「いいだろう、ゼクシオン。拠点の状況が気になるのは事実だ。私もいつまでもこんな所にいるつもりはないからな」

 そう言うやいなや、ヴィクセンは闇の回廊を現すと大股で中へと姿を消した。

「では二日後に。……ヴィクセンのフォローを頼みましたよ」

 レクセウスに書類を手渡しながらゼクシオンは囁いた。レクセウスも無言で頷くとヴィクセンの後を追い……回廊は閉じる。

 

 何も聞こえなくなった。二人の気配も瞬時に遠のいた。薄暗い地下に一人残り、ゼクシオンは他者の気配を探して神経を研ぎ澄ませる。
 ……行ったか。完全に二人の気配がなくなったのを確認すると、ゼクシオンは少し気を緩めた。

 二人だけで偵察に向かわせた理由は決して嘘ではない。地上の三人の動向に目を光らせておきたいのも事実。

 けれど、一人忘却の城に残ったのには、加えてもう一つの理由があったのだ。

 

「厄介払いはできたか?」
「!」

 誰もいないはずの背後で響く声にゼクシオンは身を固くして振り返った。
 入り口にもたれかかるようにして黒づくめの男が立っている。フードを目深に被っていても、彼の纏う独特な空気は間違いない。この城の主、マールーシャだ。
 気だるげにこちらを眺めている様子を見るに、今この瞬間現れたわけではなさそうである。いつからいたというのだろう。完全に気配を消していた。全く存在に気付けなかった自分をゼクシオンは恨めしく思う。
 マールーシャはゆったりとした足取りで近付いてくる。ほとんど触れそうなほど距離を詰めてから、フードの陰から青い瞳を細めてゼクシオンを見下ろした。

「優等生のふりをして悪い人だ。保護者のいない隙によそ者を部屋に招き入れているなんて、知れたらさぞ嘆かれることだろうな」
「厄介なのはあなたですよ」

 伸びてきた手を払いのけてゼクシオンはマールーシャを睨んだ。

「どうしてこんなところにいるんです。……約束の時間は夜のはずでしょう」

 二人の他には誰もいないとわかっていても、ゼクシオンは思わず声をひそめる。人目を忍んでこの男と待ち合わせをしていたことは、言い逃れの出来ない事実であったからだ。



 マールーシャという男は最初から怪しかった。従順なふりをして、裏ではいったい何を企んでいるのだかしれたものではない。機関に仇なす者は排除すべく、彼の行動には特に目を光らせておく必要があるとゼクシオンは考えた。そうして小さな執着から始まった彼との関係性がこんな形に発展するとは、当初は思ってもみなかったものだ。
 この関係がヒトの言う“愛”だとかいったものとは似て非なるものであることは重々理解している。けれど、忘却の城での任務の傍ら一度一線を越えてしまって以来、いつしか他の機関員たちにはとても言えないような秘めた関係が続いている。
 マールーシャは、この半端な身体で過ごす退屈な日々を紛らわすにはうってつけの関係だと割り切っているように見えた。ゼクシオンはというと、彼の行動を監視する傍ら、心を持たぬノーバディ同士がこういった関係性に及ぶことについてなにかしら探求心のような目線で成り行きを見ていた。どちらにせよ、退屈凌ぎに他ならない。

「いつだって夜みたいなものじゃないか、このあなぐらは。それにもう二人は行ったのだろう? もっと歓迎してほしいものだ、わざわざこんなところまで下りてきたのだから」

 だから、呼んでいないというのに。ゼクシオンが呆れるのも構わずマールーシャはがらんどうの薄暗い地下の部屋を不満げに見渡している。

「私の部屋ならここよりも広いし明るい。誰かが訪れる心配もない。どうだ? 策士殿。あなたならいつだって歓迎する」

 そう言ってマールーシャは妖しく微笑んでみせた。
 ゼクシオンも見つめ返すが、やがて「お断りします」と一蹴した。

「何が気に入らんのだ」
「第一に」

 そう言ってゼクシオンは目を吊り上げると、人差し指をぴんと立てて不服げなマールーシャに向かって突き付ける。

「彼らを保護者呼ばわりするのはやめてください。僕は彼らの保護下にあるわけじゃない。
 第二に、僕は彼らの気配が近付いたら確実にわかります。そして彼らがここに戻るのは二日後、これは絶対です。
 そして第三に――」

 真っ直ぐに相手の目を見据えてゼクシオンは告げた。

「――あなたの言葉は信用に値しません」

 そう、信用などできたものじゃない。我々に心など無いというのに、愛を語る真似をするなんて。
 この男を信用してはいけない。僕が目を光らせていなくてはならない。

 マールーシャはなるほど、と頷いている。

「つまり、あなたに任せておけば他者の邪魔の入ることもなく、気兼ねなく二人で過ごす時間と場所が確保できるというわけか。結構。――それで、話は終わった?」

 都合のいい解釈を炸裂させるマールーシャにゼクシオンは脱力した。対話を試みるのは難解と解釈する。なんて男だ。本当に注意して見張っておかなくては。

 

 けれど――。

 壁際にじりじりと追い詰められ、迫る相手を見上げてゼクシオンは思う。
 約束の時間すら守らず、押し入るようにやってきて肩を抱くこの男の手を、払うことができないでいる自分。自身の中にあるこの執着こそが、何よりも厄介なのではないだろうか、と。

 暗いフードの中に光る青い瞳に魅入られ、ゼクシオンは手を伸ばし相手のフードを取り払った。紅い花びらがどこからともなくはらと舞い幻影のように消えていく。

 本当に厄介なのは、いったい誰なのか。

 

20241106