煽情のてほどき
そう言ってロクサスは立ち止まって首を伸ばした。隣りを歩いていたアクセルもつられて立ち止まり、ロクサスの向いた方向に一緒に視線をやった。廊下の脇から奥へ続く、目立たないドアが一つ。任務を終えて根城に戻り、私室へと続く長い廊下を歩いているときだった。
「あー……あそこな。言うならば物置きってやつよ。この城で使わなくなった資料とか古いモンとか、全部あそこに押し込んでる」
「毎日通ってるのに、全然気付かなかった」
「意外とこの城も広いからな。お前の知らない部屋なんてごまんとあるだろうさ」
「アクセルは入ったことあるのか?」
「雑用でな。昔サイクスとあれこれ運ばされたもんよ。面白いもんなんかねえぞ」
「ふうん」
ロクサスはそう言いながら暗い廊下の先に目を凝らす。
「……ドア、開いてる」
ドアが薄く開いていることにロクサスは目ざとく気付いた。白い無機質な扉からのぞく先は明かりを感じられず、暗い洞(うろ)のようだ。
「暗いみたいだけど……誰かいるのかな」
「あそこ明かりないんだよな。ま、あんなところに用があるとしたら資料目当てのヴィクセンかゼクシオンくらいじゃねえか? 変な手伝い言いつけられたくなけりゃ近寄らないことだな。俺は御免だぜ」
ロクサスは扉の先に興味を引かれた風ではあったが、アクセルの口から出てきた名前を聞くと思わず踏みとどまった。二人とも特に関りがないし、得体の知れない実験だか研究だかの手伝いもまっぴらだった。
アクセルに促されてロクサスもその場を後にする。シーソルトアイスの話をし始めたら、扉のことなんてすぐに忘れてしまった。
「……行ったか」
本棚の隙間から入り口の様子を窺いながらマールーシャは小声で相手に声をかける。が、返事はない。聞いておきながら相手の口を封じているのだから無理もない、とすぐに思い直した。マールーシャの大きな手がゼクシオンの口元をがっちりと覆っていて、腕の中でゼクシオンは息をするのもやっと。抱いた身体は腕の中で震えていた。マールーシャが背後から覆いかぶさるような形で、埃まみれの本棚にしがみついているゼクシオンを全身で押さえつけている。
林立する本棚と所狭しと積み上げられた雑多な不用品たち、そして部屋には明かりもないおかげで、ちょっと覗き込んだくらいでは二人が此処で何をしているかまではわかるまい。けれど、万が一誰かにこんな格好を見られたらひとたまりもないのはゼクシオンのみならずマールーシャも同じである。
アクセルの言う通り、通称物置きと呼ばれるこの暗い部屋は、しかし元は機関の研究資料を保管する部屋としてそれらしく機能していた。その空間のほとんどを本棚と、それらを埋めてなお溢れる蔵書とで成り立っている。そのうち何でもかんでも不要になったものまでもが押し込められていくようになったせいで入り口の辺りは本当に物置きと化しているが、奥の方へ進めばまだあらかた整然と資料室としての体を保っていると言えそうではあった。とはいえ明かりもないこの部屋は多くの機関員にとっては物置き以外の何物でもなく、アクセルの言った通り、用を見出すのはヴィクセンかゼクシオンくらいのものであった。その頻度ですらごく稀である。
つまるところ、人目を避けての逢瀬には恰好の場所であるといっていい。
「……ん」
手の中でゼクシオンが短く声を発した。声を漏らさないようにマールーシャが口元を覆っていた。こうなってしまってはコントロールが効かないから。抱いている身体は服越しでも熱く、むき出しの肌が触れている部分も、同じような熱さととけてしまいそうな柔らかさとで二人を繋いでいた。未だ相手の体内に留まる下半身に微弱な痙攣を感じ、マールーシャも思わず息を詰める。
……別に、いつもこんなことをしているわけではない。さすがに分別は弁えている、と言いたいところだったが、色々な状況が重なってこの日はこういう展開になってしまった。
偶然、それぞれの任務で長期のものが続いていた。
偶然、そんな相手と廊下で鉢合わせた。
偶然、近くに都合のいい部屋があった。
久しく顔を合わせていなかった反動か、はたまた暗がりに乗じてか、相手がいつになく素直に身体を預けてきてしまえば、あとはもうなしくずしに。さすがに私室でもない場所でここまで及ぶつもりなんてなかった、はずなのに、一度その熱に触れたら自制なんかできなかった。二人とも、である。
(しかし……)
マールーシャは腕に抱いた相手を、触れる感覚だけで様子をうかがう。
外に他者の気配を感じた瞬間から二人は動くのをやめていた。どちらもまだ達していない。狭い場所で立ったまま、思うように動けないもどかしさの中、ゼクシオンの身体ががくがくと震えている。感覚の過敏な彼のことだから、部屋のすぐ外で足を止めて話しているものの声も聞き取っただろう。張り詰める緊張感の中、声を漏らさぬようにと口を覆う手に力を込めると、一層腸壁の締め付けが増し、弾かれたように背を弓なりに反らせた。
「んんっ……う……」
声を上げたのはゼクシオンだったけれど、急な痙攣を感じ取ってマールーシャもあわや声を漏らすところだった。押し殺した声が手の間から漏れ、次にゼクシオンはがくりと膝を折った。慌ててマールーシャが崩れゆく身体を抱え直すのに手の轡を外すと、漏れ出る吐息は荒く、そして甘い。……達したとき特有の呼気。
(……策士殿にこのような趣好があったとは)
どうやらゼクシオンは、こういったシチュエーションに大いに興奮を覚える質らしい。私室で密やかに行われる情交のときの反応とは全く違うものであった。慎ましやかに見えて、こんな濫(みだ)りがましいことがあろうか……おかげで自分の方も昂りを取り戻しつつある。
相手を覗き込むと、冷静さを取り戻しつつあるのか殺してやると言わんばかりの色を目に湛えてマールーシャを睨み付けていたが、そんなゼクシオンに微笑みかけてマールーシャは再びその口元をきつく覆う。
(よく覚えておこう)
20250105