煽情のてほどき 2
「……戻ったんですか」
「ああ、ちょうど今」
マールーシャが他所のワールドに派遣されて、もうかなりの日数がたっていた。心配などしていなかったけれど、彼にしては珍しく苦戦しているのか長らく音沙汰がなかったのはゼクシオンにとっても気になるところではあった。――心もないというのに、マールーシャとは他の機関員らとは違った関係性を持っていたからだろうか。
相手の全身に素早く目を走らせると、コートには汚れが目立っており任務の過酷さがうかがい知れた。いつもは余裕の笑みを浮かべる表情も、今日はどこどなく疲労の色を感じえない。
「ご苦労様です。よく休むことですね」
「そうさせてもらうとするよ。……策士殿から労ってもらえるとは、戻った甲斐があるな」
「当面は休暇なのでしょう?」
「ああ」
マールーシャはそう言って息をついた。
あまり会話は続かなかった。何か言おうと思ったけれど、何も言えなかった。相手を引き留める言葉をゼクシオンは知らない。
さすがの彼も今夜は休息が必要だろうから、また後日部屋に寄ってみようか、などと考えながら、ゼクシオンは先に歩き出すことにした。
マールーシャの横を通り抜けようとしたとき、眼前に腕が伸びてきた。あ、と思ったときには、マールーシャの片腕に囚われその腕の中に収まっていた。
「過酷な任務を済ませたんだ……これくらいは許されるだろう」
マールーシャはそう言って満足そうにゼクシオンを抱き寄せた。分厚い体躯を前に、濃密な香りが一瞬で脳を支配する。
花のような香りに混じって色々な匂いがそこに在った。嗅ぎなれない外の世界の匂い。埃っぽい土のような匂い。汗と、血の匂いも僅かに感じ取ることができた。
連日にわたる禁欲を経て目の当たりにするこの生々しい匂いは、ゼクシオンを思考停止させるだけの威力を十分に持っていた。
「……おい、なんて顔をしている」
「……え……?」
身体を離そうとしたマールーシャがゼクシオンを見下ろして驚いた声を上げた。……誰がどんな顔をしてるって? そう言われてもゼクシオンはうまく頭を働かせることができないでいた。
肩を掴んでいたマールーシャの手の力が強まる。ぼうっと見つめ返すと、マールーシャの目に逡巡の色を見る。
次の瞬間には背を押され、すぐ脇にあった物置き部屋に二人揃って足を踏み入れていた。
建付けの悪いその扉はきちんと締まり切らなかったせいで僅かな隙間を残していたが、それでもその物置き部屋は真っ暗だった。明かりがないせいなのか、正面から相手に抱かれたせいなのか、わからない。けれど、暗さに乗じてゼクシオンも相手の背に手を回すことができた。浸るように濃密な香りを深く吸い込む――ずっと欲しかった。
顔に触れる指先が唇を掠めると、応えるようにゼクシオンは背伸びをし口を開ける。絡み合う舌先のぬるさが理性を解いていく。手を伸ばして同じように相手の顔に触れども、満たされるどころか乾いた身体は貪欲にその先を求める一方だった。
ひとしきり触れ合いを堪能してようやく顔を離すと、暗さに慣れた眼はぼんやりと相手の輪郭をとらえていた。暗い中でも熱い視線が自分に向けられているのが分かる。それがまた体内を熱くする。
はあ、と息をついたら、相手も脱力して頭に顎を乗せられた。普段なら許されざる行為だけれど、今日は咎める気も起らなかった。
「……急なんですよ、あなた」
「あんな顔をされてはそのまま帰すわけにはいかない」
……だから、どんな顔をしていたというのだ。
胸中では憤慨するものの、何も言えなかった。相手の体温が上がったからか、そもそも密着しているからか、自分を抱く甘く濃厚な香りにいつまでも身を委ねていたかった。マールーシャもゼクシオンが言い返してこないのを見てか、それ以上の軽口はもうなかった。
しばらくの間互いの体温をほしいままにしていたけれど、腰のあたりに押し付けられる熱をゼクシオンは無視できずにいた。触れ合い始めてからますます形を露わにし、熱を主張するそれにゼクシオンは手を伸ばし服の上から触れた。服の上からでもはっきりとその形が分かるくらい屹立している。これが、自分の中を蹂躙していたことを思い出していた。身体の奥が疼く。
マールーシャの手がゼクシオンの手の上に重なった。先を促すように力を加えるので、ゼクシオンもいつしかその気になり、服の裾を探った。コートの隙間から手を差し入れ、服の小さな金具を引き下ろすと熱源はもうすぐそこに。ここがどこであるかも忘れて、ゼクシオンは生唾を飲み込みながらそれを引きずり出した。
暗く視界が悪くても、立ちのぼる雄々しい匂いがさらにゼクシオンの理性を焼いていく。無意識のうちに手袋を脱ぎ捨てていた。手のひらとの温度差にため息が出る。握る手に力を込めると、頭上でマールーシャの呼吸は荒くなっていった。もっと、彼を乱したい――。
「ゼ――、」
マールーシャの漏らした声は、頭上遠くで小さく聞こえた。
ゼクシオンが床に膝をつくと、目の前に彼の張り詰めた怒張があった。一層強まる匂いは、理性を捨てる後押しを。そうしてためらわずに口を開け、眼前のそれを含んだ。
すでに大きく反りかえったそれは半分程度しか口に収まらない。けれど、舌先をも使って全身で相手を感じるのに、収まりきらないくらいがちょうどいい気もした。汗を纏う雄々しい匂いが甘い香りに勝り、口に含んでいるとむせ返りそうになる。それでも、懸命に舌を使った。奉仕のためではない。彼の中の雄を呼び起こすために。いつぞや交わした情を、再び煽るために。
腕を掴まれ、水の中から引き上げるように立ち上がらされた。新鮮な空気に触れた、と思ったのも束の間、乱雑に身体を返されると壁際の本棚へと押し付けられる。埃や黴の混じった古い書物の匂いが鼻をついたが、頬に触れたすべやかな革の背表紙はひんやりと冷たくゼクシオンの意識を呼び覚ます。冷静になったとて、背後から襲い来る熱気はもう止まらない。
マールーシャがコートの裾を捲る間に、自分でベルトを外した。剥かれるように足の間に落ちた服をどうすることもできぬまま、あてがわれた熱を受け、高揚は最高潮に達する。
「う……っく、」
慣らしたりないせいで、なかなか思うように進まなかった。けれど相手も自分も、もうすっかり獣の顔をしていた。入れようと必死になり、自分もまた受け入れようと必死になった。
歪に繋いだ身体は痛みばかりが勝り、ゼクシオンは喘ぎながら身体に回る腕に爪を立てた。それでも相手は気にも留めず奥を目指す。かは、と押し出されるような吐息を漏らした。痛いのは構わない。生きているあかしだ。
マールーシャが耳元で何かささやいたが、聞き取れなかった。振り返って聞き返そうとするも、見上げた矢先にまた唇を奪われる。下半身の痛みと相反して柔らかく、甘いキスだった。視界が不自由だと触れるものの感度が増してそれもよかった。漏れ出る声を我慢することができない。
ようやくなじみはじめてきて滑らかに動けるようになると、それまで探るようでいたマールーシャの動きがどんどん速くなっていく。何も考えられなくなり、されるがままに揺さぶられた。そう、欲しかったんだ、これが――……。
「は……んんっ!?」
急にマールーシャの手がゼクシオンの口元を強く覆った。そのうえ彼がぴたりと動くのをやめてしまい、何事かとゼクシオンは我に返る。
直後、扉の外に他者の気配を感じ取って二人は硬直した。こちらに向かってくる足音が聞こえる。それも、二人。
「あれ、こんなところに部屋なんかあったっけ」
外からの声がゼクシオンの耳にも聞こえた。この声はロクサス。ともすれば、一緒にいるのはアクセルか。
「……ドア、開いてる」
「……っ」
鋭い指摘に思わず息を飲んだ。と同時に、背後に感じていた熱が、ずくんと脈打つようにしてその質量を増した。
(な……なぜこのタイミングで……!?)
ぎょっとして身動ぎしようにも、マールーシャは口元を覆う手の力を強めるばかり。体内での脈動を感じながら外の気配に晒されていると、自分の中にせりあがるとめどない高揚に気付いた。
カツ、と足音がする。それを引き金に、背筋に電流が走る。
行ったか、とマールーシャが呟くが、返事などできなかった。痺れるような快感が体内を駆け、脳を貫く。
「んんっ……う……」
がくがくと身体が震え、身体の奥が急激に収縮するのを感じた。目の眩むような快感がはじけたのち、ゼクシオンはその場でがくりと膝を折る。マールーシャが身体を抱きとめた際口を覆っていた手が外され、真新しい空気を求めゼクシオンはあえいだ。痺れに似た快感がまだ抜けきらない。滲んだ視界の端からマールーシャが覗き込んだ。ドアの隙間からの薄明かりを受け、瞳は不敵に光って見えた。背後の熱が体内で前後しだすのに、ゼクシオンが声を漏らしそうになるのを察してかマールーシャの手が再び口元を覆う。
20250110