不始末

「あれ」

 手に取った箱はあまりにも軽かった。中身を確認しようとするが振っても音がしない。空っぽだ。

「……何してるんです」

 下から熱っぽい声がかかる。顔を紅潮させ、潤んだ目で見上げてくるゼクシオンは実に扇情的だ。
 かわいい恋人を部屋に連れてきて、ほどよく睦み合ったのち、ようやく服を脱がせてまさに愛し合うところだった。すっかり相手を組み敷き、臨戦態勢のそれに最後の準備をしようとサイドテーブルの上の箱を手に取った、まではよかった。
 ゼクシオンもまた、いつもならスマートに事を運ぶ恋人が、なぜだか今日はもたついていることを不思議に思い声を掛けたところだった。
 マールーシャは不慮の出来事に困惑を隠せなかったが、ないものはない。正直に事態を告白する。

「ゴムがない」
「え」
 きょとんとしてみせるゼクシオン。
「……なんで」
「知らん」

 ぶっきらぼうに返す。自分の不始末だろうか? 前回使った時に、箱が空になれば気付きそうなものだが。
 思わずだまりこんで考えを巡らせていたが、もぞもぞと恋人が身動ぎするので、思考は一時停止させた。これ以上この状態ではいられなかった。ここまで盛り上がっておいて彼には申し訳ないが、今日は別の方法で満足していただくほかなさそうだ。

「すまない、ないものはない。悪いが今日は」
「なくていいです」
「手か口か……って、え?」

 今度はマールーシャがぽかんと聞き返す。ゼクシオンは依然顔を火照らせたまま、じっとこちらを見つめてもう一度言った。

「ゴムなくていいです」

 言ってから恥ずかしくなったのか、ふいと顔を背けて手で顔を覆う。指の隙間からちらとこちらの反応を伺う様子に、遅れてやってきた理解に理性がガタガタと音を立てて揺さぶられる。

「え、いや、え? そんなわけには、え?」
 思わずしどろもどろになるマールーシャに相反してゼクシオンは冷静に続けた。
「ちゃんと自分で処理できます」
「いや、そうじゃなくて、お前、自分が何を言っているのかわかってるか」
「もう、マールーシャ」

 ゼクシオンの声が急に熱を帯びてせつなげにねだる。

「待てないです、早くして」

 

***

 予想外の展開にマールーシャは半ば夢見心地だった。普段の何事にも無関心そうにつんと澄ましたゼクシオンとは打って変わった、欲を露わにしてねだる様と今まで見たことのない表情に簡単に陥落した。スキンを使うのは処理の手間の軽減に限らずもちろん彼の身体を労ってのことで、どんな時でも欠かさないことを自分の中では固く決めていたというのに、あんな表情で求められてしまうと自分の意志すら簡単に捻じ曲げられてしまうだなんて。
 激しく揺さぶられて声高く喘ぐゼクシオンに、自分の中でぐつぐつと熱が滾り律動が速まる。せめて、せめて外に出さねば。
 動きに力が増したことで極点が近いのを察したのか、ゼクシオンがうっすらと目を開けて腕に手を添わせる。

「っ、ま、る……っいきそう……?」
「……、ああ、そろそろ……抜くぞ」
「やだ」
「え」

 思わず動きが止まりかける。次は何を言い出すんだ。

「このまま……いって」
 ゼクシオンは息も絶え絶えに、折り曲げた足を背中に回すと爪先を腰骨に沿わせてつぃとなぞり上げる。熱に浮かされていたはずなのに瞬時にゾクゾクと鳥肌が立った。
「おいっ……煽るな」
 ゼクシオンは答えず爪先をそのまま背中に回し、ぐいと腰を密着させた。ぐちゅ、と音がして、熱くとろけそうなそこにマールーシャの高ぶりが一層深く飲み込まれる。ゼクシオンは仰け反るようにしてまた掠れ声を上げた。
「くっ……お前……」
 なんとか理性を保とうと声を荒げるも、いつもと様子の違うゼクシオンに下腹部の疼きはもはや最大限まで高まっている。絡みつく足の力は予想外に強く、身動きをしても自身への刺激にしかならない。

 息を荒げて脳内で葛藤を繰り広げる中、ゼクシオンは眉を寄せて最後の爆弾を投下する。
「ナカに、欲しいです……」
 涙声のおねだりにふつりと自分の中の何かが途切れる。嗚呼、と頭の中でどこか冷静なもう一人の自分が天を仰いだ。
 私は彼には逆らえない。

 

 欲に沈みこむ刹那、組み敷いた彼が妖艶に笑った気がした。

 

***

 ゼクシオンは悦に浸っていた。
 部屋には一人、ベッドを独占しながら布団にこもる恋人の残り香を堪能している。恋人は甲斐甲斐しく風呂の準備に向かったところだ。
 後孔に滔々と放たれた熱は余韻に浸る間もなくほとんど彼の手で処理されてしまったが、高まりあった互いの欲が爆ぜた瞬間のあの何とも言えない高揚感、直に感じる肌の感覚、そしてこの状況に対しての背徳感が織りなす満足具合はなんとも形容しがたい。目を閉じて頭の中でじっくりと詳細まで思い起こし、感覚ごと脳裏に焼き付けようとゼクシオンは努めた。

 恋人が毎度毎度避妊具を付けてくれているのは自分の身体を思ってのことだというのはもちろん理解しているし、使わないことで彼にもリスクを負わせていることは重々承知している。
 それでも一度くらい彼に、紳士の仮面を捨て去って本能のままに欲を自分にぶつけてほしかったのだ。

 ごろりと寝返りを打つとゼクシオンは枕の下にそっと手を差し入れる。引き抜かれた手が握っているのは、まだいくつか連なった避妊具。自分が部屋に来たときはまだサイドテーブルの箱の中にあったものに他ならない。
 少々強引な真似ではあったが、煽り倒した甲斐あって、自らの欲との葛藤に歪む彼の顔を拝めたのでその価値は十分あったといえよう。

「無駄にして、ごめんなさい」

 声に出しつつも、余裕のない熱烈な彼を思い出してまたもこらえきれない笑みを浮かべ、ゼクシオンは手の中のそれを近くのごみ箱の中に投げこんだ。なかなかの強行手段だった故、もう次はないだろう。もう少しこの余韻に浸っていたかった。
 ほどなくしてドアをたたく音の後、マールーシャが顔をのぞかせた。

「支度ができた。起きれるか」
「大丈夫です」

 自分を労る優しい声にゼクシオンは微笑みながら返事をすると、ゆっくりと起き上がり恋人のもとへ向かう。

 

20181224