こわいゆめ

 何度も何度も見る夢がある。
 その日も夢の中でイェンツォは、過去の自分と対峙していた。

「まだ僕のことが受け入れられないんですか」

 黒き幻影はいやらしく口元を歪めて挑発的だ。闇を纏う黒い姿が醜く忌まわしい。

「そんな必要はない。消えてください」

 そう絞り出した自分の声は震えていた。本当は過去の自分と向き合うのが、怖くてたまらない。
 見たくなくて目を塞ぎ、聞きたくなくて耳を塞ぐ。現実でそうやって過去から逃げ回っている反動なのか、夢の中での彼はいつも嬉々として自分を追い詰めた。……心なんてないくせに。

「僕は心を、本当の自分を取り戻した。貴方の存在意義はもう、ここにはない」
「今の貴方があるのは過去の僕がいてこそでは?どうしてそんなにもじぶんを否定するんです」

 くつくつと笑う過去の幻影の目は笑いながらも恐ろしく冷たかった。

「もう嫌なんだ……自分の過去を悔いながら生きるのは」
「僕を消しても貴方の過去が清算されるわけではないのにね」

 肩をすくめながら幻影はもっともらしいことを言う。もう何度となく繰り返したやり取りだ。

「貴方さえいなければ……」
「ご自分を責めるものではありませんよ」
「僕は貴方とは違う!!」

 かっとして叫ぶように声を荒げた。無駄だとわかっていても言わずにはいられなかった。僕は、過去の自分が嫌いだ。

「聞いていれば貴方はいつも僕を否定してばかり。お門違いも甚だしいですね」

 きっぱりと言い切る相手は、全く動じていないようで、いつの間にか後ろに回り込んで耳元に吹き込むように囁いた。

「本当は僕が羨ましいんでしょう。妬ましいんでしょう。だから受け入れたくないのでしょう。彼が貴方を見てくれないから」

 不意に耳に飛び込んできた彼という言葉が思い起こさせる姿に全身が粟立つ。その名を今は、呼びたくなかった。
 自分が人間へと転じたのに対して、彼は再び機関に身を置いているということは風の噂で聞いていた。人間となった彼と再会することを、こっそりと夢見ていた、なんて。彼が知ったら嘲笑するだろう。自分のことなど忘れて彼は彼自身の人生に戻ったに違いない。彼が自分の前に姿を現さないのが何よりの証拠だ。
 イェンツォは顔を覆い膝をついた。混乱する頭で子供のように出鱈目に否定の言葉を並べる。違う、知らない、関係ない。
 そんなイェンツォを非情なる幻影は愉しそうに見下ろす。

「可笑しいこと。自分の過去は否定するくせに、彼の過去にはまだ執着しているだなんて」

 ちがう、と喉元まで出かかったが、顔を上げた瞬間、口をつくより先に胸ぐらを掴まれて息が止まりかける。眼前に自分の顔があった。その目は何も映さないぽっかりとあいた暗い穴で、底知れぬ闇に吸い込まれてしまいそうで、自分が自分でなくなってしまいそうで、怖い。

「愛したつもりでいた人すら否定するのですか」

 そう耳に届いた声は、どうしてだろう、とても悲しい声に聞こえた。
 彼の顔はぐにゃりと歪んだ。激しい耳鳴りに視界が霞む。あたりに花弁が舞い、桃色の頭髪が視界の端に揺れた。強い眼差しで見据える、金色の、瞳が――

 

「マ……っ!!」

 叫ぶような自分の声で目が覚めた。布団を蹴り飛ばして体を起こす。どこまでが夢で、どこからが現実なのか、わからなくてイェンツォは混乱していた。
 暗い部屋には自分の荒い呼吸だけが響いている。じっとりと脂汗をかいていたが、遅れてやってきた悪寒に身体はがたがたと震えはじめた。不意に涙があふれる。

「ごめんなさい……」

 こんな気持ちを抱いていて。
 誰に向かうともなくイェンツォは嗚咽するのだった。

 

20190522