こわいゆめ 2
「……イェンツォ、なんか元気ない?」
「えっ?」
ぼんやりとしていたイェンツォは不意に見透かしたような言葉で現実に引き戻された。顔を上げるとソラがきょとんとした顔でこちらを覗き込んでいる。
旅の途中、光の勇者御一行がレイディアントガーデンの研究所に立ち寄ってくれたところだ。モバイルポータルの調整をした後、レプリカについての情報などを話しながらしばしの休息をとってもらっていた。彼の冒険に区切りがつくとこうしてよく足を運んでくれている。
「せっかくのお泊りなんだから、もっと楽しもうよ!」
「……ほかにも空いてる部屋あるのになんで僕の部屋なの……」
「だってほら、イェンツォともっと仲良くなりたいし」
ソラはそういうとにかっと笑った。
そう、お泊まりだ。ソラがいるのはレイディアントガーデン研究所の一角にあるイェンツォの私室。今回はモバイルポータルの調整に時間がかかる旨を伝えたところ、突発的なお泊まりを提案され、流されるがままに部屋に迎え入れてしまって現在に至る。
データ解析の詳細などは話し始めたとたん欠伸を始めるのでリクが来た時に話すとして、ソラが来たときはもっぱら彼の話を聞くことが多かった。主に外の世界の話だ。研究所にこもりきりの自分たちにとって、行ったこともない様々な世界の話はとても新鮮で魅力的だった。それらを楽しそうに話してくれるソラと、モバイルポータル越しではなく直接対面して聞いていると、なんだか元気をもらえるような気がして。イェンツォはいつしか彼と話をするのが楽しみになっていた。
闇の力を捨て人間として再生した今、世界中を飛び回る彼らにしてあげられることはごく僅かだが、できるだけ力になれるよう、研究員一同協力するつもりだ。
「やっぱり気になるのか、黒いコートの奴らのこと」
「懐かしい名前もずいぶん上がったしね」
イェンツォはそういうとため息をついて目線を足元に落とした。
興味深いのは外の世界の話だけではない。行く先々で出会う、黒いコートを纏った男たちの話。
『真十三機関』と名乗る彼らは、今尚目的を明かさず独自に動いているようだった。聞けば、馴染みのある名前も多い。彼らの名前を聞くと、どうしても過去の自分の過ちを自覚せずにはいられなかった。消し去りたい過去を掘り起こされるようで、胸が痛む。こんな気持ちでさえ、過去の自分は感じることができなかっただなんて、と、それすらも悔しい。
髪の長い少女と繰り広げる自然豊かな世界での冒険の話を一通り聞いたとき、そこで出会った黒コートの男の話を聞いた途端、ついに判明した彼の所在にイェンツォは更に複雑な心境になった。
やはり彼はあちら側に。しかしノーバディとして消滅したのは自分とほぼ同時期だったはずなのに、何故自分のように人間として再生していないのだろうか。自らノーバディになることを選んだ? 今の目的はいったい?
そうしてソラの話も上の空でぐるぐると考えてしまっていた矢先、冒頭に戻るのである。
「そりゃあ気になるよな。仲間のことだもん」
「……もう仲間だなんて思ってないよ」
冷たく言い放つその言葉は、決して強がりではない。
心を得るために共闘していた時までは仲間だった。今はどうだ?目的を違い新たな傘下で暗躍する彼らを、今尚仲間とは呼べまい。
「じゃあなんでそんな悲しそうな顔するんだよ」
怒ったような声にはっとして顔を上げると、ソラはむっとした表情でイェンツォに指を突き付けていた。
「自分の心に素直になれって、ほら」
とん、と胸を軽く小突かれる。
「今はちゃんとここに、あるんだろ」
指さされた自分の胸にそっと手を当ててみる。とくとくと響く鼓動は、心なしかいつもよりも大きく響いて聞こえた気がした。
「俺はイェンツォのノーバディのことは知らないけどさ」
ソラは軽い調子に戻って言いながら近くの椅子に腰かけた。
「イェンツォやアクセルの今の姿見てたら、ノーバディも本来はみんなそれぞれの姿があるんだろう
なって思えるようになったよ。ずっとあいつらは悪い奴らだって漠然と思ってたけど、一面だけ見て決めつけられないなって思うんだ」
足をぶらつかせながら前のめりで話す姿勢はまだ子供っぽいのに、本質を突くような鋭い発言にイェンツォは目を丸くしてソラを見つめた。
「みんなが二人みたいに、あるべき人の姿に戻れたらいいよな」
「……そうだね」
「イェンツォの大事な人も」
「……うん」
「お、素直。イェンツォえらい」
「ちょっと、馬鹿にしないで」
へへ、と相好を崩す天真爛漫なソラの表情は、じめじめと塞いでいたイェンツォの心をほんのりとあたためた。
もう一度胸に手を当て、目を閉じて深呼吸する。そうだ、僕には心がある。
おやすみを言い合って電気を消すと、イェンツォは少しあたたかい気持ちになって目を閉じた。意識は身体を離れると、暗い夢の中へとゆっくり沈んみこんでいく――
***
「イェンツォ、どしたー……?」
暗がりの中で、眠そうな声が横から聞こえる。はっとしてイェンツォは慌てて手の甲でなお溢れる涙を拭った。恐ろしい夢から覚め、ここが現実であることをようやく思いだす。
「な、なんでもない……」
「こわい夢、みたのか?」
隣りで寝ていたソラはむくりと起き上がると、目を擦ってイェンツォをのぞきこんだ。
「泣いてる」
「ごめん、起こしちゃって。平気だから」
涙を拭おうとしてか顔に伸びてきたソラの手をやんわりと制し、涙声になるまいとイェンツォは取り繕った。
たかが夢ごときで情けない、年下の彼にこんな姿をさらして。しかし平静を装おうとしても、夢の中の彼の言葉、自分を責め詰る声が、まだはっきりと耳に残っている。堪えようとしても、小さく手が震えて止まらなかった。
顔を隠すように俯いた頭に、ふわりと柔らかい感触を受ける。見ると、ソラが頭を撫でていた。もう寝ぼけていないまっすぐなまなざしは優しくて、髪の毛を撫でつけるような、不器用だが優しい手のひらから伝わる温もりに、イェンツォは昼下がりに感じた胸の鼓動に似たものをまた感じた。
「怖い夢見た時はこうしてもらうと落ち着くんだよ。俺も昔やってもらったんだ」
ゆっくりと話すソラの声は静かで落ち着いている。年下だと思っていたのに、いま彼の存在がとても大きくて、暗闇で迷子になっていた自分に手を差し伸べてくれた光のように感じられた。
「イェンツォ、言っただろ。心の声を押さえつけちゃダメだ」
真剣に言うとソラは、ふんわりと円を描くように腕をイェンツォの身体に回した。抱きしめる、ではなく、そっと守るような、そんな優しい手だった。
「話して」
「そら……っ僕、」
堪えていた涙が再び溢れだした。胸の奥底に閉じ込めて隠していた本音が、ソラの言葉で溶けだすようにしてこみあげる。
もうとどめることのできない自分の本当の気持ち、それは、
「寂しい……っ」
マールーシャ。
どんな小さなことでも、この世界で彼について知りたくてたまらなかったはずなのに、知りたくなかったなどと今更思う。
手に入ったはずの心を捨ててまで機関に所属することを選んだ彼、人として心を得ることよりも大切な何かがあるという事実を突きつけられたことが受け入れられなかった。
自分はずっと、自分の過去にも彼の過去にも囚われてばかりで、望んだ再生だったはずなのに、どうして彼を思うとこんなに惨めな気持ちになるんだろう。
会いたい、触れたい、寂しい。
心とは残酷だ。こんな気持ち、知りたくなかった。
募る思いは行く先をなくし、止まらない嗚咽に乗って本音は闇に溶けていく。
20190522