彼シャツ

 自分を囲うような腕をどけて身体を起こすと、昨夜の余韻か少し身体が痛い。隣でまだ寝ている恋人はすうすうと寝息を立てて穏やかに夢の中だ。自分のワンルームの部屋の一角で狭いベッドに彼がいるのが新鮮で、しばらく見つめてしまう。
 起こしてしまわないように注意を払いながらゼクシオンは布団からそろりと抜け出した。早朝の部屋はひんやりと冷えていて、下着一枚しか纏わない裸体には少々こたえる。なにか着るものは、とあたりを見渡す。床には昨晩脱ぎ散らかした服がそのままの形で散乱していた。手近なところに彼のシャツが落ちているのを見付け、手を伸ばして手繰り寄せる。
 冷たく丸まったシャツを拾い上げるとゼクシオンはそっと顔を埋めて鼻から息を吸い込んだ。ほんのわずかに彼の香りがする気がする。今にも消えてしまいそうな儚い気配にシャツを握る手に力がこもった。彼を求めるなら早く布団に戻ったほうがよさそうだ。戻ってからじっくり堪能することにして、冷たい空気に身震いしながらゼクシオンはシャツに袖を通した。薄いワイシャツだが、裸のままよりはましだ。当然ながらシャツのサイズは大きくて、なんとか下着を覆う程度に丈はあるが、袖はぶかぶか、襟ぐりも広く開いてしまう。所詮間に合わせだとゼクシオンはさして気にしない様子でボタンは留めず、手でシャツの前を合わせて足早に冷蔵庫にむかった。

 グラスに注いだ水をのんでいると、ベッドの方から寝返りを打つスプリングのきしむ音が聞こえた。振り返ってみると、まだ布団にもぐりながら手だけで自分のいた空間をぽすぽすと探っているマールーシャが見えた。

「ゼク……どこ……」

 布団の中からくぐもった声が聞こえる。普段決して見せない寝ぼけた恋人の所作がたまらなく可愛らしく思え、顔が緩むのを堪えながらゼクシオンはグラスを持って静かにベッドに近づいた。
 うーん……と唸りながら手を迷わせている彼を眺めているのも楽しかったが、あきらめたようにぽてりとシーツに落ちて動かなくなるのを見るとベッドに腰かけて「ここにいますよ」とそっとその腕をとった。ぴくりと反応をみせる。

「もどってこい」

 声は寝ぼけているが、布団に引きずり込もうとするその手は意外に力強い。手に持ったグラスの水面が大きく波打った。

「水を飲んでいただけです。飲みますか」

 抗いながらそう聞くと、腕の力は少し弱まった。もぞりと体を起こすとまだ少しぼんやりとしたマールーシャと目が合う。おはようと言い合ってから、ゼクシオンはグラスをマールーシャに手渡した。受け取った水を一息に飲み干すと、もう少ししゃっきりとした顔でマールーシャはゼクシオンをみた。

「……お前、何を着ているんだ」

 ああ、とゼクシオンは袖を握ってみせる。

「貴方のシャツ。お借りしてます、手近なところにあったので」

 マールーシャは聞いているのかいないのか、まじまじと上から下まで眺め渡してつぶやいた。

「……良いな。実に良い」
「え」
「これが、萌え袖」
「何寝ぼけてるんですか」
「ひょっとして何も」

 履いていないのかと興奮気味に裾をめくられる。

「……なんだ履いているのか」
「馬鹿なんじゃないですか」

 呆れてゼクシオンは手を払った。マールーシャはまだ不満げに裾元を眺めている。

「脱げ」
「は」
「下だけ脱げ」
「はあ?」
「脱がせてやろうか」
「ちょっと、朝からやめてください」
「そんな格好しておいて」

 空になったグラスを素早く床に置くとマールーシャはゼクシオンの腕を掴みをベッドに引きずり込んだ。抱きしめられるがままベッドになだれ込む。しばし縺れるように攻防に励んでいたが、ぱちりと目があうとどちらともなく吹き出した。朝の日の光が入る部屋での恋人との戯れはとても幸せで満ち足りていた。仰向けに寝転んだマールーシャの上で厚い胸板にそっと頬ずりする。マールーシャの手のひらが髪の毛を梳くように撫でるのが心地よい。

「朝から何をやっているんだか」
「お前が煽るから」
「こういうのが好きなんですか」
「たまらないな」

 そういうとマールーシャはゼクシオンを抱いたまま半身を起こした。肩が露出してしまったシャツをきちんと着せ、軽く手直しをすると、自分は再びベッドに寝転ぶ。きょとんとしているゼクシオンを下から見上げてマールーシャはため息をついた。

「いい眺めだ」

 ゼクシオンが自身を見おろすと、シャツの下のほうはボタンが留められて胸元だけ大きくあけられていた。はだけた胸元からは胸の突起が僅かに覗いている。

「変態」
「ゼクシオン、下を脱いでくれないか」
「まだ言ってるんですか」
「後生だから」

 異様な執着心に呆れながらも、ゼクシオンはため息をつくとマールーシャに跨ったまま少し腰を浮かせた。
 下着の縁に指をかけ、ぐいと押し下げ脱ぎ去る。脱いだそれは適当に床に放った。下着を脱ぎ去ったところで、長い丈で中まで見えない。

「……これで満足です?」

 努めて平静を装い挑発的に見下ろした。彼が期待しているのは、だらしない格好をさせられて恥じらう自分の姿だ。絶対思い通りになんてなってやらない。

「可愛い」

 マールーシャは素直に満足そうで、手を伸ばしてゼクシオンの頬を撫でた。身を起こすと、軽く触れるようなキスをする。柔らかい唇を堪能するように軽くはんで唇を合わせていると、腰を抱き寄せられて密着する。腕を首に回してより深いキスをする。だんだんと欲しくなり、腕に込める力が増した。口の端からつうと唾液がこぼれそうになるのをゼクシオンは慌てて舐めとる。超至近距離から見つめるマールーシャの目は、昨晩と同じ熱を孕んでいることに気付いた。あ、これはだめだ、スイッチはいっちゃった。

「いや、いやいやいや、流石に無理ですって」

 我に返ったようにゼクシオンは身を引く。泊まるのは久しぶりだと言って昨夜、散々励んだ後だ。起きてなお全身はだるいし、さすがの彼も昨日の今日で精力も尽きているはず……いや、どうだろう。彼の目を見るにまさかまだ余力を残しているのだろうか?だとしたらとんでもない。こちらの身が持たない。

「こっちは無理じゃないだろう」
「ひっ?!」

 ぎゅう、と容赦なく握りこまれたのは、ゼクシオン自身の陰茎だ。先ほどの戯れによって固く勃ちあがりかけているそれを、マールーシャはシャツの上から強く握ったかと思えばあろうことかそのまま上下に扱き始めた。

「ちょっ、何して……っ!!」
「昨夜は随分と中で善がっていたようだったが、こっちは足りなかったんじゃないか」
「し、しらな……っあ、ちょっと、んっ」
「私ばかりすまなかったな。お前も男だ、そうだろう?」
「あ……! 待って……」

 聞く耳持たず、マールーシャはシャツごとそれを激しく動かした。
 確かに、昨夜は中への刺激ばかりで達していてゼクシオン自身はそれほど吐精していない。彼のそれを突き立てられてすっかり悦んでしまう身体になってしまってはいたが、それはそれとして陰茎への刺激もまた身体は素直に反応を見せた。

「待って、それ以上は、本当に、だめ……!」
「どうして」
「シャツが、汚れる……」
「汚せばいい」

 あっけらかんという。だめだ、本気で最後までするつもりだ。
 押し返そうと見せる僅かな抵抗もあっけなくかわされ、マールーシャはだらしなくあらわになったゼクシオンの胸元に舌を這わせた。突起に歯を立てられると思わず仰け反り腰が浮いてしまう。

「さあ」

 抱き寄せられて耳元で、甘く唆すようなその声が響くと、手の動きはより早く強く、ゼクシオンを絶頂へと誘う。
 このままいったらダメ、でも、もう止められない。だって、こんなにも、きもちいい。

「やっ、だめって……んっ……ああ!!」

 ささやかな背徳感と下腹部への快感に板挟みになって目尻に涙を浮かべながら、マールーシャの手に抗えずゼクシオンは身体をびくつかせてそのまま果てた。彼のシャツに己の情欲を吐き散らす。
 吐精のあと、がくんと力の抜けた身体をマールーシャは優しく抱いた。汗ばんだゼクシオンの額にキスをして、空いた手は優しく背中を撫でている。ゼクシオンもすっかり脱力して身体をその腕に預け、荒く息を吐き出しながら恐る恐る下腹部を見る。涙でにじんでよく見えないが、自分の吐き出したものがじわじわと彼の仕事着に卑猥な染みを広げていくのがシャツの下の肌に広がる感覚でわかる。一気に冷静になって気が遠くなる。

「なんてことを……」
「ああゼクシオン、実に良かった」
「弁償します……」
「気にすることはない。まあ、もう仕事には着れないが……」

 マールーシャはそういってゼクシオンからシャツを脱がせると濡れた身体をティッシュで拭った。

「こうしてお前がまた着てくれたら嬉しい」
「馬鹿、変態」

 悪態をつきながら涙を拭ってゼクシオンは顔を覆う。マールーシャは笑いながら立ちあがり、シャワーを浴びて何か食べようか、とカーテンを開けた。

 異常に興奮して気持ちよかったことは、絶対に言わないつもりだ。

 

20190923