居酒屋にて
隣のテーブルからゼクシオンが席を立ったあと、少し遅れて席を立つマールーシャをシグバールは見逃さなかった。
機関員揃っての酒の席が開宴してから二時間ほど経つだろうか。いくつかのテーブルに分かれた面々は酒も回り、それぞれ盛り上がっているように見えた。アクセルの両脇ではロクサスとシオンがやや退屈そうに保護者にもたれているのが見える。お子様方にはもちろんノンアルコールだ。すっかり氷の解けて薄くなったオレンジジュースを前にどこか眠たげな二人を見るに、一次会はそろそろお開きにしたらいいかもしれない。……彼らが戻り次第。
「いいねェ若者は」
「おい、吸うなら喫煙所に行け」
空のグラスをまとめていたサイクスが空いた手でシグバールの手から、まさに火をつけようとしていたライターを奪う。
「お堅いねえ。片付けなんてほっといてお前はもっと飲めってハナシ」
「お前は飲みすぎだ」
脇を小突かれながらシグバールはもう一度だけ厠へ続く廊下を見やった。二人がどんな顔をして戻ってくるのか見物だ。
*
からりと引き戸を開けてゼクシオンがトイレの個室から一歩足を踏み出そうとしたその瞬間、入口の前で待ち伏せていた何者かが出てきたところを捕まえたかとおもうと、ものすごい力でまたゼクシオンを個室に押し戻した。
突然のことに呆気にとられてしまったが、鍵をかけられたところで事態を把握したゼクシオンは、呆れ顔でその犯人、マールーシャを見上げる。だいぶ飲んでいるのか、珍しく酔っているようで何やら機嫌がよさそうだ。
「なんのつもりですか、こんなところで」
「介抱が必要かと思って」
「貴方のほうがよっぽど必要そうですよ」
「そうかもしれないな。優しくしてくれ」
「馬鹿言ってないでどいてください」
ゼクシオンは冷たく言い放って、マールーシャの後ろのドアに手を伸ばす。しかしマールーシャは頑として動かず、伸びてきた腕を掴むとぐるりと向きを返してゼクシオンは個室の狭い中で壁に押し付けられた。後ろから密着され、指がシャツの中に潜り込むのに気付くと、マールーシャの思惑を察したゼクシオンは抵抗すべくもがいた。
「ちょっと、流石に此処では」
「そうだな、手短に済ませよう」
そう耳に吹き込みながらマールーシャは耳孔に舌を這わせる。生暖かさが耳をなぞる感覚にぞわりと肌が粟立つ。ゼクシオンは呆れてため息をついた。
確かに二人はそういう仲だったが、こんなところで事に及ぶつもりは毛頭ない。ゼクシオンとて流石に場は弁えてる――つもりだった。
「馬鹿なんじゃないです、か」
ゼクシオンは怒声を上げかけるが、続いて脳に響くような水音に侵され語尾が弱まる。ちゅ、とわざとらしいリップ音に思わず腰が引けて、拘束から抜け出そうともがいていた腕も瞬時に大人しくなった。弱点の耳を愛撫すれば簡単にスイッチが入る。立派に調教済み、ということだ。マールーシャは日頃の成果を確認すると満足そうにゼクシオンの髪にキスを落とした。
「……珍しいですね、貴方が酔うなんて」
「酔ってるかどうかはこっちに聞いてみるんだな」
マールーシャはそういうと、掴んでいたゼクシオンの腕をひいて自分の股間に導いた。そこはすでに熱を持っていて、なるほど、確かに完全に酔いが回っていればこうはならない、って馬鹿。身体にアルコールが回ってなかったとしても確実に頭はお花畑だ。花属性だけに。なんて、嗚呼、自分も酔っているのだろうか。阿保みたいなことを考えているうちにあれよあれよとマールーシャの手が進む。早めに終わらせることに専念した方が得策だと判断せざるを得ない。あとは不自然に個室から二人が出てくる瞬間を誰かに見られないことを祈るばかりだ。
*
一方その頃テーブルでは、空のグラスを持て余していたデミックスが話の折にふと腕時計を見てアクセルに呟いた。
「ゼクシオン遅くない? 具合悪いのかなー」
「そういえばマールーシャもさっきからいねえな」
「ええ? そこ関係ある?」
「……」
「……」
ガタガタッと無言で席を立つと、嫌な予感を胸に二人は足早に廊下を歩く。
「え、俺変な場面に出くわすのやだよ?!」
「個室の中から声が聞こえたら逃げればいいんだ」震え声でアクセルが言う。
「ちょ、それ完全にアウトなやつ――ぉわッ!?」
騒ぎながら廊下を曲がった瞬間、不意に現れた人物にデミックスは正面から衝突した。慌てて後ずさると、相手は驚いた顔のゼクシオンだ。
「お、おう、無事か?」
「は?」
「もー、全然戻ってこないから心配したよー!」
「ああ……すみません、少し空気が悪かったので外にいました」
「大丈夫かよー、あっちのテーブルで飲まされすぎたんでしょ、俺の隣きな!」
胸をなでおろしたデミックスに半ば強引に腕を引かれながらゼクシオンは席に戻っていく。アクセルは頭を掻きながらその背を見送ると、一人でもう少し足を進めた。
廊下の先の喫煙所でマールーシャが座り込んでいるのを見つけると、ガラス戸を引いて声をかける。
「よぉ、ひとりか」
「なんだ、お前も吸うのか」
「吸わねーよ、お前さんが戻ってこないから探しにきてやったんだ」
「ご苦労なことだな」
さしてアクセルには興味もなさそうにマールーシャは深く息を吐き出した。白い煙が一直線に伸びた後、ゆらゆらと狭い空間に漂う。ぼんやりと煙を追うその目は気だるげだ。
「ゼクシオンもいなかったから、一緒にいたのかと思ったぜ」
「飲みすぎたんじゃないのか。外から戻ってくるのを見た」
「ふうん」
目を閉じて深く煙草を吸い込むマールーシャを上から見下ろしながらアクセルは続ける。
「白々しいよなぁ、あいつがザルなの知ってんだろ?」
ゆっくりと目を開けるとマールーシャはじっとアクセルを見つめ返す。虚無を映す瞳から、彼の真意は読みとれなかった。
「アンタたち、こんなとこにいたの」
不意に女性の声がして二人は顔を上げる。喫煙所には足を踏み入れないようにして、ラクシーヌが遠目にその大きな翡翠の瞳でじっとマールーシャを見つめていた。
「早く戻ってきてよ、つまんないじゃない」
「ちょうど戻るところだ」
マールーシャはそう言ってまだ残りの多い煙草を灰皿に押し付ける。そのまま立ちあがると、アクセルには目もくれずさっさとラクシーヌの隣に立った。
「ほどほどにしておけよ」
アクセルの忠告にマールーシャは答えず、ラクシーヌと肩を並べて席へ戻っていった。
20190923