オムレツの朝

 布団の中から腕を伸ばし、枕元のスマートホンを探り当てる。煌々と光る画面に目を細めながらデジタル時計を見れば、示す時刻は午前十時を裕に超えていた。あーあ、と頭で思いながらも、絡みつく腕からは逃れられずにゼクシオンは再びスマートホンをシーツの上に伏せた。カーテンの隙間から差し込む日差しは強く、絶好の洗濯日和を物語っている。かごの中に入れられた洗い物たちが今尚そのままの状態でおかれていることを思い出すと少し気持ちがれた。

 こんなに怠惰な午前を過ごしたのはいつぶりだろうか。ここまでゼクシオンは一歩もベッドから降りずに布団の中でうつらうつらと惰眠を貪っていた。頭はぼんやりするし身体はだるくて、でもその気だるさがどこか心地よかったりもして。おまけに、この腕だ。自分の背後から伸びて身体に巻き付く二本の腕は、身動きしようものなら即座に感知してその締め付けを強めてくる。がっちりとホールドされ、スマートホンを見るのに腕一本抜き出すだけで精いっぱいだった。彼が起きるまでベッドの中から出してもらえそうにない。わがままで力強くて愛しいその腕にそっと頬を寄せると、伸びてきたもう一本の手がゼクシオンの頭を撫でた。包み込まれるような大きな手のひらの感触に安心感をおぼえる。

「……そろそろ起きませんか」

 さすがに時間を持て余していたが、そんな提案も「まだ」と軽く一蹴される。マールーシャは唸るようにゼクシオンの肩口に顔を埋めた。疲れているのだろう。仕事も忙しい時期だと言っていたし、そんなときでも二人で過ごす時間を作ってくれるときは、つい夜更かししがちになってしまうから。

「でも、いつまでこうしてるつもりです」
「何か問題でも?」

 そういうとマールーシャはひときわ強くゼクシオンを抱き寄せてから、くあぁっと欠伸を一つした。無防備な声に思わず頬が緩みそうになる。

「たまの休日くらいいいだろう」

 ゆっくりとそう呟いた後、唇が服越しに肩に当たるのを感じた。
 マールーシャの言い分はもっともだが、これ以上何もせずにいるのは気が引ける。その上、朝から飲まず食わずだ。

「おなか空きましたよ」
「あとで何か作るから」

 もう少し、と背中に顔を埋めたマールーシャのくぐもった声が聞こえた。恋人が甘えてくれるのは無論悪い気はしない。ふう、と息をついてから仕方ないですねえ、とゼクシオンは巻き付く腕をもう一度優しく撫でた。
 観念したのをみると、マールーシャは少し手の力を緩めて機嫌を伺うようにゼクシオンを覗き込んだ。

「何が食べたい」
「何があるんです」
「いい質問だ」

 マールーシャはそういうと考えを巡らせながら冷蔵庫の中のもの諳んじた。

「パン、卵、ベーコン、納豆、野菜もいくつかあるからサラダも作れるな、あとは、米……」
 思いつくままに羅列された食材を聞いて、ゼクシオンは最初に思い浮かんだものを口にした。

「……オムレツ」

 ふわふわで、とろとろの、レストランで出てくるようなアレ。白い陶器の皿に盛られ、皿を揺り動かすとふるふると揺れるような。
 きっと彼なら難なく作れるのだろう。柔らかく陽の差し込む部屋に、少し濃く淹れたコーヒーの香りが漂い、出来立てのオムレツが食卓に並ぶ。理想の朝食図を頭に思い浮かべてゼクシオンは唾を飲み込んだ。

「わかった」
 二つ返事。さすがである。
 マールーシャは乗り気のようで、機嫌よさげに朝食のプランを練る。

「マッシュルーム入れていい?」
「おいしそう」
「あとは、ほうれん草とベーコンのサラダ」
「いいですね」
「決まりだ」

 満足そうにいうとマールーシャはゼクシオンを抱え込むようにして布団をひっぱりあげた。

「じゃあ、もう一眠り」

 そういうマールーシャの声はまだ眠そうで、布団に潜り込むとすぐに寝息に変わった。やれやれとゼクシオンはため息をつく。よほど疲れがたまっているのだろう。夕食は代わりにキッチンに立とうか、なんて考えながら、ゼクシオンは寝返りを打つとマールーシャの広い胸に身を寄せた。たまにはこの怠惰な午前に付き合ってやろうと、一緒になって目を閉じる。

 

20191126