寒い朝

 窓の外はしんしんと雪が降っている。見渡す限り真っ白で、夜中のうちに積もったであろう新雪が目を焼くように眩しい。風は吹いていないようで、雪はただ静かにこんこんと振り続けていた。
 そうやって白がじわじわと視界を覆いつくしていくのを、朝目が覚めてから随分長いことマールーシャは窓から眺めていた。起き抜けで、布団にくるまってベッドに腰かけたまま、すぐ横にある窓に額を付けるようにして外を覗いている。心があったならば無邪気な子供のような表情を見せるのだろうか。近くの木の枝がすっかり雪で見えなくなってしまうのを見届けてしまったが、まったく飽きないな、と胸の内に思う。
 多くの機関員は雪を好まなかった。寒くて冷たくて鬱陶しいだけでなく、狭間に存在する身にとって降り積もる雪は純白で眩しすぎた。
 しかしマールーシャは違う。触れれば瞬時に溶けて消えてしまう儚さを持ちながら、見慣れた風景をも一新してしまう力強さが好きだと思った。冷たく澄みきった空気も気持ちが良い。

 窓を少しばかり開けるときりりと冷えた空気が頬を掠めた。やはり風は吹いておらず、マールーシャは更に窓を大きく開いて身を乗り出す。吐く息はくっきりと白い。
 下を覗き込むと地はすっかり白に埋め尽くされていた。外はどんよりと厚ぼったい雲に覆われて薄暗い。存在しなかった世界にも雪は降る。
 窓枠に頬杖を突きながら、ちらちらと舞う雪を眺め続けた。粉雪が時折部屋に舞い込んでは消えてなくなるのをマールーシャは無心で眺めていた。筋肉質の肌が冷たい空気にさらされていたが寒さはほとんど感じない。いつまででもこうしていられるような気がした。

 

「寒いんですが」

 突如、背後から不機嫌そうな声が飛んでくる。
 マールーシャが振り向くと、声の主はこちらに背を向けたまままだ布団の中で丸まっている。布団の端を半分ずつ使っている上にマールーシャが窓際まで引っ張っているため、彼の背中のあたりには大きく隙間が空いていて、骨張った肩甲骨がすっかり露わになっていた。
 彼もまた雪を好まない機関員のうちの一人である。昨晩眠りにつく前に雪が降っていることに気付いて伝えたものの、やはり『寒い、冷たい、鬱陶しい』と一蹴されたものだ。
 外の様子は気になるが、縮こまった彼をこのままにしておくわけにはいかない。戸を引いて窓を閉めきると、凍えている彼ごと覆うようにしてぴったりと肌を合わせて布団を頭からかぶった。長いこと窓を開けすぎただろうか、彼は足先をすり合わせるようにして寒さに耐えているように見える。細身の彼には酷なことをしてしまった。そっと肩に腕を回して温めるように大事にさする。

「すまない、冷えてしまったな」

 マールーシャは冷たくなった肩に口付けた。返事はなく、相変わらず背中を向けたまま彼、ゼクシオンは身をもぞもぞと捩じらせた。足を伸ばして布団の中に入ってきた熱源を探し当てると、冷えた足先をマールーシャの足にぴたりと寄せた。マールーシャは肩をさすっていた手をのばし、布団を握りしめているゼクシオンの指先を包み込む。寒さに弱い彼はすっかり抵抗力を失っている上に、あたたかいマールーシャの体温を素直に求めた。普段もこれくらい素直だといいのに。

「雪が好きなんですか」

 しばらくの間熱を共有してようやく体温が戻ってくると、ゼクシオンはまだ背を向けたまま問いかけた。

「そうだな。美しくて力強い」

 そう答えるとマールーシャはもぞりと布団から頭だけ突き出してまた窓のほうを見やる。薄明るくなってきた窓の外には変わらず雪の舞う様子が見えた。この様子だと一日中振り続けていそうだ。

「あとで少しだけ外に出ないか」
「せっかく休暇になったのに?  お一人でどうぞ」

 体が温まり口も達者になってきたようだ。切り捨てるようにすっぱり言い切ったかと思うと、少し間をおいてククッと笑い声を漏らした。おや、とマールーシャが思っているうちにゼクシオンはぐるりと身を返し、腕の中で向かい合った。布団がはがれ、深海のような碧眼と目が合う。

「本当に好きなんですね。子供のようにはしゃいで」
「はしゃいでいるように見えたか」
「随分と楽しそうでしたよ。昨晩、雪が降っているのを見た時から」
「お前も子供のころは雪にはしゃいだのか?」
「さあ。昔のことは忘れました」
 つんとした返事。彼は昔のことを語るのを好まない。
「寒いのは嫌いです。昔も今も」

 ゼクシオンは手のひらをひたりとマールーシャの胸に当ててそのまま頭を預けた。手の指先はまた少し冷たい。

「布団から出ずに過ごすつもりなら付き合おう」

 マールーシャは自分にもたれかかるその首筋に唇を寄せて囁く。

「すぐに熱くなる」

 拒否の言葉はない。ゼクシオンの瞳が先を促すようにこちらを見上げるのを見て、マールーシャは再び布団をぐいと引っ張り上げて恋人ごと覆いつくした。

 

20181224