微熱
隣にいたはずの恋人はもう起きだしているようでその姿はない。休日の朝くらいそんなに急いでベッドを出なくても、とやや不満に思いながら、彼のいたスペースにもぞもぞと身を寄せる。布団に潜り込むとほのかに残り香を感じることができたのでゼクシオンは少し機嫌を直した。すっぽりと布団をかぶってしまうと、こもった熱と僅かな彼の気配に全身を委ねてまた少しまどろむ。身体は少しだるかった。疲れがたたったのだろうか。今日は外出の予定も立てていないので、このまま部屋でのんびりと過ごしてもいいだろう。贅沢な休日だ。もうひとつ贅沢が許されるなら、とゼクシオンはぼんやりとその体温を思い出す。彼が、そばにいてくれたらいいのに。
欲する熱はなかなか治まらず、むしろ思いだせば思い出すだけ更に欲しくなっていった。まずいなあ、とゼクシオンはひとりごちる。昨日だって手加減してもらったつもりはない。満たされた、と感じたはずだ。それでもその手を、体温を、思い出すと身体の奥は静かに疼いて仕方なかった。……あきれられてしまうだろうか、まだしたい、なんて思っていると知られたら。
心地よい気怠さに身を任せていると、廊下の先からこちらに向かってくる足音が聞こえた。そのままドアの開く音、ベッドの空いたスペースに腰掛けたのだろう、ぎしりとスプリングがしなってその体重がゆっくりと沈み込む。心の声が聞こえてしまったかのように思わせるタイミングでの彼の来訪に、どきどきしながら布団から顔をのぞかせると、こちらを覗き込む優しい瞳とぶつかる。マールーシャがおはよう、と目を細めていた。顔が緩んでしまうのを隠すために、布団を目元ぎりぎりまで引っ張り上げたままこくりと頷く。前髪を払おうと伸びてきた指先が額に触れたとき、マールーシャは驚いた顔をしてそのままひたりと手のひらを額に当てた。
「熱いな。熱が出たか?」
いつもはその手のひらの温度のほうが温かく感じるのだが、今日は自分のほうが熱いせいか、彼の手もいくぶんかひんやりと感じる。それはそれで温度差が気持ちよくて、ゼクシオンは無言のままその手のひらに縋るように目を閉じた。大きな手は額から離れ、乱れた寝起きの髪の毛を梳くように撫でてくれる手つきは優しい。
「無理をさせてすまなかった」
「いえ、これは、そうじゃなくて」
マールーシャが申し訳なさそうに言うのでゼクシオンはぱちりと目を開けて布団を剥いだ。身を起こすとずしりと頭は重く、体のだるさが浮き彫りになる。
「思い出していただけです……」
照れながら観念する様子を見て、ゼクシオンの言わんとするところを理解したマールーシャは少し安堵した様子で再度頬を撫でた。
「今日はゆっくりしたらいい。欲しいものがあれば何でもいってくれ」
「なんでも……」
ほしいもの、と聞いてじくりと体内でまた熱が生成されるのを感じた。頬に感じるほのかな体温に、そっと寄りかかる。
「食べたいものとかあれ、ば……」
マールーシャが言い切る前に、手の中におさまっていた微熱はすとんと彼の広い胸の中にその身を投じた。それにとどまらず、細い腕が腰に回されたかと思うと、指先は服の裾を捲ってマールーシャの素肌に触れた。首元に埋めてすんすんと匂いをかいでいると、ゼクシオンの中に燻っていた感情が再熱する。欲しいなあ、この体温が、もっと。
「……積極的だな」
「……なんでも、って」
言ったのは貴方ですよ、とばかりに見上げる。マールーシャは予想外のリクエストに驚いている様子だった。普段取り乱すことのない彼が困惑しているのを見るのは少し愉快だ。
「身体に障らないか」
「平気です」
ぱさぱさと頭を振って目にかかった髪の毛を払うと、まだ少し戸惑っている様子のマールーシャを下から見上げ、熱の促すまま小さく告げた。
「欲しい」
*
「……こういうの、きらいですか」
マールーシャの足の間から上を見上げる。ゼクシオンの細い指は、その足の間にそそり立つ陰茎を撫でるように包み込んでいた。自分が発熱している自覚はあるものの、昂ったそれはさらに熱く手の中で主張している。ドクンドクンと脈打つそれが、はやくほしくてたまらない。
「全然」
マールーシャはそう言うも、慣れない振る舞いに落ち着かないのか、くしゃくしゃとゼクシオンの髪の毛を撫でていた。マールーシャの返事を確認してから、ゼクシオンは唇を舐めて昂ぶりの先端にそっと口付ける。
普段は『こういうの』はするのもされるのもそんなに好きじゃない。でも今日は、なんだかそういう気分だ。熱で普段の冷静さがと理性とが溶け出して本性が現れたかのように、欲してやまなかった。
歯が当たらないように気を付けながら、唇でその張りを優しく愛撫する。いつも彼がしてくれるときのことを思い出しながら、記憶をなぞるように丁寧に触れた。こうして吸い付くように、軽く音を立ててキスをされると、羞恥を煽られてたまらないのだ。彼は今どんな表情をしているのだろう。気になるところではあるが、今はご奉仕に努めることにしてまた眼前の昂ぶりに意識を向ける。
柔い愛撫を繰り返していると、じわりと先端に透明な液が溜まっているのに気付く。舐めとるように舌で掬うと、つぅっと糸を引いて見る者の情欲を煽った。どちらともなくごくりと生唾を飲む音が静かな部屋に聞こえる。
拙い所作だがそれでもマールーシャは興奮してくれているのか、いつのまにか髪の毛を撫でる手は止まり、鼻から息の漏れる音が聞こえていた。促されるように頭に回された手に力がこめられると、ドキドキしながらもゼクシオンは口を開けて含みを進める。熱いそれの侵入を舌で受け止めるように、たっぷり唾液を絡ませながら、少しずつ、飲み込むようにして咥え込んだ。口の中が熱でいっぱいになり、舌の上にまで響くような脈動を感じて、ゼクシオンもまたそれまで以上に熱くなっていた。
「口のなか、熱くて気持ちいいな」
うっとりというマールーシャの声に気をよくして、ゼクシオンはそろそろと頭を動かすことを試みた。口の中ではちきれんばかりのそれはどう頑張ってもどこかしらに当たってしまいそうで、滑らかに動かすことは極めて困難だった。規格外め、と思いながらも、その大きさを愛しくも思う。
こういうとき、彼は普段どうしてくれていただろうか? 記憶をたどれど、根元まで咥え込まれてしまった時にはもうこちらには余裕などほとんどなくて、押し寄せる快楽に流されてしまわないようただ必死に唇をかみしめているばかりだったことを思い出させられた。
「先の方舐めて」
奥まで無理しなくていいから、とマールーシャはまた頭を撫でた。もたついてしまったせいで相手に余裕を与えてしまったようだ。ずる……と半分ほど引き抜かれ、再び先端の愛撫に戻る。マールーシャの片手は優しく頭を撫でながら、空いたもう片方の手は露わになった竿の根元を自ら扱いた。唾液でぬらぬらと濡れたそこは、手を動かすたびに控えめに水音をたててゼクシオンの耳を攻める。五感が彼に支配されているような感覚に満たされる思いで、また先端へのご奉仕に集中した。
前髪が垂れるのを耳に掛けながら、舌先で裏の筋を捏ねる。ここをしつこくされるのが、自分は好きだ。いやだいやだといいながらも、すぐに抵抗できなくなってしまう。男なら嫌いではないだろう。案の定、マールーシャも再び興奮高まってきたのか、頭を押さえる手に力がこもり始めていた。意外とわかりやすく反応するのだな、とゼクシオンは見慣れない恋人の様子に興奮を掻き立てられていた。普段は翻弄されっぱなしだが、たまにこうして主導権を握るのも楽しいかもしれない。……でも次は、煽った代償にと力強く抑え付けられて、また何も考えられないくらい翻弄されてしまいたい、なんて思うのだから、やはり自分はこちら側なのだろう、とも思うのだった。
ん、と彼が声を漏らしたのでゼクシオンは初めて顔を上げてマールーシャの表情を伺った。ばちっと目が合った時、ゼクシオンはその溢れ出る色気に瞬時に当てられてしまった。とろんと熱に浮かされたような、それでいて、雄々しくこちらを見据える強い眼差しは、ゼクシオンの体温をまた上昇させる。参りました、とこちらから白旗を上げたい気にすらなる。もうどうにでもしてくれ、と。
「そろそろ、出したいが」
根元を扱きながらマールーシャは、また顔に垂れてきたゼクシオンの前髪をぐいと掻き上げた。つられて、ねぶっていた先端を口から離してしまう。ぷぁ、と息が漏れ、だらしなく開いた口からは舌を伝って唾液がだらりと流れ落ち、シーツに点と染みをつけた。
「かけていいか」
さきほどまでの優しい眼差しはどこへやら、ギラギラと目を光らせながらマールーシャはゼクシオンの顎を掬いあげる。有無を言わせない問いに、ゼクシオンはこくりと頷いてから邪魔にならないように髪の毛を手で寄せて抑えた。あまり気持ちのいいものでもないので普段ならばなかなか気乗りしないのだが、もう今日は彼の望むままにされたかった。きっと熱のせいだろうとゼクシオンは決め込んだ。自身がすっかり蕩け切った顔をしていることには気付いていない。
眼前で扱かれるそれの激しさが増してくると、彼の興奮しているさまに尚興奮した。いつのまにか自分の右手が自分自身を同じくらい激しく扱いている。手が、顔が、頭が、熱くてたまらない。彼のすべてを受け止めたい。そう思った直後、勢いよく放たれた精がゼクシオンの顔に直撃した。思わず反射的に目を瞑る。自分の熱と同じ、いやそれ以上に熱い。脈打つようにドクドクッと何回かに渡って噴射されたそれが、とろとろと頬を伝って流れ落ちていくのを感じる。目を開けるとこちらを見下ろしているマールーシャは息荒く、白濁に濡れているであろうゼクシオンの顔をじっと見つめていた。零れ落ちそうな精液を指で拭うと、ゼクシオンはそれをぺろりと舐めとった。……美味しいものではないが、彼のそれだと思うと不思議と嫌ではなかった。
「結構でましたね……昨日の今日で」
「お前がしてくれるなんて珍しいからな」
「まだいけますよね?」
「何だって」
思わずマールーシャは聞き返す。触れられてもいないのにいつのまにかゼクシオンの息はすっかり上がっていて、身体を起こすとその身を摺り寄せた。燃えるように熱いその身体に触れて、マールーシャは怪訝そうに顔を覗き込む。
「おい、悪化していないか」
「自分だけ気持ちよくなって終わりなんて、ずるいです」
咎めるように言いながらゼクシオンは逃がすまいとマールーシャの上に乗り上がった。そうだ、自分だけ射精しておいて、こっちは道中で盛り上がった気分のまま達していないし、後ろもその続きをすっかり期待してしまっている。
「でも……」
「きっといま、熱くて気持ちいいですよ、僕のなか」
はあっと息を漏らしながら耳元で囁くと、手探りで吐精したばかりのマールーシャの陰茎に触れた。多少勢いは衰えているようだが、もう一回くらいなら付き合ってくれるだろう。ほら、想像したのか、また熱く芯を持ち始めてる。
柔らかい桃髪をかき分けて甘えるように耳朶を食むと、観念してくれたのか、ぐいと抱えあげられて広い胸の中に抱き寄せられた。尻肉の間に熱いそれが差し込まれるのを感じると、ぞくぞくとこみ上げる熱情にゼクシオンは身を震わせて歓喜する。
どっちの熱だか、もうわからない。それが体内に入ってくるのを感じたとき、僅かに残っていたゼクシオンの理性は完全に焼き切れたのだった。
*
電子音の知らせに体温計を引き抜いてそこに表示された数字を見ると、マールーシャは渋い顔をしてベッドの中に伏しているゼクシオンを見下ろした。
「あがってる」
「……あつい」
「やめておくべきだった。すまない」
「……言い出したのは僕ですから」
そうは言うもののゼクシオンの視線は朦朧と宙を彷徨う。微熱だったはずのそれはすっかりあがってしまい、いまや風邪のような倦怠感を伴っていた。もう起き上がることもかなわない。贅沢な休日はどこへやら、一転して寝室は病床となってしまった。
「今日はもう寝ていろ。身体を拭くものを用意するから」
そういうとマールーシャは絡んだ熱い指をそっと解いて部屋を出た。止めるほどの気力はもう残っていないゼクシオンは、空を掴む指先をぼんやりと見つめながら彼のくれた余韻に浸る。頭はぐらぐらして何も考えたくなかった。寝起きにもまして身体は軋むように痛むし、声も掠れてうまくしゃべれない。
まずいなあ、とゼクシオンはまたしてもひとりごちた。熱が上がったことに対して、ではない。癖になってしまいそうだった。痛みも、気持ちよさも、あとに残るこの熱も、だるさも、全部。
「またしたい」
冷たいシーツに頬を寄せて、ゼクシオンは一人の部屋で小さく声に出した。
20200213