あなたが欲張りでよかった - 1/2

 その日、マールーシャは珍しく御呼ばれされてゼクシオンの部屋に来ていた。焼き菓子を作るのでよかったら来ませんか、なんて誘われたので上機嫌でやってきた次第である。
 部屋に入った途端、目を瞑っていてもわかる濃厚なチョコレートの香り。

「いい匂いだ。ケーキまで作れたとはな」
「そんな大層なものじゃないですけど」

 慎ましやかに言いながら、ゼクシオンは片付けもあらかた済んだキッチンを後にエプロンを外した。マールーシャが来るまでにほとんど調理の工程は完了していて、あとはもう間もなく焼き上がるのを待つだけだという。
「茶菓子にくらいなればと思って」なんて言うけれど、この季節にしっかりとチョコレートを使うことの意味を思うとマールーシャの顔は自然と緩んだ。今年は手作りか、と内心上機嫌で、てきぱきとティータイムの支度をする恋人の後姿を見つめる。

 ほどなくして完成を告げる電子音が部屋に響いた。焼き上がったブラウニーの出来栄えにはゼクシオンも満足そうだ。レンジでこれだけ作れる時代ですよ、と得意げなのがまたなんとも。丁寧に切り分けるのをマールーシャもすぐそばから眺めていた。……もしもマールーシャに犬のような尻尾がついていたら、ちぎれんばかりに振っていたことだろう。
 出来上がったものを皿に盛って粉砂糖を振るうと、ちょっとした喫茶店で出されてもおかしくない見栄えだ。お茶にしましょうか、と微笑むゼクシオンが愛しくて、たまらない気持ちになる。皿に取り分けられて尚余っているそれは少し多い気もするが、それも彼からの愛の大きさだと思えば……なんて悦に浸っていると、ゼクシオンは何処からともなくいくつかの箱を取り出して、残った焼き菓子たちを箱に小分けにして詰め始めた。はて? とみている間にすっかりラッピングまでされてしまって。

「……それは?」
「大学の友人にあげる分」
「え?! 配るのか?」
「だって僕たちだけじゃ食べきれないでしょう」

 さも当然というゼクシオンに、それは、まあ……と歯切れの悪い返事をしながらマールーシャは、先ほどまでの高揚感が急速にしぼんでいくような気持ちになってしまっていた。自分にだけ特別に作ってくれたのかなんて、子供じみた期待をしてしまっていた。もしもマールーシャに犬のような耳がついていたならば、ぺたりと垂れてしまっていたに違いない。
 罪のないラッピングの箱を少し恨みがましく見つめる。シンプルだけど丁寧に詰められた箱は一つにとどまらない。明日にでも配られるのであろう友人たちとやらを思うとつまらない嫉妬心を覚えた。彼は私の恋人なんだぞ、だなんて、大人げない感情。それでも、ゼクシオンのことを――

「……独占したい」
「え?」

 つい口に出ていた。声に出してしまってから気付く。年ばかり大人で、自分の中にこんな稚拙な独占欲があったなんて。

「……そんなに甘いもの好きでしたっけ」

 しかも肝心の相手はその対象を勘違いをしている。違うそうじゃない。

「違う違う、なんでもない」

 誤魔化すようにマールーシャは慌てて手を振った。ゼクシオンは怪訝な顔をしながらも、椅子を引いてマールーシャに座るよう促す。
 席について、皿の上のあたたかいブラウニーをじっとみつめた。変な欲が出てしまったが、前向きに考えよう。ほかの人と共用のプレゼントだったとしても、こうして出来立てを一番に食べれる特権は自分にしかないのだから。
 冷蔵庫の方へ行ったゼクシオンは、戻ってくると積み上がったラッピングを眺めて呟く。

「これ全部独り占めなんて……さすがに多いでしょう」
「違うから……」
「だから……あなたにはこっち」

 え?
 顔を上げると、いつの間に用意されていたのか、リボンのかけられた小箱が差し出されていた。

「えっ、これ……?」
「バレンタインのお品です。お納めください」
「え、え、こっちじゃなくて?」
「こんなの茶菓子だって言ったでしょう」

 あきれた様子で、ぐいと小箱をこちらに押し付けてからゼクシオンはくるりと背を向けてぼそりと呟いた。

「……さすがに本命は別で用意していますよ」

 髪の毛から少し覗く耳の先端が、赤く色づいていた。本命、という言葉がじわあっと染み入るように耳の奥に浸透していった。

「ゼ……!」
「あ、お湯沸きましたね」

 思わず立ち上がって後ろから抱きすくめようとしたのに、恋人ときたらこちらも見ずにすたすたとポットのほうに向かっていってしまった。照れ隠しゆえか。地団太を踏みたいくらいいじらしい。すきだ、とマールーシャは降って湧いた多幸感を噛み締める。
 お茶の支度を整えてゼクシオンがようやく振り返ると、驚いたような、困ったような、照れたような顔をして微笑んだ。

「あなた、面白い顔してますよ」
「え?」
「ゆるみきってる」
「……こんなの不可抗力だ」
「ふふ」

 締まりのない顔になっている自覚はあった。だって、特別扱いがこんなにも嬉しいなんて。
 テーブルの上には焼き立てのブラウニーと、今年もマールーシャの贈ったバラの花が小さな花瓶に生けてある。

 

Happy Valentine’s day!!

20200214