お疲れのあなたへ side11

 乱暴に部屋のドアを開けるとゼクシオンは抱えていた重そうな本たちを机の上にほとんど投げつけるように放った。わき目もふらずにベッドに一直線に向かい、靴もコートも脱がずに、さして柔らかくもないベッドに倒れこむ。適当に放り投げた本たちのうち何冊かがバサバサと床に落ちる音が時間差で聞こえてきたが、拾いに行く気にもなれない。ただただもう何もしたくなくて、きつく目を閉じてシーツに顔をうずめた。電気のついていない部屋は窓から差し込む月明かりでぼんやりと明るい。

「……まるで自室のような大胆さだな」

 部屋に響く声はまさにこの部屋の主、マールーシャのものだった。
 返事はない。身動き一つせずじっとベッドに横たわるゼクシオンをみてマールーシャはそっと息をついた。おおかた研究に没頭しすぎて体力、精神ともども限界を超えたのだろう。対人では冷徹な面もあるが、興味のある物事に対しては熱心に取り組む性格だ。

(一体何日寝ていないことやら……)

 ゼクシオンが自発的に部屋に来ることは滅多にないが、こうして極限状態になったときはふらりと訪れることが以前にもあった。特に何かを望むわけではなかったが、休息の場としてこの部屋を選んでくれたからには精一杯労わってやりたいものである。
 マールーシャは手元の明かりを消して静かに立ち上がると、床に散らばった本と資料を拾い集める。走り書きのメモは難解でもはや本人以外には読めまい。簡単にまとめて机の上に重ねると、ベッドへと足を向けた。

「今日はまた随分とお疲れのようだな」

 ベッドの空いたスペースに腰かける。ギ、とスプリングが軋む。なお無反応のゼクシオンの横に手をつき、銀髪からのぞく耳に口を寄せる。

「寝たのか」

 ピクリと手に力が入ったのを見逃さない。どうやらまだ意識はあるらしい。
 一度体を起こすとマールーシャはゼクシオンの投げ出された足に触れる。まだ靴を履いたままだ。

「ゆっくり休んでいったらいい」

 返事を待たずに下肢を抱えるようにして、片足ずつブーツを取り去る。抵抗もなくされるがままだ。
 靴をそろえてベッドの脇に立てかけると、マールーシャは再び手をついて覆いかぶさるようにベッドに乗り上げた。特に下心はなかったはずだが、白いうなじと耳が見えて少々いたずら心に火が付く。
 身をかがめて耳に唇を寄せて優しく食み、舌を這わせるとやっとゼクシオンはわずかに身を捩じらせた。唾液を絡めながらわざと水音を響かせるようにして耳孔を舐る。こちらの息遣いを伝えるように耳元で呼吸をするだけでひくひくと肩が上下した。
 そのまま耳を愛撫しながらそっと手を腹の下に差し込む。撫でるようにしながらファスナーの引手を探り当て、ゆっくりとスライダーを下ろす。パチ、とファスナーが外れると、マールーシャは耳を解放し身体を離した。いつの間にかゼクシオンの手はシーツを握りしめ、耳から首にかけてはほんのりと赤く色づいている。耳は弱点なのはもちろん熟知していた。

「こっちを向いて」

 そっと肩を掴むと腕の中でぐるりと半回転させてゼクシオンを仰向けにする。顔は上気して、力なく睨みつける目は潤んでいた。

「ほら、脱いだほうがだいぶ楽じゃないか」

 そういいながらマールーシャは仕上げにとコートの前飾りをパチンと外した。

「……耳は関係ない」
「悪かった、魔が差した」
「僕、疲れてるんですよね」
「でも、好きだろう?」

 ため息をつくゼクシオンを余所に、マールーシャは寝たままの彼を抱いて器用にコートから腕を抜かせる。寝るときに身にまとうには少々硬い素材だ。脱がせてしまったほうが良い。
 取り去ったコートを軽くたたんで枕元に置くと、するりと伸びたゼクシオンの指がマールーシャの唇を掠めた。無言のままゼクシオンは、マールーシャの胸ぐらを掴むとぐいと自分のほうに引き寄せる。口から赤い舌が覗き思わず見入ってしまう。

「ねだるなんて珍しいな」
「無粋ですよ」
「……すまない」

 後頭部に手を回すとそっと舌を絡めた。味わうように相手の舌を舐め上げ、深く口付けを交わす。静かな部屋に水音が響き、生温かい舌をゼクシオンは自ら吸い付いて求めた。
 コートを掴んでいた手がマールーシャの背中にまわされる。珍しく甘えてくれる恋人にがっついてしまいそうな衝動を胸の内に鎮めながら、マールーシャは普段なら到底しないような優しいキスを繰り返した。

「ん……ふ……」

 とろりと甘やかすようなキスに甘い吐息が零れ落ちる。マールーシャは唇を離すと長い前髪を掻きあげて瞼にキスを落とした。撫でるように肩を抱くと、だんだんとゼクシオンの身体から力が抜けていくのが伝わる。こてん、と背中にまわされていた腕がシーツに落ちた時にはもうすっかり寝入っていた。
 安らかな寝顔を見降ろしながらマールーシャは手を伸ばして窓辺のカーテンを引く。少しでも疲れが癒えることを願いながら隣に身を横たえ、もう一度額にキスを落として目を閉じた。

 

20181011