099 たこ焼きを作ってみた2

 近くの神社で地域民だけが集まるようなささやかな夏祭りが毎年行われている。ささやかとはいえ、屋台も並び神輿も担がれ、地域ではそれなりに名の知れた催事だ。陽が沈み空が薄紫色に染まり始めるころ、篠笛の音が遠くに聞こえるのに惹かれるように、ひとりまたひとりと人が集まり始める。
 ゼクシオンももちろんその催しのことは知っていたが、これまで足を運んだことはない。集まって盛り上がるような友人はいないし、人ごみは大の苦手だ。恋人と連れ立って、見慣れぬ浴衣姿に心穏やかじゃない青春時代、なんていうものには無縁だった――これまでは。いまさらそんな気恥ずかしいイベントが待っているなんて、誰が想像できただろうか。

 すこし、息が苦しい。人の多さにあてられたか、あるいはきつく巻かれた帯のせいだろう。身体に密着する着慣れない素材の質感は、窮屈な感じではあるが不快ではない。
 自身を見下ろす。深緑色が濃いその浴衣は、今日初めて袖を通した。完全に着られているな、と思いながら、しかし落ち着いたその色合いをゼクシオンも気に入っていた。これを贈ってくれた人が似合う似合うと何度も繰り返し言いながら着せてくれたのを思い出して、すこし頬がゆるむ。

 かつてたこ焼きを食べたことがないといった自分に、祭りにいって屋台のたこ焼きを食べようなんて話をしたのはずいぶん前だ。口約束未満の社交辞令だとばかり思っていたのに、夏が来る前に彼は自分を連れ出して浴衣を見に行った。覚えていたんだ、と思わず口からこぼれたのを聞き漏らさず、約束しただろと大真面目に返された。そうでしたっけ、と素っ気なく顔を背けたのは、赤らんでしまいそうだった顔を見られたくなかったから。だって、自分だけだと思っていた。
 近くで催される祭りに着ていこうと約束したのは、揃って買った浴衣を抱えたその帰り道でのことだった。着付けなんてできるはずがないので最初から最後までやってもらった。膝をついて帯を締めてくれるとき、眼下に揺れる桃色の癖毛を、こんなに近くで見たことがあっただろうかとじっと見つめていた。

 そうして繰り出した小さな祭りは、人ごみが嫌だからと敬遠していた割に楽しかった。境内に並ぶ屋台で目当てのたこ焼きを堪能し、陽気なおじさんに声を掛けられてヨーヨーを釣り、端から端まで歩いた後は少し疲れて木の影で休んだ。何か飲むものを買ってくる、と一人で歩いて行った彼の帰りを待ちながら、心地よい疲労感をゼクシオンは感じていた。誰かと過ごす時間をあまり知らなかったせいか、密度の濃い時間にくらくらした。たのしい、と感じている自分に気付く。

 袖を引かれて振り返ると、紺藍の浴衣に身を包んだマールーシャが戻っていた。肩幅の広い姿に浴衣はよく似合っていて、今日は後ろでまとめられた桃色の頭髪が垂れかかり、藍の地に映えている。そのコントラストに釘付けになってしまった。素直に美しいと思った。すれ違う人がいちように振り返るのもうなずける。

「足、大丈夫か」

 慣れない下駄で歩き回ったことを気にかけてくれているのだろう。鼻緒が擦れて指の間にひりつきを感じ始めていたが、特別な時間ではその痛みすら気にならない。ゼクシオンは大丈夫、と頷いた。
 飲み物を買いに行ったはずだったが、マールーシャの手は空のままだ。

「ちょっと、こっち」

 声を落とすようにそっというと、はしと手を握ってマールーシャはひとけのない茂みへとゼクシオンを連れ込んだ。え、ちょっと、と声を上げるも、マールーシャは振り返らず進んでいく。
 急な展開に鼓動が一気に速くなった。賑やかな明かりと人の声はどんどん遠ざかり、木々が鬱蒼とする暗がりを二人きりで進んだ。足の指先に土の湿り気を感じる。握られた手が熱い。相手の体温か、はたまた自分か、訳の分からないままゼクシオンはただ連れられて背中を追う。目の高さで、かんざしの紅玉が誘うように揺れている。

 やがて水音が聞こえてきたあたりでどこまでいくんだと声をあげかけたら、し、と言って彼が立ち止まった。振り返って唇の前に指をあてている彼にまた見とれかけていると、ふわと何かがその横で揺れた。ほのかな光を見付けたゼクシオンは目を丸くして呟く。

「――ほたる?」

 無言のままマールーシャがうなずいた。手を引かれるままもう少し進むと、茂みの先にはさらにいくつもの小さな光が、静かに舞いながらゆっくりと点滅を繰り返していた。音もなく光たゆたう幻想的な風景に、ゼクシオンは言葉を失う。

「暗がりの奥で光るのが見えたから、蛍だろうと思って」

 マールーシャはそう耳元で囁いた。

「初めて見ました」

 ゼクシオンもやっとのことで囁き返す。異世界に迷い込んだかのようだ。
 水がきれいなんだろう、と囁いたマールーシャの肩に、蛍がとまった。小さな光に目を向けるその横顔を、息をするのも忘れて見つめる。それに気付いたマールーシャが、同じようにこちらを見つめた。

 あ、と思ったのと、寂光が肩を離れたのと、暗がりの中で唇に柔らかく何か触れたのと、全てが同時だった。
 俗世から離れた音のない世界で、何もかもが夢のように感じられた。唇と、触れたままの手に感じる熱だけが二人をここに繋ぎとめているような気がして、茫漠としたこの時間の果てなきを、ゼクシオンは願わずにはいられなかった。

 

ーーー
今日の116
たこ焼きを作ってみた。これ楽しい!と焼きまくる。ちょっと作りすぎてしまったけど、二人でちゃんと食べました。