100 なんの記念日でもないけれど
ゼクシオンがこうしてテーブルの支度をするのは稀であったが、正確に分量を量ったり時間をみてきちきちとこなす作業は得意だし、加えて文字通りのおいしい報酬が得られるのでさして苦にはならなかった。(もっとも、他人の淹れた紅茶を出されるだけの優雅なティータイムの方が望ましいのが本音ではあるが)
紅茶の支度が整うと、テーブルの端に置かれたメモ用紙をそっと取り上げた。優雅で大胆な筆記体で書かれたレシピの内容はとっくに暗記している。それでもゼクシオンが紅茶の用意をするときは、なんとなく近くに置いて目の端で筆跡を眺めながら作業に臨むのが常であった。ある種願掛けのようなものかもしれない。どんなに彼のレシピに忠実であれど、本人が淹れてくれるものにはどこか及ばないと思っていた。悔しいので本人に言うつもりもない。どうせいつものように余裕に満ちた笑みをたたえて彼の好きな戯言を口にするに決まっている。『“心”を込めて淹れるのだよ』、などといった風に。
メモをそっとたたんでポケットの中にしまい込むのとほぼ同時に、扉の向こうから足音が聞こえてきた。足音はゼクシオンの部屋の前でとまり、律儀にノックをして扉が開かれるのを待っている。勝手に入ってくればいいものを、とうんざりしながらゼクシオンは扉に向かいドアを開け、そこに立っている大男を睨み上げた。
「自分で開けてくださいと前も言いましたよね」
「すまない、両手が塞がっていたもので」
部屋を訪れたマールーシャは涼しい顔でそう言うと、後ろ手に持っていたものをゼクシオンに差し出した。凛とした生の香りが一瞬鼻先を掠める。見ると、白い花ばかりの花束だった。今更驚くこともない。彼が手ぶらでやってくることの方が珍しいくらいだ。
「花を摘んで道草を食ってはいけないと教わりませんでしたか」
「童話の話か。狼には出くわさなかったぞ」
「もうとっくにお茶の支度はできていますよ」
「おや、それはいいタイミングだ」
嬉しそうにマールーシャは言うと、じとりと睨むゼクシオンに花を押しつけて勝手に部屋の中へ進んだ。お気に入りのティーセットを前にして嬉しそうにしている横顔に、喉元まで出かけた小言を有耶無耶に飲み込んで、仕方なくゼクシオンは手の中の花を慣れた手つきで活けた。
「待たせて悪かった。けれど、これで許してくれないか」
そういう彼のもう片方の手には、ちょっとした洋菓子店の小箱があった。以前も手土産でテーブルに乗ったことのあるその味を、ゼクシオンははっきりと覚えていた。眉間に寄っていた皺が無意識のうちに消えていく。
「……まあ、ちょうどお茶の用意もあることですし」
部屋には紅茶の馥郁たる香りが満ちている。マールーシャが満足そうに目を細めながら、ガラスの花瓶の花に触れる。その淡い色合いのコントラストに、ゼクシオンも引き込まれるように見入っていた。
特別、なようでいて、これが二人のありふれた日常。
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今日の116
なんの記念日でもないけれどケーキを買った。お茶を淹れて、小さいホールケーキを二人でぺろり。よく食べました。