101 何も無いところで躓き転ぶ
自宅から街の図書館に向かう途中にこの公園があるので、ゼクシオンはいつもこの大通りを通っていた。もうすっかり落葉で道が見えなくなっているのに気づき、季節の流れを感じる。濃い緑の葉を生い茂らせて涼し気な木陰を歩いていた夏は大昔のことのようだ。
子供が走り回る入り口付近を抜ければ公園内に人影はほとんどない。歩くペースを少し落として、五感を研ぎ澄ませて歩いた。枯葉を踏む軽い感触、乾いた匂い、風が梢を揺らす音。肩に背負った鞄には本が詰め込まれていて少し重い。都会のアスファルトの海では見落としてしまうであろう感覚を此処では思い出すことができた。住み始めた当初は長く歩くのが億劫で、もっと図書館が近ければいいのにと不満に思っていたけれど、四季を感じながらゆっくりと歩くこの時間は存外悪くないものかもしれないと最近になって思う。
見上げると空は快晴で、青い空と金色の梢に目を細める。いい季節だ。秋が好きだ。
などと、足元をおろそかにしていたせいであろう。
「う、わ!」
うず高く積もった銀杏の葉にゼクシオンは足を滑らせてしまった。
思わず声まであげながら、しかしぎりぎりところで踏みとどまり転倒には至らずに済んだ。よそ見をするものではないな、と反省しながら肩からずり落ちた鞄をかけなおしていると、不意に、くすくすと笑い声が聞こえた。
ぎくりとしておそるおそる目をやると、少し先のベンチに腰かけている人物があった。黒いコートに映える桃色の髪の毛は、自分のよく知った人物のものだ。
「考え事でもしていたのか?」
人影のない静かな路上で、マールーシャの声はよく通って聞こえた。深く響く声が、耳に心地よい。しかし醜態を見られたのが分かると途端に居心地は悪くなった。
「よく転ばなかったな。声、ここまで聞こえた」
「ああもうやめてください……なんでこんなところにいるんですか」
「休日に公園を散歩していても構わないだろう。秋の空気は気持ちがいいからな」
そういって一つ伸びをすると、マールーシャは手に持っていた本を閉じて立ち上がった。そのまま、当然のようにゼクシオンの隣に並ぶ。きょとんとしていると、「図書館に行くんだろう」といって手の中の本を軽く上げた。私も丁度読み終わったんだ、と。
目的地を同じくして、ゼクシオンはマールーシャと並んで歩きだした。ぽつぽつと他愛ない話をしながら、何とも言えない気持ちでゼクシオンは足元ばかり見て歩く。彼と偶然会えるのも、一緒に歩く時間も、本当は噛みしめるほど嬉しいのに、醜態をさらして笑われてしまった直後なのできまりが悪い。
道に積もる葉は多く、木の枝は相反して空間が目立ち寂しくなり始めている。今年はこの景色もまもなく見納めとなるだろう。道の端に積もる落ち葉をがさがさと蹴散らして進んでいると、不意に肩を抱かれた。ぎょっとして顔を上げると、マールーシャが真っ直ぐこっちを見ている。えっ、そんな、僕たちまだそんな関係では。
なんてひとり慌てているうちに、そのまま肩を抱く腕の力は強まって…………道の内側に連れられた。
「こっちの方が歩きやすいぞ」
言われて足元を見ると、歩道の内側は人がよく通るせいか確かに枯葉の嵩が少ない。ゼクシオンが収まるべきところに収まると、肩に触れていた手はあっけなく離れていった……当然なのだけれど。
「紳士的ですね」
皮肉を込めてゼクシオンが言うも、そりゃあ、もちろん、とマールーシャはなんてことなさそうに微笑んだ。細くなった目に心まで掴まれてしまったような気になり、そんな気持ちを振り切るように顔を背けてしまう。
言葉にできない気持ちが、彼といるとずっと自分の中にある。それは決して不快なものではなくて、優しくいられるようで、心温まるような気持ちだ。それでも、この先を知ってはいけないと思う気持ちもまた胸の内で共存していた。
……そういえば、道を譲ってもらったのにお礼を言いそびれてしまった。ちらと隣を見上げれば、まっすぐ前を見て歩くマールーシャの横顔。凛々しくて見とれてしまいそうになる気持ちをまた押さえ付けて、同じように前を向いた。彼も見ているであろうこの一面の金色の世界を目に焼き付けようと努める。
果たしていつまで抑えきれるだろうか、抑えきれなくなったら、どうなってしまうのだろうか。
悶々としているうちに口からはため息がこぼれていた。
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今日の116
何も無いところで躓き転ぶ。誰も見ていないだろうと周りを見回すとばっちり目が合い赤面。