102 大事なものを無くした

 何者かに揺り起こされた。乱雑に肩を掴むなにかを何度振り払えど相手は執拗にこちらの睡眠を妨害し、ついにはベッドの上まで乗りあがってきた。体重をかけられて思わずうぐと喉から唸り声が上がるが、それにも構わぬ様子で相手は布団を捲り、ごそごそと周囲を探り始めた……そういうのはもっと早い時間に頼みたい。
 諦めてマールーシャは呻きながら身を起こした。暗闇に目を凝らすと、ゼクシオンが手を伸ばして枕の下に手を入れたところだった。何かを探しているようだ。

「こんな時間に何事だ」

 眠い目をこすってマールーシャは不機嫌なのを隠そうともせず声を荒げた。時計はないが、部屋を訪ねてくるような時間ではないことはまず間違いない。
 枕の下は見当違いだったようで、ため息をつきながら姿勢を戻したゼクシオンは眉尻を下げてこう言った。

「栞をなくしてしまったんです」
「しおり」

 寝ぼけた頭でマールーシャは聞こえたままその音を繰り返した。栞、本の読みかけの所に、はさんで目印とするもの。

「ノートの切れ端でも挟んだらいいんじゃないか」

 事態を不要不急と判断したマールーシャは面倒そうに言って布団を引っ張り上げるが、ゼクシオンがそれを阻止する。

「あなたの持っている本に紛れていたりしませんでしたか」
「知るものか。好きに見たらいい」
「そこの棚はもう全部見ました」

 聞き捨てならぬゼクシオンの言葉を聞いてマールーシャは顔を上げた。見れば所持している本が、全て棚から出されて好き放題に乱雑に積み上げられたままになっている。

「貴様……」
「他に所持している本は」
「あれで全部だ」
「困りましたね……」

 腕を組んでゼクシオンは考え込んだ。突然の部屋荒らしにあって困っているのはこちらの方だ。
 仕方なくベッドを降りてあくびをしながらマールーシャが散らかった本たちを棚に戻していると、突如ゼクシオンがはっと息を飲んで呟く。

「ひょっとして、書庫の中の本にまぎれて……?」

 小さなものだが、この機関の城の中には様々な蔵書を詰め込んだ書庫(というよりは物置と大半の機関員は呼んでいる)がある。出入りしているのは主にゼクシオンかヴィクセンくらいのもので、マールーシャも足を踏み入れたことはなかった。
 そういえばこのあいだまとめて本を返して、まさかあの時に……とゼクシオンは一人で呟いている。小さな物置――否、書庫とはいえ、本を一冊ずつ開いて確かめるにはちょっとした量があるはずだ。

「災難だったな。では、おやすみ」
「仕方ありません。行きますよ」
「は?」

 聞き間違いかと呆然としているマールーシャを他所に、ゼクシオンは黒コートを投げて寄越した。書庫は冷えますから、と彼らしからぬ優しさをみせられてマールーシャはつい素直に受け取ってしまう。

「ありがとう……じゃない、何を言っているんだ、こんな夜更けに。どれだけ手がかかると思っている」
「朝までには片を付けたいですね。まあ二人ならなんとかなるでしょう」
「私にそんな義理があると?」
「ないんですか?」

 曇りなき眼でゼクシオンはそういって首を傾げた。彼は時々変なところで妙な自信がある。自分が絶対に断らないであろうその自信は、いったいどこから来るのだ。
 信頼されているんだか都合のいい相手なんだか。おそらく後者だろう。諦めたような気持ちでため息をつきながらもなんだかんだでマールーシャはコートを羽織り、ゼクシオンにせっつかれて重たい足取りで書庫へと向かった。

 道中、不満げにマールーシャは呟く。

「栞なんて他に替えがきくだろうに」
「ききませんよ。だから探しているんです」

 珍しく一歩も引かないゼクシオンに、マールーシャは首をかしげた。そんなに何かに執着する彼を見たのは初めてだった。というかそもそもどんな栞なのだろう。それを問いただせば何やら渋る様子を見せるのだから、今宵彼の一連の挙動は全くもって謎めいていた。

 

 起きだしてからすっかり時間が経過している。陽の光の届く世界なら、夜明けとともに雄鶏が鳴き出す頃合いだろう。もはや眠気も通り越してしまい、マールーシャも真面目に手伝って書庫の本棚をひっくり返していた。
「ありました」といいながらとうとう小さなそれを見付け出したのは、おそらく早朝の頃合いだろう。見つけたときのゼクシオンの声は今日一番明るかった。
 ようやくかとぐったりとしながらマールーシャが覗き見れば、それは何の変哲もないただの栞のように見える。しかしそれを手にするゼクシオンは落ち着いた様子でありながらも、いつも以上に丁寧な所作で栞についた埃を払っていた。大事に扱われるそれをみるのは、なんだか面白くなかった。なんだってそんなものを大事にしているんだ。
 何の気なしにマールーシャはゼクシオンの手から栞を抜き取った。ゼクシオンが慌てて取り返しにかかるのをかわすように、高い位置で明かりにかざすようにして眺める。
 それは、押し花で作られた栞だった。たいそうな物ではなく、そのあたりに咲いていそうな小さな野花でつくられたものであったが、花弁と蕊を丁寧に伸ばしてあり、よれもせずきれいな出来栄えだった。

「これは……お前が作ったのか」
「そうですよ」

 手が届かないのが気に入らない様子でゼクシオンは不満げに言い捨てながら懸命に手を伸ばした。マールーシャはもう一度その押し花をまじまじと眺める。これは、と思わず口にしていた。
 これはかつて、マールーシャがゼクシオンに贈ったものに違いなかった。“贈った”などというのはおこがましいかもしれない。かつて一緒に就いた任務の道中で、不意に目についた道端の花を摘んでうやうやしく捧げたものだ、『貴方の目の色とそっくりだ』などと言いながら。
 機関の策士様は受け取りはしたものの、その突飛な言動に呆然としていた上に生花の扱いに困惑しているようにしか見えなかったので、心ある人がするような真似事はそれきりにしていたのだ。まさか、ずっと残していたなんて。

「べつに、都合がよかっただけですから」

 やっとのことでマールーシャの手から栞をむしり取ると、ゼクシオンはお礼もそこそこに踵を返して書庫を後にした。残されたマールーシャは足音がだんだん遠ざかっていくのを聞きながら、依然としてぼんやりとそこに立ち尽くしていた。
 朝を迎え機関員が活動し始めたのだろう、廊下の向こうに他者の気配がし始めて、ようやくマールーシャはくっくっと笑いを噛み殺してそばの壁にもたれる。

「この貸しは高くつくぞ」

 静かなドアに向かってマールーシャは小さく呟いた。

 

*お題は曲解しています。

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今日の116
大事なものを無くしたというので夜中に二人で探し回る。あんまり必死になっているからどんな大層なものかと思っていたら昔プレゼントした安物の指輪だった。見つかって嬉しそうなのは何よりだけど、なんだか照れる。