105 アリッサムを育てることにした
機関の任務で、新世界の調査に赴いている。全く未知の世界だったため戦闘要員としてマールーシャを引き連れての二人体制となったが、穏やかな気候と水に恵まれたのどかな世界は植物が元気に根を張るだけで拍子抜けするくらい平和なものだった。危険は少ないと考え、ゼクシオンとマールーシャは二手に分かれてそれぞれ周辺調査にあたることにしたのだった。
そうして合流しようにも相手の姿が見当たらず、ようやく見つけたと思ったら呑気にシェスタという有様であったわけだ。
「昼寝まで許したつもりはないんですけどね、マールーシャ」
皮肉たっぷりにゼクシオンが声を掛けども返事はない。草木をかき分け近付いて真上から覗き込んでみると、マールーシャは両手を頭の下で組み枕がわりにして静かに目を閉じていた。なんと、本当に寝ているようだ。いやそんな無防備なことがあるだろうか?ゼクシオンは注意を払いながら、花の中に横たわるマールーシャの寝顔をじっと見つめた。伏せられた睫毛の長さが際立ち、ノーバディだというのにこの男の唇はばら色で血色がよい。物言わず静かにしていれば案外男前なのだな、と観察する。顔の横で小さな白い花が揺れていて、薄桃色の髪の毛に映えていた。風にのって、甘い香りが鼻孔に届いく。辺りに咲く花の香りだろうか、それとも……
「熱烈だな」
目を瞑ったままのマールーシャが突然口を開いたのでぎょっとしてゼクシオンは顔を引いた。
頭を支えていた腕を解放し、寝そべったまま大きく伸びをしてからマールーシャはのっそりと起き上がった。背中は細かい草や汚れが付いている。男前も形無しだ。
「出迎えご苦労、ああそういえば任務の途中だったな」
短くそう言うとマールーシャはすっくと立ちあがり、ゼクシオンがこれ以上小言を言う前にその場を後にした。本気で任務をさぼっていたのかもしれない。
残されたゼクシオンはぼんやりとマールーシャが今までいたところを見つめた。草が押しつぶされて彼の形になっている。
何か思いついたわけではない。けれどゼクシオンは何を思うでもなく彼のいた場所へ、花を踏みつけないようにそっとそのくぼみに座り込んだ。マールーシャは大柄だから自分が座るのには苦労しなかった……なんて、なんだか腹が立つ。雑念を振りほどいて、草木の中で彼に倣いそっと身体を横たえてみた。見上げるとぐんと遠い青い空と、視界の端に白く揺れる花があった。そのほかにももっと近くに色々なものを感じた。さわさわと風が抜ける音、草のこすれる軽い音。土の湿った匂い。ほのかな花の香り。小さな白い蝶がちらちらと飛んでいくのを目で追うと、自然と欠伸がこみあげた。
なるほど、これは確かに穴場かもしれない。誰かさんに倣い、ゼクシオンも少しだけ休むことにした。彼だって休んでいたのだし、自分はもうしかるべき任務を終えたのだからから少しくらい構うまい。
「……策士殿も相当お疲れと見える」
声にはっとして目を開けると、いつの間に戻ってきたのやら、空を背景にこちらを見下ろしているマールーシャと目が合った。にやついているが、人のサボりを指摘しておいて自分も寝ている様子に呆れているようにも見えた。それもそのはずで、どうやら自分も横になって目を閉じているうちに居眠りをしていたらしく、空の色は夕刻を写す色へと移りつつあった。
マールーシャはゼクシオンの身体に目を落として眉を顰める。
「自分がどんな様子か鏡で見た方がいい。草だらけだ。……髪の毛も」
そう言いながらゼクシオンの髪についた草を払った。ゼクシオンも立ち上がるとコートについた草を払う。休憩を挟んだおかげか、ずいぶん頭がすっきりしていた。最近は調べものに没頭して夜ベッドに入るのが遅かったことを思い出す。
「姿が見えないからと戻ってみたら、まさか貴方までご休憩とはね」
「僕の方はもうやるべきことは済んでいますから。貴方こそ、ちゃんと調査を終えたんでしょうね」
「もちろん」
咎められてマールーシャは肩をすくめた。
今日は互いに周辺地域の簡単な調査任務だけでいい。いくつか情報を共有するとこれ以上この地に留まる理由はなくなり、この日の任務はこれにて切り上げることになった。珍しく平和な任務だった、とゼクシオンは考える。
長い間いたせいで服に花の匂いがついてしまったらしい。歩きながらいつまでも甘い香りが付きまとうような感じがしたが、特に気にすることもなく二人はそのまま揃って帰還した。
根城に戻ったところでシオンと出くわした。
「こんにちは、マールーシャ。なんだかずいぶん汚れているわ。大変な任務だったのね」
落ち切らなかったコートの汚れを見てシオンはいたわるように声を掛ける。マールーシャときたらもっともらしくうなずいたりするのだからゼクシオンは呆れかえって大きなため息をついた。
マールーシャの陰にゼクシオンがいることに気付いたらしく、シオンがひょっこりと覗き込む。
「ゼクシオンも――わあ……!」
挨拶をしかけたその時、急にシオンの声が高くなった。そうしてゼクシオンを指さすと間髪入れずにこう叫んだのだ。
「それ、かわいい!!」
「――は?」
彼女が突然何を言い出すのわけがかわからず一瞬ゼクシオンは呆然と立ち尽くした。シオンが指さしているのは自分の頭だ。恐る恐る手を伸ばしてみると、耳の上のあたりに何かの感触に気付く。手に取ってみるとそれは……白い小さな花だった。
「な! なんですかこれは!!」
驚いて声をあげながらゼクシオンはそれを乱雑に抜き取った。知らぬ間に髪の毛に差し込まれていたらしい。
はっとしてマールーシャを振り向くと、顔を背けて笑いをこらえているように見える。寝ている間にいたずらされたのだろうか。あるいは、草を払っているときに?白い小さな花は、今日訪れた世界で咲き乱れていた花に他ならなかった。道理で甘い匂いが付きまとうわけだ。
「取り払ってしまうのか? もったいない、似合っていたのに」
「やかましい!」
「乱暴にしないで!」
シオンが慌ててゼクシオンの腕を引いた。マールーシャを庇ったわけではない。ゼクシオンが花を手にしたまま強く拳を握ったのを見逃さなかったのだ。
シオンの悲痛な声にゼクシオンもいたたまれず思わず手を緩めてしまった。
「グラスを持ってくるわ。ちゃんとお水に入れてあげないと」
「そんな必要……あ、こら、マールーシャ!」
ゼクシオンが叫んだ時にはもうマールーシャは長い廊下の先に向かって歩き出していた。片手をあげて悠々と去っていく後姿を睨み付けたものの、マールーシャは振り向くことなく廊下の先に姿を消した。残された手の中の白い花を一瞥するが、シオンのいる手前、その場で踏みにじるわけにもいかずにゼクシオンは唇を噛む。
やがてシオンに引っ張られるようにして、小さな花のための花器を探しに二人は歩き出した。
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今日の116
アリッサムを育てることにした。花言葉は「奥ゆかしい美しさ」。その美しさに気づくのは自分だけでいい……なんて。お互い思ってるのは内緒です。