その映画はそこそこ古いものの、上映当時大きく話題になっただけあって時がたってから見ても大いに楽しめた。一般的にホラー映画に分類されるそれは恐怖演出もさることながらストーリー展開も手堅く、有名なアーティストが手掛けたという挿入歌もテーマに沿った雰囲気が絶妙にマッチしていて好ましく感じた。
エンドロールも中腹に差し掛かった頃、沈み込んでいた自宅のソファから起き上がって伸びをしてからマールーシャは隣を見た。この映画鑑賞を提案してきた張本人は、まだぼうっと画面に流れる文字を眺め続けていた。膝を抱え込むようにしてソファに両足とも上げて小さくなっている。
「ゼクシオン」
声をかけながら覗き込むと、急に我に返ったようにゼクシオンは身をこわばらせながら振り向いた。その目の色を見てマールーシャはおや、と目を瞬く。
「怖かったか」
「……別に、それほどじゃ」
むす、と俯いたままゼクシオンは否定の言葉を口にするも、身体はがちがちに強張っていて姿勢は先ほどから微動だにしない。ホラー、苦手だったのか、とマールーシャは声に出さずに心の中でつぶやいた。
何故そもそもホラー映画鑑賞会になってしまったのかというと、彼の借りてきたレンタルDVDのパッケージと中身が相違していたのだ。以前もこんなことがあったような、と思いながらも、もう二度とあそこでは借りないと悪態をつく彼をなだめすかしてせっかくだからと上映を始めたのだった。可哀想なことをした、観たかった映画も見れず、挑戦した映画は屈指の本格ホラー。風呂を先に済ませたのは大正解だったなと思いながらマールーシャは席を立つ。部屋に行こうか、と言えば、ゼクシオンもこくりと頷いてようやく姿勢を崩した。
「片付けてから行くよ」
マールーシャはそう言うと、飲み終わったカップやらをキッチンへ運んだ。食洗器を使うまでもないのでスポンジを手に取ったところで、ゼクシオンがキッチンの入口に立ってこちらを眺めていることに気付いた。その様子は先ほどの映画で暗がりから顔をのぞかせる怨霊の姿を彷彿とさせた、なんて言ったら余計怖がらせるだろうから黙っておくとして、とにかくゼクシオンは無言で暗い表情でそこに立っていた。どうかした?先に部屋へ、と言いかけて、あ、もしかして、と気付く。
「すぐ終わるんでしょう」とゼクシオンは洗い物を顎でしゃくる。「待ってます」と。そんなにか。ぐっとこみ上げる何かを顔に出さないように努めながら、返事をして手早く洗い物を済ませた。ゼクシオンは落ち着きなさそうにその様子を見ていたが、マールーシャが先導して寝室に向かうのにピッタリとくっついてくる姿はさながらカルガモの親子のようである。
さて寝室に入って着替えも済ませたものの、ゼクシオンはなかなかベッドに入ろうとしなかった。劇中、布団の中に某がいた描写があったからだろう。布団をかぶった登場人物が違和感を覚えて布団を捲るとそこには怨念に濡れた目を血走らせた女の姿が……。眠る前のあの映像はなかなか酷なものがあるとマールーシャでさえ思う。
せっつくように布団を捲らせるので、何もいないよ、と言いながらマールーシャは布団を大きく翻して見せた。
「そんなことわかってますから」
いたく不機嫌な様子でゼクシオンはそう言いつつも、まだ探るように視線を走らせる。
「ほらはやく入ってください」
「私を犠牲にするのか」
「その話はやめて!」
意外と大きな声が出た、と彼も思ったのだろう。気まずそうに視線を逸らしながらゼクシオンは俯いてしまった。怒鳴るような声に怯えの色が混じっているのがわかると、マールーシャはからかうのをやめた。手を取って一緒に布団に入る。電気はつけたままにしようか。手もつないだままにしよう、おいで、と抱き寄せると、仏頂面ながらもゼクシオンは素直に身体を寄せた。ごつ、と彼の頭が胸部にぶつかる。そのまま存在を確かめるようにぐりぐりと額をこすりつけてきた。答えるように片腕を背に回して背を撫でると、ようやく人心地ついたようにゆっくりと息を吐くのが聞こえた。
「やらしいことをすると霊が逃げるって聞いたことないか」
「すみませんが今全然そんな気分じゃないです」
「その気にさせてやろうか」
「無理……眠い」
今日はそもそも映画を見始めたのが遅かったので、日付はとっくに変わっていた。普段のゼクシオンならすっかり寝ている時間だ。恐怖で興奮していたようだったが、布団に入って落ち着いてくるとだんだんと体内時計が正常に動き出したようだ。
他愛のない話題をぽつぽつとしているうちに、徐々に会話が間延びして、やがて寝息に変わった。すっかり力は抜けて、安らかな寝顔を見てマールーシャも安堵する。
無事に寝入ったようなので電気を消そうか悩んだが、このままにすることにしてマールーシャも温かな体温に寄り添うようにして目を閉じる。手はしっかりつないだままだ。
まどろむ意識の中で、また折を見てホラー映画のお誘いをしてみたいものだとこっそり思うのだった。
*
朝、ゼクシオンが目が覚めると部屋はだいぶ明るかった。その明るさが自然光ではなく部屋の照明によるものだと気付くと同時に、昨夜の記憶も頭の中に鮮明によみがえる。話をしているうちにいつのまにか眠ってしまったようだ。怖い夢を見ることもなく、目覚めてみれば非科学的な映像に戦慄して醜態をさらした昨夜の自分がたまらなく恥ずかしかった。明るい時間なら怖くないのにな、と昨夜は思いだしたくもなかった映画の内容を頭の中で反芻した。うん、もう大丈夫だ。
左手が異様に温かいのに気付いて見れば、まだ寝ているマールーシャの手が寝ながらにしてしっかりと繋がれたままになっているのが目に入る。つくづく優しい人だ、とゼクシオンはその寝顔を見つめた。昨日の今日で起きて顔を合わせるのは少し気恥ずかしいが、何事もなく朝を迎えられたことを、起きたら礼を言わねばなるまい。
手を伸ばしてリモコンを手繰り寄せると部屋の照明を落とし、ゼクシオンは布団の中の温かい体温に再び身を寄せて、彼が起きるのを待つ。
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今日の116
ホラー映画を見て眠れなくなる。一緒の布団に入ってくだらない話をしているうちに寝落ちて朝になる。