011 山に行く

 山頂からの景色は爽快の一言に尽きる。そう高い山でもなかったが、見渡す限り視界を遮るものは何もない。遠くに連なる山々はほのかに雪化粧を纏い、晴れやかな空の下で絶景を誇っていた。風は冷たいが、晴れてよかったとゼクシオンは抜けるように青い空を眺めながら思った。
 耳に聞こえるのはごうごうと火を煽るガスバーナーの音。パチパチ、じゅうじゅうと小気味良く火にあぶられた肉のいい香りが漂ってきて、ゼクシオンは堪らずクッカーを覗き込む。

「まだ?」
「まだ」

 時計を見ながらマールーシャが返事をした。

「あと二分」

 静かに高揚しながらゼクシオンは視線を景色に戻す。
 二人は初めての登頂を無事遂行して、山頂からの景色を拝んだところだった。まだ午前中の山頂は早朝から訪れている登山客でそこそこにぎわっていたが、二人は喧騒から離れた場所を確保してその眺望を満喫しながら火を起こしていた。

 

 山の上で肉が食べたいと言う唐突なワイルド発言によってこの度の登山は敢行された。その時のゼクシオンは軽い気持ちで、次の休みは何をしようかと尋ねただけだったので、予想の斜め上の回答にぽかんと口を開けてしまったものだ。おおかた読んでいる本か何かに影響されたのだろう。マールーシャもゼクシオンもこれまで山とは縁のない人生を送ってきたものだが、マールーシャは何の影響を受けてだか突然、雲の上で食べる肉はさぞうまかろうなどと言い出すのだから、ゼクシオンは困惑しつつも、どこならいいんです、と返事をしていた。そうして、やれどこなら初心者も登れるだ、やれどの靴がいいだ、あれこれ調べながら少しずつ準備を進めるうちに遂に早朝から山道に足を踏み入れるに至ったのだった。
 必要なものを調べたり、新しい道具買ったりするのは楽しい作業だった。疲れにくいハイカットのトレッキングシューズ、保温保冷の利く水筒。大容量のバックパックは色違いだ。形から入るあたり初心者感は否めないが、新しいことを始めるための準備は存外楽しくていつしか二人して夢中で時間を割いて臨んだ。インドア派を自称するゼクシオンが、まさかこんな王道アウトドアの門をくぐることになるとは、とおもいながらも購入した品々は日を追うごとに部屋の一帯を占めていった。
 値の張る調理用具を購入しようとするマールーシャにゼクシオンは最初は難色を示したが、楽しかったらまたいきたくなるだろうから、と言って躊躇いなく購入していた。思い切りのいいところは彼の美点だ。

 実際の山道は二人とも初めてだったけれど、歩き出してみれば思ったほど大変ではなかった。瞬発力は誇れないが持久力にはゼクシオンも少し自信があったので、急ぐこともなく一歩ずつ地を踏みしめながら二人は山道を歩いた。聞いたことのない鳥の声、湿った土の匂い、どこまでも青々と茂る草木。都会の喧騒から離れて感じるそういった自然は、体力を使う反面、日々の生活ですり減らした精神を浄化してくれるようだった。会話は少なく、黙々と山頂を目指す。
 初心者向けの高度の低い山を選んでいたのでおもったよりも早く山頂に到達した。しかしここまでは前座と言っても過言ではない。何しろ本来の目的は山頂で楽しむ肉なのだ。登山が完遂できなくては話にならない。

 

 タイマーが鳴ると、ゼクシオンは空想から現実の山頂の上に引き戻された。いよいよお待ちかねのランチタイムだ。
 メニューは初心者らしく、ただただシンプルにソーセージと付け合わせの野菜を焼いただけのものだったが、絶景を臨みながら食するそれは自宅で食べるものと一味も二味も違った。山頂までそう苦労はしなかったとはいえ、慣れない山道や新しい靴でそれなりに感じていた疲労感も、目的でありご褒美でもあるこのささやかなプレートで瞬時に帳消しにされてしまうほどだ。

「外で食べるとどうしてこんなにうまいんだろうな」

 すっかり満足した様子でマールーシャは景色を見ながらつぶやいた。

「空気がいいからでしょうかねえ」

 ゼクシオンもまたどこか達成感を感じていた。

「そのうちもっと凝ったものにも挑戦してみよう」

 マールーシャはすっかり気に入ったようで、早くもまた来る気でいるようだ。湧き水を探しに行くのはどうだろう、なんて、もう次のプランを考えている。二人で過ごす時間の過ごし方がまたひとつ新たな形で加わったことは素直に喜ばしいことだとゼクシオンは思いながら、大真面目に悩んでいる彼と一緒に次のプランを考え始めた。

 


今日の116
山に行く。山頂で景色を楽しみながらお弁当を食べる。やまびこにはしゃいでいろいろ叫ぶ。