111 喧嘩をして相手を泣かせた
ずるずるとそのまま崩れ落ちゼクシオンは地に膝をついた。手をついた先にぱたぱたと赤黒いものが滴る。立ち上がらなくては。こんなところで這い蹲っている場合ではない。頭ではそう叱咤しても、徐々に朦朧としていく意識をなんとか保つことだけで精いっぱいだった。
目の前に黒い靴の先が現れた。頭の中で警報が鳴る。身動き取れずにいるうちに、すらりと長い刃が視界の端に光った。動くこともままならず、切っ先が喉元にあてられるのもされるがままだ。
「私を生け捕りにでもするつもりだったのか?」
鎌の背で顎を掬われる。血に濡れた目がうまく開かない。赤い視界の先に立っている人物はいつもと何ら変わらない。悠々と、堂々と、地を踏みしめてこちらを見下ろす目には余裕と残忍さが垣間見える。鎌はところどころ血に濡れているが、相手が傷を負った様子はなかった。桃色の刃に鮮血は映えるものだと思ったけれど、刃先は細く銀色に光っている。
「息の根を止める覚悟でこなかった自分の甘さを呪うんだな」
マールーシャは頭上でそうせせら笑った。
彼の言うとおりだ、と考えている冷静な自分がいる。息の根を止めるつもりなんてはなから無かった。たとえそれが指導者からの命であれ、彼の存在を消すことへの覚悟が自分の中にあったかと聞かれたら、本当は煮え切らない思いを腹に抱えたままだった。
そんな迷いのあるまま対峙して、こうなることもわかっていたはずだ。周到に準備をし、もてる全てを出したはずなのに、彼は傷一つ負っていない。
「貴方は変わってしまったな」
そう呟くマールーシャの声は、それまでの冷徹な響きに対して感情的に、物惜し気に聞こえた。
「私相手に躊躇う必要など、なかっただろうに」
――裏切り者を始末せよ。
その命が下されたとき、自分の中に浮かんだ感情はなんだったのだろうか。謀反への怒りでも憎悪でもない。短い時を共に過ごした相手に自ら手を下すことへの複雑な感情。せめて自分の手で終わりに出来るならと無理に自身を納得させて相手の前に立った。中途半端な覚悟の結果、消されようとしているのは今や自分の方だった。
「短い間ではあったがそれなりに退屈は凌げたことには感謝しよう、策士殿」
マールーシャはそういうと、ほとんど聞こえないほどの小さな声で付け加える。
「……心があれば、楽しかったと思えたのだろうか」
寂しげにすら聞こえるその声を聞き逃さなかった。もう指一本動かせないのに、ぞくりと肌が粟立った。僕たち、本当に心はなかったんでしょうか。
音が、遠のいていく。とめどなく血が流れ滴る。ごめんなさい、あなたのことを、すくえなくて。
――ああ、泣かずとも安心したらいい。
朦朧とした頭に優しく声が響いた。伸びてきた黒い手が頬を伝うそれを拭う。
――すぐに楽になるさ。
*裏切り者を始末せよとの命令で11を討とうとした6が返り討ちに合う話(解説)
お題は曲解しすぎて原型がありません。
ーーー
今日の116
喧嘩をして相手を泣かせた。泣き顔を見ることがほとんど無いのでうろたえる。慌てて袖口で顔を拭いてやったら小さい声で「ごめん」と言ってきた。許す。
※許されませんでした。